Roar 6
文字数が多く文字が詰まっている為、読みづらいかも知れません。
その場合は縦書きに変換した後に読むと、丁度良いかと思います。
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光の射さない薄暗い洞穴の中で、ローは空腹を堪えて考えていた。
森から逃げ出して、数時間が経過している。辺りはすっかり暗くなってしまって、今から狩りに出かけることは困難だ。空腹よりもローには気にかかることがあった。それは、誰が村の家畜を食い殺したのか、ということだ。もちろんのこと、ロー自身ではない。彼が村に下りたのは群れから追い出され、森でキノコを食べた時と、今日だけだ。
最初は、他の動物が食い荒らしたのだろう、と考えたがそれは却下された。なぜなら、カマラははっきりと「家畜を食い殺した狼の一匹」と言ったからだ。狼だとすれば、ローが追い出された群れの狼以外にない。けれども、村へ下りていくことは群れのリーダーであるアルファが許すはずがない。
彼にしては珍しく苛立ちを覚えていた。アマラと別れさせられただけでなく、家畜を襲った犯人として、濡れ衣を着せられてしまったのだから、当然と言えば当然だ。
「月でも見に行こうかな」
ローは立ち上がり、洞穴から出て行った。腹立たしい気持ちを落ち着ける、そんな目的があった。
いつものように、月の見える場所へと歩いて行く。時折空を見上げると、輝かしい星々が瞬いていた。これだけでも十分に心洗われるものだが、ローは誰かと会話をしたくて堪らなかった。アマラがいたなら、こんな思いをしなくて済んだだろう。
彼はまた、孤独に戻ってしまった。切ない気持ちが彼を包む。
夜空には丸い月がぽっかりと浮かんでいる。今日もローを優しい金色の光で照らしている。
「やあ、こんばんは。今日は散々だったよ。人間の女の子と麓まで下りて行ったら人間に見つかってさ。危うく殺されそうになったよ。いや、本当に危なかった」
月がうっすらと雲に隠れた。雲の隙間から、幻想的な光が漏れ出している。
「でもさ、そんな危ない事も気にならないよ。なんていったって、僕を認めてくれる存在に出会ったんだから。本当にすばらしい女の子だったよ。きっと、今頃村で怒られているんだろうなぁ。そう思うと、少し胸が苦しくなるよ。それと、あの村の家畜を食い荒らしている狼がいるみたいなんだけど、君は何か知らないかい?」
月は何も答えない。ささやかな微笑を浮かべるだけだ。
「本当に誰なんだろう。もしかして、あの群れに何かあったのかな」
ローは、その場で丸まり自らの体に顔を埋めた。
「追い出されるかもしれないけど、久しぶりに群れに会いに行ってみようか」
ローは起き上がり、体中に付着した雪を振り落とした。
そして、群れの住む場所へとゆっくり歩き出した。
群れの狼たちが住んでいるのは、彼の洞穴から真っ直ぐに登って行った位置にある。しかし、そこへ辿り着くまでには急な傾斜を登り、足場の不安定な道を進んだりと、一筋縄ではいかない道のりが待っている。しかし、ローは過去にそこに住んでいただけあって、すいすいと先へ進んでいった。
彼は追い返されるかもしれない、という不安も抱えていたが、今頃群れはどれだけの成長を遂げているのだろう、という期待も抱いていた。成長しているのだとすれば、きっと素晴らしい群れになっているだろうと確信を抱いていた。
ローが群れに所属していた時は長にアルファが置かれ、その後継ぎとしてローを除く子供の狼が置かれていた。そして、それらの狼を中心に、数十匹の群れが構成されていた。今もそのままで構成されているのか、さらなる繁栄があったのか。それとも衰退しているのか。そんな期待と不安の両方を考えながら、サクサクと進んでいった。
「あそこを越えれば、辿り着けるはずだ」
懐かしい匂いが辺りに立ち込めている。同族の匂い、血の匂い、土の匂い、他にも色々な匂いが混ざり込んでいる。その匂いはローにとっては心地よいが、人間が嗅げば不快になることは間違いないだろう。
ローはひょいひょいと傾斜を登って行った。昔よくここで遊んだものだな、と感慨にふけった。が、傾斜を登りきった先の光景を見た瞬間現実へ引き戻された。直視したくない現実が彼に牙をむいた。
皆が仲良く、平穏に暮らし、活気に充ち溢れている。ローの期待が確信となる。そんな光景ではなかった。
ローの目の前には、ぐったりと項垂れた狼が数匹。それに既に肉の塊と化した狼が数匹、仲間同士で肉を取り合っている狼が数匹。 何度目を閉じても、何度これは夢だと自分に言い聞かせてもその光景は変わることはなかった。彼の群れは、衰退の一途を辿っていたのだ。
「一体どういうことなんだよ。父さんは、兄さんたちは、一体何をしているんだ」
アルファが統率している群れに、こんなことが起こるはずがない。 仮に彼が死していても、その子である、つまりローの兄にあたる狼が群れを統率しているはずだ。だが、この光景を見るに誰もこの群れを統率していないと考えられる。
ローは、何が起こったのか確認をするために、群れの中へと入って行った。彼の中に、追い出されたらどうしよう、などというような不安はなかった。それよりも、群れが心配で仕方がなかったのだ。
彼が群れの中に入って行くと、群れの狼全ての視線が彼に集中した。彼が群れにいた時のような差別の視線ではなく、渇望の視線だった。誰も彼に襲いかかろうとはしない。
「おい、あの黒い毛色はローじゃないか」
「ローだ。ローが帰って来てくれたんだ。やっと、やっと希望が見えた」
そんな言葉が、口々に群れから飛び出した。ローはその言葉に不快感を覚えながらも群れの中を進んでいき、叫んだ。
「一体、どうしたって言うんだ。なんでこんな事になってしまっているんだ! 父さんは? 兄さんたちはどうしたんだ」
ローのその問いに、誰も口を開こうとしない。
「黙っていたら何も分からないだろう!」
ローのその怒声は、アルファの面影を感じさせるものだった。雄々しく、威厳に満ちていた。聞くものすべてを震え上がらせる。とても過去に群れを追い出された狼だとは思えない。
「私たちは」
一匹の狼が口を開いた。
「私たちの群れはもうお終いなんです」
「どういうことだ」
ローはその狼に近寄り、尋ねた。
「アルファ様はあなたがこの群れを追い出されて一年後にお亡くなりになりました」
ローは、自らの目頭が熱くなるのを感じた。だが、今は悲しみに暮れている場合ではないと判断し、さらに問いかけた。
「そうか、それは仕方がない事だ。それなら、兄さんたちはどうしたんだ」
「あなたの兄上は群れを捨てたのです。もうこの群れには統治するものがおりませぬ」
「群れを捨てただって?」
一瞬自分の耳を疑った。そんなことありえない、と何度も頭の中で言葉を反芻した。
「はい。あなたの兄上は、一切の群れを統治する力を持ち合わせていませんでした。当然獲物など狩れませぬ。次第に群れは廃れ、忌まわしい二匹はこの群れを捨て、逃げたのです」
「なんてことだ」
「しかし、地獄はこれからだったのです。我々は必死に獲物を探し、何とか生き延びていました。そんな時に、あの二匹が群れに姿を現したのです。最初は我々を助けに来たのだ、と思いました。ですが、それは幻想でした。あの二匹は、数少ない食料をせしめていったのです。差し出さなかった場合、彼らは怒り、群れの狼を食い殺して去って行きました」
あたりに散らばる肉を見つめながら言った。
「なぜ抵抗をしなかったんだ」
「抵抗しても、勝てないからです。統治する力はないといえども、彼らはアルファ様の血をひいております。我々に勝つ術はないのです」
ローは怒りに震えていた。群れを捨てた身勝手な兄を恨んでいた。
「そんな今あなたが来てくださいました。我々はずっと待ち望んでいました。あの立派なアルファ様の子供である、あなた様が群れを率いてください」
彼の怒りが、頂点に達した。それは、兄たちに対するものではなかった。その怒りは、群れの狼たちに向けられた。群れへの心配よりも、群れへの怒りが勝利した。
「勝手なことを言うな! あの日、俺を追い出したのはどこのどいつなんだ。お前らだろう! 俺は母を殺してなんていない、そんな俺の言い分なんて一切聞かなかった。ただ黒い、それだけの理由で群れを追い出したのは誰なんだ!」
彼の怒りに満ちた声に、すべての狼が飛びあがった。
「それは本当に悔いております。外見にばかり目を奪われ、盲目になっておりました。真に見るべきものを見ていなかった、我々が悪かったのです」
「俺はお前らを助けてやる気なんてない」
「では、なぜここに来たのですか!」
「麓の村の家畜が食い荒らされている。その原因が狼だと、村の人間は言っていた。この地に俺たち以外の狼はいない。それでこの群れを見に来た。それだけのことだ。この現状を見れば、お前らが犯人だということは明らかだ」
「それは違います! 我々は、アルファ様の言いつけを守り、この山でのみ獲物を狩り続けています」
「じゃあ誰がいるって言うんだ!」
「俺たちだよ」
ローが振り返ってみると、彼の兄、ロムスとレムスが崖の上から狼の群れを見下していた。何もかもを下等なものと見ている目だ。真っ白な毛を微かな月明かりで輝かせ、真っ赤な目をギラギラとさせている。その姿はとても神々しい。
「兄さん!」
「久しぶりだなあ。デキソコナイの弟よ」
ロムスが崖の上から飛び降りた。彼が着地した場所は大きくへこみ、雪が舞い散った。
「デキソコナイ! デキソコナイ!」
狂ったように同じ言葉を連呼するレムスも、崖から飛び降り、雪を舞い散らせた。
群れの狼たちは、さっさと逃げてしまったようで、離れた場所からこちらのことを窺っている。ローはそれを横目で見ながら呆れた。
「群れを追い出されたお前が、今更何の用だ? この群れは見ての通り俺が統治している。見てみろ。長である俺を恐れ、逆らおうなんて奴は誰一人いない。これほどまでに上手くいっている群れは存在しないだろうなあ」
ロムスは、周囲を見渡し、舌なめずりをしている。周囲の狼たちは恐怖に打ち震えている。彼らが、恐怖によって支配されていることは明らかだ。
「兄さんたちは群れから逃げ出した、という話をさっき聞きました。それに、統治しているというよりも、恐怖で支配しているように見えますが」
ローの言葉を聞いたロムスの表情が豹変した。さっきまで穏やかな顔をしていたにもかかわらず、今は鬼のような形相で遠く離れた群れを睨みつけている。
「そうかそうか、そんな事を言う奴がいたか。まるで俺たちは腰ぬけの独裁者だと言わんばかりだな」
ロムスは眉間に皺をよせ、目を細めた。
「弟よ。こんな馬鹿ども、口で言っても誰が長なのか理解出来ないんだ。それなら恐怖という形で体に擦りつけておく方が有効だろう? そうは思わないか」
「父さんは、そんなことしていなかった」
「親父は親父だ。お前から見れば、あの親父はさぞ立派に見えたろうな。デキソコナイの自分を最後まで擁護してくれたんだからな。あんな糞甘い判断、俺には理解出来なかったねえ。俺ならデキソコナイは即刻殺しちまうところだ」
ロムスがローの周りをグルグルと回り始めた。いつでもお前を殺す準備は出来ている、そんなことを間接的に伝えている。
「それで、何の用だ? 統治者なら足りているぜ」
「麓の村の家畜を食い殺している犯人は兄さんたちなんですね? なんでそんなことするんですか。父さんもそれは禁じていたでしょう?」
「腹が減っているからさ。それ以外に何の理由がある。親父が禁じていようとも、今はいないんだ。そんな決まりに何の意味がある?」
「この山で狩りをすれば事足りるでしょう? 今までだってそれでやってこられたんです。わざわざ村まで下りて行って家畜を食らう必要はないはずです!」
ロムスはローを見つめ、物憂げな表情をした。傍から見れば考えを改めたかのように見えるだろう。事実、ローもロムスのその表情に期待を抱いていた。だが、その期待は一瞬にして砕かれる。
「弟よ。こんなクズ共を使って狩りなんて出来ると思うか? こいつらはいつも俺の足を引っ張る。だから村まで下りて行って家畜を食らうのさ。苦労も何もねえ、最高だろう。たまに人間に見つかった時はここへ帰ってくれば、餌にありつける」
ロムスの言う餌とは、間違いなく群れの狼たちのことだろう。アルファの血を引く彼に、誰も適うはずがないのだ。今の彼らの怯えようからも容易に察することができる。
ローは込み上げてくる怒りを抑えた。冷静さを失えばどうしようもない。
「もう村の家畜を襲う事はやめてください。いつか彼らは怒ります。狼を駆逐すると言い出してもおかしくはありません。だから、そうなる前に群れをまとめてこの山で狩りをしてください。それが、群れのためにも、村の人たちのためにもなるのです」
ローの必死の嘆願だった。これ以上、アマラのいる村に迷惑をかけるわけにはいかない。正しく言うならば、アマラに迷惑をかけたくなかった。
「おいおい。やけに村の連中の肩を持つじゃないか。お前の大好きだった親父も嫌っていた人間のよ。さすがデキソコナイは言うことが違うぜ。甘すぎて反吐がでる。それによ、お前は誰に頼んでいるのか分かっているのか? 俺はこの群れの長だぞ? お前みたいなデキソコナイの、穢れたやつの命令なんて聞くかよ」
ロムスは一切聞く耳をもたない、といった風だ。その姿は、麓の森で出会ったカマラという男にそっくりだった。
呆れて言葉も出なかった。自らの生みの親であるアルファを侮辱するだけでなく、群れを己の食料としか見ていなかった。まさか、彼がこんな風になってしまうなど、誰が予想し得ただろうか。
「ほら、もう用は済んだだろう? 真っ白な俺と会話できただけでも良かったろう。真っ黒な穢れたお前なんかが触れて良い存在じゃあないんだ。あそこで怯えている奴らもそうさ。真っ白な俺に支配されて、幸せなのさ」
真っ白なロムスから、真っ黒な言葉が吐き捨てられた。ロムスは白という言葉の清純なイメージからは大きくかけ離れた存在だ。ローはとうとう込み上げてくる怒りに耐えきれなくなり、叫んだ。
「あなたに、この群れを統治する資格なんてない!」
「なんだと?」
ロムスの眉間に、深い皺が刻みこまれた。
「己の利益しか考えない、見た目ばかりに捕らわれているあなたに、群れを統治する資格はないと言ったんです!」
「黙れ、デキソコナイが!」
ロムスは大きな前足を振り上げ、ローに襲いかかった。ロムスのするどい爪がローの右目に当たり、深く抉れた。ローの血液が、真っ白な雪を赤く染める。
「穢れたデキソコナイの分際で、俺に向かって統治する資格がないだと? お前はいつからそんなに偉くなったんだ? 言ってみろ!」
ローは痛みのあまり、ロムスに返す言葉を放つことができない。それどころか、片目の視力を失ったため、バランスをとることすらままならない。
――ダメだ、殺される!
「もう、許さねえ。このまま俺たちの餌になっちまえよ。レムスお間が食っちまっても構わないぜ。こんな穢れたもの、口にしたくないからな!」
レムスが鼻を鳴らしながらローに近づいてくる。そして、大きく口を開けた。その時。一匹の狼の慟哭が雪山に響き渡った。
「オォォォアァア!」
レムスが悲鳴を上げて倒れたのだ。真っ赤な鮮血が辺りに霧のごとく撒き散らされた。なんと、遠くでこちらを眺めていた狼たちがレムスに襲いかかったのである。レムスは首を噛まれ、その後にも数匹の狼たちが彼の肉を食らった。
「ローさん、早く逃げてください! あなたが死んだら、誰が群れを助けてくれるのですか! さぁ、今は逃げてください!」
ローは狼狽した。咄嗟の出来事にまったく動くことが出来ない。
「お前ら、デキソコナイどもが。覚悟は出来ているんだろうな!」
ロムスの怒りが頂点に達したようだ。レムスに群がる狼たちを次々になぎ倒している。そんななかでも、ロムスはローを鋭い目で睨み続けている。次はお前だ。そんな恐怖のメッセージが、その鋭い眼には込められていた。
「早く! 早く逃げてください!」
数匹の狼がロムスに飛びかかるも、瞬時にして払いのけられた。
そして、急所を噛まれ次々に倒れていった。その様子に恐怖したローは急いで駆けていった。ロムスという強大な存在を前に、恐怖という抗うことの出来ぬ感情に支配された。
――逃げなきゃ殺される!
彼は必死で逃げた。
背後から聞こえる叫びも、唸り声も、すべてを振り払い逃げた。
この時、アマラの気持ちが分かったような気がしていた。彼らの叫びは、苦痛に満ちていた。これを聞き続けていれば、いずれ発狂してしまうだろう。アマラは常にこの恐怖に耐え続けていたのだ。
ローの逃げた後には、ルビーにも似た血痕が点々と残されていた。




