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しかし、それをシアンが止めた。
「ごめん、リュエル! ちょっと待って!」
シアンは両腕でリュエルを抱きかかえるようにして取り押さえ、その場に何とか留める。もちろんリュエルは手足をばたつかせて暴れる。
「離して下さい!」
「だから待って! 俺、あいつに聞きたいことがあるんだ!」
それはそうだ。シアンはそのためにリュエルについて来て、塔に住むことにしたのだから。すっかり頭に血が上ってそれを忘れてしまっていた。マティアスも今は攻撃の気配が無い。リュエルは唇を噛みながら、しかなく印を解いた。
強い風がひょうひょうと三人の間を過ぎ去る。
マティアスが戦闘体勢をとっていないからといって、しかし不用意に近づいていい相手ではない。シアンも一応の警戒は怠り無く、マティアスとの間には、物質的にも精神的にも十分な距離を取って話しかける。
「……なあ、あんた。マティアスだよな?」
「いかにも」
マティアスはいたって静かだった。暗さで確認できなくなってきたが、口元にはきっと笑みが浮かんでいる。シアンは引き続き用心しつつ、問いかけた。
「俺と会ったことあるよね、四年前に」
「たしかに」
マティアスは丁寧に、仰々しいお辞儀をシアンに返した。苛立った声をリュエルが漏らしかけたが、即座にシアンに制される。
「あのさ、聞きたいことはいっぱいあるんだけど……。あんたのさっきの言葉、この遺跡の事を知ってるように聞こえたんだけど?」
「知りたいのであれば、お教えしてもよろしいが」
「じゃあ、頼むよ」
シアンの要望に素直に応えて、もう一度ローブを広げてお辞儀をした後、ゆっくりとマティアスは語り初める。
「この遺跡は星の観測所、天文台だ。星の動きは占いに、宗教に、そして政治と統治のための演出に利用された」
マティアスはまるでここの主かのように両手を挙げた。不思議と、しっくり馴染む気がして気味が悪かった。マティアスはすっと足を踏み出し、さきほどリュエルたちが見つけたおそらく唯一の遺物、文様の残された泥岩の傍に佇む。
「そしてこの文様はこの国の王家のシンボル……国章だ」
マティアスはそう言って、右手を肩の高さにまで上げた。金属が磁力でひきつけられるように砂が宙に舞い上がり、輝きながら迷路のような独特の文様を浮かび上がらせた一個の像を作った。マティアスの魔術の力らしかったが、そんなことより二人の興味を引いたのは、それが、その足元にある型押しされたように残った文様の、元の姿だったからだ。
「この図案の中央には鷹、それを取り巻くように天と地と、人間、動物、植物が描かれている。鷹は王の象徴。この世界の全てが、王の統治により存在し成り立っている、と語っている。木で造られたこのような物が国の随所に置かれ、王家の権力を象徴した」
マティアスはそれをよく見せるためなのか。くるくると緩やかに多方向に回して語る。
「古代、呪術によって三百年に渡り栄えた国だ」
「呪術……」
シアンが何か言いかけるがマティアスは横槍を許さない。
「しかし、およそ千年前、白き少女を贄として呪術を行いし代を最期に王家は途絶え、時代の中に静かに消え失せた。風の流れが変わり、雨が降らなくなったせいでもある。遺跡となるべきものは全て破壊され、また、時代に淘汰された」
そういい終わった途端、マティアスは作り上げていた像を元の砂に返し、そればかりか、魔術によって生みだした禍々しい闇色の砂塵で、たった一つ残っていた文様の跡が残る泥岩まで粉々に破壊した。その魔術はそこで留まらず、いくつも残っていた建造物の名残、柱の跡や朽ちかけた木の欠片、それどころか、ここがかろうじて遺跡だとわかった、この整地された土地の形すら、全て一瞬にして消した。あとには周囲と同じような、乾いた丘陵が広がる。
「なっ……!?」
「その名はマグァ。ここにはそういう国があった。しかし、その記憶はこの世にはもう必要無い」
意味は分からなかったが、確かにマティアスはそう言った。では、ここには破壊の為に来たのだろうか。マグァのような形式の遺跡が他では見られないのは、まさかマティアスが破壊して回っているのだろうか。
答えは出なかった。砂塵が収まり外套を下ろすと、先ほどまで微笑みすら見せていたマティアスは感情の読めない仮面のような顔しかしていなかった。
ふと、リュエルは気づいた。隣のシアンの様子がおかしい。
「シアン?」
硬く握った手をぶるぶると震わせている。
「な、何言ってんだよ? 馬鹿じゃねえの? じゃあ、俺はなんだっていうんだよ……俺は四年前までその、マグァで暮らしてたんだよ!? あんた、俺に何したんだよ! 何の術をかけたんだよ!? 変化術とか忘却術とかじゃないのかよ!?」
シアンが憤るのは当然だ。リュエルだって、同じ立場になったらそうすると思った。自分の信じる過去が、はるか古代の事なのだと言われたら……?
マティアスが言った。まるで作り物のように感情を表さない。
「それは、今は知らぬほうが良いだろう」
「今はってなんだよ!?」
駆け出していって、マティアスの胸ぐらを今にも掴み上げそうなシアンを見て、リュエルはさっと間に割って入った。
「シアン、惑わされてはいけません! 全て戯言に決まっています! こんな男と問答など、初めからできるはずもないのですから!」
リュエルにはその時、マティアスの仮面のような顔が、どうしてか、少し哀しげに見えたのだ。それを認めたくなくて、余計に強引に出た。今度はシアンが止める間もなく印を結びきり、術を発動する。即座に鋭利な氷矢が冷気を放ちながら、いくつもマティアスに向かって空を横切る。標的は防御が間に合わなかったのだろうか。丸裸だ。矢はきっと刺さる。
そうリュエルが確信した直後だった。
全ての氷の矢が、何の前兆もなしにマティアスの眼前で消失した。
「!?」
反撃を予想してリュエルとシアンは身構る。防御のための術を待機させる。
しかし、マティアスは微動だにしなかった。作意を感じてリュエルの声は低くなる。
「……。なぜ攻撃して来ないのですか?」
マティアスは哀れむように顔を歪ませて、眉を近寄せた。
「なぜ、だと? 私が今、本気を出せば、お前たちは死んでしまうだろう?」
「っ……!?」
リュエルは言葉を失いかける。
その一瞬の隙のことだった。マティアスは印も結ぶことなく、手を向けるだけで瞬時になんらかの術を発動した。病的な緑色の閃光があたりを照らしながら、リュエルに衝突する。その身が後方に跳ね飛んだ。




