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「亡きレグリス王子に瓜二つの容貌は、まるで逃れがたい呪縛にも似て、嫌でも知る者の脳裏にラクィーズを鮮やかに喚起させる。決意を、憎しみを再燃させる」
なんとなく分かってはいただろうその事を明確に突きつけられて、シアンは初めて嬉しくは無い、という顔をした。
「だからこそ引き受けて貰えないだろうか。君にとっては面白くない理由だし、あまりいい役回りでもないが……しかし……」
湿気を含んだ森のひんやりとした空気が二人の背後に渡ってきて、その背中を撫でる。無機質に透き通った虫の鳴き声が立ち始め、静寂を殺す。それをずいぶん聞いた頃だった。
「いいよ」
シアンは閉口していたわりには、やけにあっさりと応じた。これにはオロフも息を呑んだ。だが師として仰がれ人の前に立ってきた者の心には、相手に、外見から察する以上の機微が映っていた。
「君を利用することになるのは分かっている。……でも、ありがとう」
シアンは、どこか自嘲のように肩をすくめた。
「君は道化のように振舞うことが多いが、私には……時折覚悟めいたものが垣間見える気がするよ」
「……」
珍しくシアンが無口だった
「マティアスにかけられたという守護術のことは聞いたが、何か……他にも君には事情があるのかな?」
シアンは何も語らないまま、そこらに置いてあった自らの弓をふいに取り上げて、意味ありげに撫でた。迷路のような独特の文様が彫られたその大弓は、使い込まれてより滑らかな曲線となり、くすぶりかけてきた篝火の明かりに照っている。
「よかったら聞かせてくれないだろうか?」
「……いいよ。あんま、つまんない話だけどね。……あ、じゃあついでに聞きたいことがあるんだ。オロフなら知ってるかもしれないし」
「私も全てを知るわけではないが……何かね?」
シアンは黙って弓をオロフに渡した。オロフはその彫られた文様に興味が行き、指先でなぞりながら丹念に観察する。
「……これは変わった文様だな。鳥だろうか。男性的力強さと奔放さがありながら、それでいて細部には計算された構図の緻密さも見える」
「これ、俺が考えて彫ったっていったら信じる?」
「いや……とてもそういうようには見えない。君は器用そうだから、こういったものを彫るのは上手いだろうが、別に芸術を愛しているというわけでもなさそうだし……なにかのモチーフを写したように私には感じる」
「だよね! よかった!」
急に嬉しそうになったシアンの理由が見えない。そのままシアンは、不思議そうにしているオロフに、気持ち、詰め寄った。
「じゃあさ、どっかの国にこれと同じような模様ないかな?」
明らかな期待を向けられて、弓をひっくり返したり遠目に眺めたり、様々な角度で入念に調べ、調べ尽してオロフは言う。
「すまない。知らないな」
「……あー……。やっぱ、そう」
シアンは案の上、落胆を見せる。が、どこか笑っているあたり、こんなことには慣れっこらしかった。ずいぶんこのことに関して調べたのだろう。
礼を言ってシアンが弓を返してもらおうと手を差し出した。
だが、オロフの脳裏に掠めるものがあったらしい。目を見開く。
「……いや、待て。どこかで見たことがあるかもしれない」
「ほんとに!?」
「ああ。多分。何かの資料だっただろうか。実物ではなかった気がする。だが、これが一体、何だというんだね?」
これで前置きは終わり、とでも言うようにシアンは笑った。
「じゃあ、俺のつまんない事情を話すよ」
そう言って、いつもの軽妙な口調でシアンが語りだした内容は予期しないもので、長い時を生き、様々な経験を積んだオロフですらその場に射止めたように固まらせた。
炎に揺れる二人の影は明け方の光が消すまで続いた。
そんなオロフとの昨日のやりとりを思い出しながら、例の弓の弦を張り替え終えたシアンは、それを丁寧に壁に立てかけた。
「俺は、この旅で死ぬかもしれない。でも、それでもいいと思ってる。自分のことが少しでもわかるんなら」
シアンは一人、夜風にそう呟いた。




