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◇
少し空けた窓から部屋に入り込んだ夜風が、そっと優しく撫でていく。
そばに置く旅慣れたランタンの明かりで愛用の弓の弦を張り直しながら、シアンは昨日の事を思い出していた。
宴の後の人が消えた篝火の傍に、置物の様に身動きしない影をひとつ見つけたのが全てのきっかけだった。
それがなんとも寂しげで去ることができず、そばでなんともなしに立ち尽くしていると、その置物の方から声がかかった。オロフだった。
「ああ、君か」
「ども」
「……まあ、なんだ。座りたまえ」
シアンが横にでんと座ると、待っていたかのようにオロフは口を開いた。
「君の作る料理、美味しかったよ。どこで憶えたんだい?」
「んー、旅で色々回るうちに自然と」
「ラクィーズの方にも?」
「いんや。そっちにはまだ行ったことがないんだ」
「その方がいい。まだあそこら一帯は多数のエヴィアに溢れているからな。腐沼もさらに広がりつつあるという話も聞く」
思い入れ深いだろう国の話だと言うのに、オロフの声はリュエルのようには震えない。騎士たちのように激昂もしない。長い時を生きたせいなのかもしれない。他愛ない話を楽しむように続ける。
「……しかし、ラクィーズには行った事がないと言いながら、君の料理の味は、どこかラクィーズを思い出すような柔らかい味だった」
「え? あー、あれかな。ミュッコの木の皮。臭みが取れて甘くなるような、ちょっと独特の風味が加わるやつ。他の国ではそんなに見ないけど、リュエルが旅の間よく使ってたから、ラクィーズ人は好きなのかと思って。厨房にもあったし」
「そうだな。それはラクィーズの台所には必ず常備してあるものだ。それを使ったからといって、ラクィーズ人が気に入る味になるというわけでもなさそうだが……君の味覚が我々に近いのだろうかな。……うむ。そうだ、それに、その他にも何か、変わった香りもしたな」
「それは多分、東側の香草。体にいいっていうし、気に入っちゃって。オロフもこれでますます長生きするかもよ?」
「ははは。これ以上長生きはできないよ。いくら魔術で肉体の老化を除去しても、寿命までもは変えられないからな」
「そうなの?」
「生命には魔術でも立ち入る事を許されない法則が秘められている」
オロフが言うと説得力が増すようだった。
「ふーん……じゃあ、もし千年生きようとするならどうすりゃ良いの?」
「どうすることもできないよ。五百年の昔、カハという邪術師が、魂を別の肉体に入れ替える研究をしていたと言うが……不老長寿を目指していたのではないかと推測されているが……どうなったのか記録に残っていないということは、失敗したのだろうな」
「ああ、聞いたことあるよ。レヴェロと同じで、右手にアザがあったんだってね。大魔術士の印とか言われてる」
「迷信だよ。まあ、でもあのマティアスにもあったからな。もしかしたら、あながち間違いでもないのかもしれないな」
オロフが半分笑いながら言った言葉に、シアンが飛び上がる。
「マティアスにも!?」
「ああ、ただ奴は半身全部がそうだったから、少し違うような気もするがな」
オロフはそこらに落ちていた細い木の枝を、ひょいと篝火にくべた。生木は炎の中でぱちぱちと音を立て、少し目に染みる煙を上げた。シアンが純粋に不思議そうにオロフを見つめていた。
「なんでオロフ、そんなにマティアスの事を知ってるの?」
ラクィーズの話には動揺しなかったオロフが、今度は少しだけ声を上ずらせる。
「それも聞いてないのか? ……マティアスは私の弟子だったのだよ。なら、これも知らないのかな。奴は、リュエルのラクィーズでの師でもあるんだよ」
「え……」
分かりやすい反応のせいもあって、オロフは苦笑した。
「リュエルに聞く時間はあっただろうに。何故聞かなかったんだい?」
いつもずけずけと入ってくるシアンが言いずらそうに、もごもごとしている。
「……なんか、聞きづらかったんだ。すごく憎んでるからじゃなくて、その話をすると、なんか凄く辛そうに見えたから」
「君は優しいな」
オロフはそう言った後、少し炎の揺らめきを見つめた。
「わかった。なら私が話そう。初めからな。もしかしたらもう知っていることもあるかもしれないが、とりあえずは黙って聞いていてくれ。それから――、これだけは先に言っておこうか。マティアスは、リュエルの拾い親でもあるんだよ」
「なっ……!?」
目をしばたたかせるシアンを優しく一瞥だけすると、オロフはまるで昔語りのような低い声色で語り始めた。それはどこか童話を聞くような懐かしさを漂わせた。
「――私たちは元々ここに住んでいたわけではなかった。君が昼間言ったように、私はラクィーズで魔術長を務めていたが、その役職を退いたのち、王国領の南の辺境、小さな谷あいに住み着くことにした。霧の谷と呼ばれる、ここのように深い森に囲まれた、苔むした岩間にせせらぎ流れる人里離れた場所だった」




