Roar 4
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洞穴の外から微かな陽光が差し込む頃、ローは、はっとして目を覚ました。夢とは思えぬほどに鮮明に描かれた夢だった。
「ああ……見たくないものを見ちゃったよ」
ローはその場で上体を起こし、首を振った。そして、むっくりと起き上がり、ローは人間でいう背伸びの動作をした。 ふと足元に目をやると、アマラが寝息をたてて眠っていた。余程疲れていたと見える。アマラの寝顔を見ていると、さっきの悪夢は音もなく消え去った。
昨夜は暗くて確認することが出来なかったが、帽子からはみ出した彼女の髪は金色に輝いていた。その美しさが、ローの心を清らかなものとした。アマラは本当に不思議な少女である。ただの命知らずと言えばそれまでだが、狼を目の前にしても臆することなく近づき、こうして一夜を共にした。なにより、狼と会話が出来るというところが驚きだ。
ローは洞穴を出ると、もう一度背伸びをして太陽の光を浴びた。
彼にとって、これほどまでに清々しい朝は今までになかった。朝目を覚ましても孤独だった。彼に心休まる時なんて、一度たりともなかった。月を眺めている時も例外ではない。いつ、過去に仲間であった狼たちに襲われるか、いつ人間に撃ち殺されるのか。彼はいつも孤独と身の危険に震えていた。
彼が舌を出して大きな欠伸をしていると、洞穴の中から眠たげな目をしたアマラが金色に輝く髪をポリポリとかきながら出てきた。
彼女の髪は、太陽の光で月の様に輝いて見える。
「おはよう、ロー」
「おはよう」
こんな挨拶を交わすことも、彼にとっては久しかった。群れを追い出されてからというもの、誰とも口をきいていなかったのだから当然と言えば当然のことだ。
「お腹すいた」
「起きて早々にそれかよ」
ローは呆れた風に鼻で笑った。実を言うところ、ロー自身も空腹だった。自分からこの話を切り出そうとしていたところに、アマラが都合よく切り出してくれたのだ。
「仕方ない。獲物が見つかるかは分からないが、何か狩ってくるか」
「ちょっと待って」
アマラは素早くローの前へ回り込み、彼を睨みつけた。その眼光は少女とは思えぬ、強い意志に満ちていた。ローは思わず後ずさりをした。
「なんだよ」
「狩ってくるっていうことは、生きている動物を殺すんだよね?」
「当り前じゃないか」
「イヤ!」
その声は、彼が今まで聞いた中で一番大きな音だった。大地が震えたような気さえした。
「な、何だよ。アマラが腹が減ったって言うから、狩りに行こうって言っているんじゃないか」
「それだけは嫌! 生きた動物を殺すなんてダメ!」
その言葉は、常に弱肉強食の世界に生きてきた彼にとって、考えられないことだった。食わなければ食われる、そんな世界にいないから甘い事が言えるのだ、と彼は思った。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
「麓の方の森まで降りていけばキノコくらいはあるわ。それを採りに行きましょうよ」
麓といえば、人間たちが住む村の間近だ。麓には森があるため、確かに食料は大量にあるだろうが、人間に狩られるという多大なリスクが伴う。食料を取るか、命を取るかそんな選択だ。
「俺が逆に人間の食料になるかもしれないじゃないか」
「大丈夫よ、私がいるもの」
「不安だな」
ローのその不安はもっともなものだ。人間が傍についているからといっても狼をペットとは思わないだろうし、そのまま射殺されても全然おかしいことではない。人間たちにとって、狼は敵でしかない。だが、ローはアマラの真剣な眼差しに心を打たれ、彼女の提案に従うことにした。
「仕方ない。頼むから人間が現れたら説得してくれよ」
「分かってるって!」
アマラの笑顔はとても無邪気で、根拠がないと分かりきっていることでも信じられる、そんな魔力が込められていた。
ローとアマラは麓の森を目指して歩き始めた。ローだけならば、さっさと山を下って行くのだが、今回はアマラがいるためそうはいかない。それともう一つ、彼が足を速めない理由があった。それは、アマラと一分一秒でも長く過ごしたいという願望があるからだ。孤独の闇から救い出してくれたアマラをとても大事に思っていた。だからこそ、さっきの提案も受け入れられた。
「ねえ、もっと早く行こうよ。このままじゃ飢え死にしちゃうよ」
「これが俺の普段のペースなんだ。アマラが麓まで行こう、なんて提案をしなければ適当な獲物を捕まえられたんだぞ? それに俺が走ったら、ついて来られないだろう」
「うう」
アマラは寂しげな表情を浮かべた。みるみるうちに彼女の眼に涙が溜まっていく。その表情がローの心を強引に突き動かした。
「仕方ない。背中に乗れよ」
アマラの顔がパッと明るくなった。さっきまで溜まっていた涙はいつの間にかどこかへ消え去っていた。
「じゃあ遠慮なく!」
そう言うとアマラはローの背中へ飛び乗った。ローは毛色こそアルファと違い真っ黒でも、大きさも力もアルファそっくりだ。厳しい世界で生きてきていたため、肉体はさらに強化されている。大人が跨るとすれば難しいが小さな少女くらいなら軽々と乗せられる。
「しっかり掴まっていろよ」
ローは神風のごとく走りだした。たくましい四本の脚で蹴りあげられた雪は、太陽に照らされダイアモンドの様に輝き散った。儚いものほど美しいという言葉は本当のようだ。
「早い早い!」
絶叫マシンに初めて乗った子供のような声でアマラが叫んでいる。 もちろん恐怖からくる叫びではなく、歓喜の叫びだ。これだけ喜んでもらえれば、ローも本望だろう。
そうして、歓喜の叫びを纏った神風は山を下って行った。




