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黒い咆哮  作者: 要徹
2/11

Roar 2

 横書きが読みにくい場合、縦書きに変換してお読みください。

 真っ黒な狼、ローは虎視眈々と獲物を狙っている。

 標的は丸々と肥えたヘラジカだ。見た目からして、老齢なヘラジカであることは確かだ。だが、捕獲できる可能性は限りなくゼロに近い。そもそも、狼とは群れで狩りをする動物だ。一匹で獲物を仕留めることは不可能に近い。そのため、彼は群れを追い出されてからというもの、何度も飢えに喘いだことがある。

 ――久しぶりの獲物なんだ。悪く思うなよ。

 ローは物陰から飛び出し、ヘラジカ目掛けて走り出した。ヘラジカはローに気付いたのか、全速力で逃げだした。ローは逃がすまいと更にスピードを上げた。ヘラジカとの距離はみるみるうちに縮まり、飛びかかれば捕獲出来るほどに近づいた。

 その時である。ズドンという爆発音が二回聞こえたかと思うと、目の前のヘラジカが倒れ伏した。ローは即座にその場から立ち去り、また物陰へと隠れた。

 ――横取りされた。

 物陰からヘラジカを眺めていると、そこへ真っ黒な服に身を包んだ人間二人がやってきた。両方とも、右手に黒く鈍く光る猟銃を持っている。ヘラジカは鉛の制裁を受けたのだ。

「あーあ。狼の方は逃がしちまった。村の奴らにどやされるぞ。俺は知らないからな」

「うるさいな。狼はすばしっこいんだ。ヘラジカを仕留めた程度でいい気になるんじゃない」

「はん。仕留められないよりはマシだ。それより、これを持って帰ったらまたあいつがキーキー騒ぐんだろうな」

「そんなこと気にするな。食わなきゃ生きていけないんだ」

 男は舌打ちをすると、懐からナイフを取り出しヘラジカを解体し始めた。ローはその光景を唾を飲み込みながら、物陰から黙って見つめていた。

「よおし。これくらいでいいだろう」

「これ以上は持ちきれないしな。もっと人を連れてくるんだったぜ。そうすれば角も持って帰ることが出来た」

 男はどっこいせ、と言葉を発し、ヘラジカの肉を背負った。

「これで当面は生き延びられるな」

「あぁ、だが油断は禁物だ。狩りには毎日出掛けないと。いつ何時何が起こるか分かりゃあしない」

「そうだな。今日はもう遅いし、早めに村へ帰ろう。遭難なんてしたら笑いごとじゃないからな」

「はは。そりゃあそうだ」

 男たちは大きな笑い声を上げながら下山していった。彼らの去った後には、ヘラジカの角と骨、わずかばかりの肉が放置されていた。

 ローは物陰から現れ、肉の方へと歩いて行った。

「もう少しで仕留められたっていうのに」

 そんな愚痴をこぼしながら、わずかに残った肉を貪り始めた。所詮は人間が取りこぼした肉だ。食べきるまでに時間はかからないし、満腹にもならない。それを食べ終わるまでに一分とかからなかった。

 人間たちのおこぼれを食べ終えると、ローはある場所を目指して山を登り始めた。これが彼の日課なのだ。群れを追われた時から毎日そこへ通っていた。さっき横取りされたヘラジカも、そこへ向かう際に偶然発見したのだ。

 その場所とは、月が何物にも遮られずに見ることのできる場所だ。

この山では、木や他の山々が邪魔をして、光こそ届くものの、普通の方法では月を眺めることが出来ない。だが、今ローが向かっている場所だけは例外なのだ。

「はー、やっと到着だ」

 ローが到着した頃には、辺りには漆黒のカーテンが降ろされていた。しかし、その場所だけは月や星々の光に照らされ、雪が淡い光を帯びて輝いていた。

 ローは進むことのできる限界まで前へ進み、天を仰いだ。そして、聞くものすべてを震え上がらせるような恐怖の、涙を誘うような哀愁を帯びた遠吠えをした。二度三度遠吠えをすると、彼はそこに座り込み月に話しかけた。

「こんばんは。今日はほんのちょっとの肉しか食べられなかったよ。お腹がすいて仕方がないよ。こんなにも食料にありつけないのは、僕が黒いからなのかな」

 月は何も答えない。寂しげな微笑を浮かべるだけだ。

「君がうらやましいよ。僕の父さんよりも輝いている。真っ白よりも、もっと高貴な色だ。僕も君みたいに輝いていたなら、あそこで幸せに暮らせたのかな。もっと好かれていたのかな」

 月が彼を優しく照らす。まるで彼を優しく抱擁するかのように、月明かりがローを包む。

「所詮ないものねだりだよね。本当に君には助けられてばっかりだよ。群れを追い出された時も僕を励ましてくれて、今もこうやって愚痴を文句一つ言わずに聞いてくれている。君がいなければ、僕は死んでいたかもしれない」

 ローは一つため息をつくと、その場で丸まり考えた。

 どうすれば群れに戻れるのか、どうすれば月の様に輝くことが出来るのか、どうすれば忌み嫌う色を消すことが出来るのか。

 ローが目を瞑ると、何やら物音がした。雪の上を歩いてくる音だ。

ローは起き上がり、月とは逆の方を向くと、ゆらゆらと火の玉がこちらへ向かってくるではないか。人魂ではない。周囲の闇と同化して見づらいが、真っ黒な服を着た小柄な人間がこちらへ向かって歩いてきている。ゆっくりと辺りが松明の光に照らされていく。

 ローは身構え、攻撃の体勢を整えた。あの時のヘラジカのようになってしまうのか、そう考えると震えが止まらなかった。だが、それは杞憂に終わった。向かってくる人間は小さな少女だったのだ。こちらに気付いたのか、少女は松明を片手に、目を大きく見開いたまま微動だにしない。ローの感じていた恐怖はいつの間にか消えていた。

 ――あいつ、真っ黒な服を着ているな。そうか、あいつが父さんたちの嫌う存在なのか。腹も減っているし、丁度良い。

 攻撃の体勢を崩さず、じわじわと少女の方へと歩み寄った。少女は逃げようとしない。恐怖で固まっているのだろうか。ローは体勢を低くし、飛び付く準備を整えた。

 ――今だっ!

 ローは一気に腰を落とし、少女に向かって飛びかかった。

 その瞬間。

「ひゃっ」

 ローの突然の襲撃に驚いたのか、少女は松明をローに向かって投げつけた。松明はローの背中に直撃し、毛に火がついた。

「熱い! 消えろ、消えろよ!」

 ローはその場でのた打ち回った。周囲一帯が雪だったおかげか、背中の火はすぐに鎮火した。松明で明るかった世界は、また月の光一色に染められた。

「し、死ぬかと思った。くそ、謝れこの野郎!」

 どうせ分かるはずもない言葉を少女に投げかけた。

 彼の予想通り、彼女は何も答えない。ただこちらをじっと見つめているだけだ。突然の襲撃で放心状態なのだろう。

「聞いているのかよ!」

 また少女は何も答えないと思った。だが、少女の反応はローの思っていたものと違った。

「聞いてるよ。ごめん、ごめんね。熱かったでしょう」

 さっさとローの言葉を無視して去っていくだろうと予想していたのだが、少女は雪の上で倒れているローに近寄り語りかけたのだ。

「は? お前、俺の言葉が分かるのか?」

「分かるよ。はっきりとね」

 ローは唖然とした。まったく意味が分からなかった。逃げることも襲うことも忘れて、その場で少女を見つめ続けた。

 少女は、腰にぶら下げていた麻袋から液体の入った小さな瓶を取り出し、布にその液体を染み込ませ彼に近付けた。液体を染み込ませた布は、何とも形容し難い臭いを発している。

「やめろよ! 変なものを近づけるな!」

 身の危険を感じたローは、飛びあがり、後ずさりをした。液体から漂う香りとその色が、さらに彼の身を引かせた。

「変なものだなんて、失礼ね。これは火傷の薬よ。火傷をさせたのは私なんだから、せめて治療くらいさせてよ」

 完全に調子が狂ってしまったローは、その場に座り込んだ。観念したと言っても良い。

「素直でよろしい」

「さっき俺が飛びかかったばかりなのに、なんて立ち直りの早い女だよ。人間とは思えない」

「あの時はあの時。今は今なのよ」

 ふん、と自慢げに鼻を鳴らし、再びローの方へ歩み寄った。そして、液体の染み込んだ布を彼の火傷の傷へあてた。毛だらけのなか、火傷を探すのは至難の業のように思われるが、発火した部分だけ禿げているため、とても分かりやすい。

「痛い!」

「我慢してよ! あんた雄でしょう。しゃんとしなさいよ!」

 少女の気の強さに、ローはしばし呆れた。少女は、狼が傍にいるということが認識できていないのかと思わせるほどに堂々としている。

「はい、完了!」

 軽い火傷だったからか、薬を塗った瞬間から痛みはひいてきていた。治療の間に、ローは冷静さを取り戻したようだ。

「お前、何で俺の言葉が分かるんだ? 俺は狼だぞ」

「何よ、狼の言葉が分かったらダメだって言うの?」

 少女は赤く染まった頬を膨らませ、拗ねた風な表情をした。赤く染まる頬が愛しく感じられる。

「誰もそんなことは言ってないだろう」

「まったく、教えてもらう態度ってものがあるでしょう」

 なんて女だ、とローは思った。彼が今までに遭遇したことのない特異な少女だ。

「何で俺の言葉が理解出来るのですか。教えてください」

「さあね。私にもよく分からない」

「なんだよそれ」

 彼は肩透かしを食らったような気分になっていた。

「あなた、何でこんな所にいるの? 仲間は? 狼って、群れで生活しているとばっかり思っていたわ」

 少女の何気ない言葉が彼に突き刺さった。

「あら? 聞いちゃダメだったかしら。そういえば、あなたの毛色って真っ黒なんだね。この辺で真っ黒な毛色の狼なんて初めて見た」

 少女はローの真っ黒な毛を撫でた。ふさふさとした手触りがとても心地よい。

「そりゃあ、俺一匹だけだからな」

「あぁ、そうなんだ」

 何とも言えない、気の抜けた返事だ。

「じゃあ、最高に珍しい狼ってことね。そんなのに出会えた私って運がいいなぁ」

 少女の顔は歓喜に満ちている。

 ローは少女の反応に少々とまどった。過去に、自分のことを蔑まない存在など、父と母しかいなかったからだ。

「なんだよ、穢れているって思わないのか?」

「そんなこと言ったら、私だって穢れているってことになるじゃない。そんなの御免だわ」

 そりゃあそうだ、とローは心の中で納得していた。

「第一、黒が穢れているなんて誰が決めたのよ。そんな勝手な妄想で穢れているなんて決められたくないわね」

「お前は強いなぁ」

 ローは、サクサクと雪の上を歩き、月の出ている方へと歩いて行った。そして、月を見上げた。金色の空の舞台では、はらはらと雪が乱舞している。

「あなた、もしかして毛色が黒っていうのがコンプレックスだったりするの? 群れにいないのも、それが原因だったりして」

「出会ったばかりの人間に話すようなことじゃないだろう」

 図星を指されたローは、少し声量を小さくして言った。

「あら、じゃあ今は聞かないでおくわ。けど、今の様子じゃ図星だったようね」

 彼女は笑いながらローの隣へと腰を下ろし、彼女も月を見上げた。

「綺麗ね」

 空は雲一つなく、月は静かに一匹と一人を優しい金色の光で照らしている。ゆっくりとした時間が彼らを包む。

「お前は、こんな所に何の用なんだよ」

「あたし?」

「お前以外に誰がいるんだよ」

「あら、誰かいるかもしれないじゃない」

 少女は辺りを見回してみるが、当然のごとく人一人いない。仕切り直し、と言わんばかりの態度でローの質問に答えた。

「家出してきたのよ。村のみんなが、あたしのことを出来損ないだなんて言うから」

「そんなくだらない理由で家出してきただって。こりゃあ笑えるね」

 口元を歪め、笑ってみるが、心の中ではうんうん、と相槌をうっていた。今の自分もほぼ同じ境遇にいるからだ。

「そんなこととは何よ。割と深刻なんだからね」

 少女は薄紅に染まった頬を膨らませている。

「で、何で出来損ないだなんて言われたんだよ。見たところ、糸を紡ぐくらいは出来そうだけど」

 ローのこの言葉は皮肉のつもりであったが、少女はそれにまったく気付いていないようだ。

「出会ったばかりの狼に話すようなことじゃありません」

 少女は、さっきローに言われたことをそのまま返した。ローはやられた、といった風な顔をしている。一匹と一人は、顔を見合せ笑った。ローは久しぶりに心を許せる存在に出会った気がした。

「はは。それで、これからどうするつもりだよ」

「ん? 泊まる所なんてないし、ここにでも泊まろうかしら」

「おいおい、それは無理だろう。凍死しちまうぞ」

 ローの意見は正しかった。こんなところで泊まるなど自殺行為に等しい。あまりにも無知な発言だ。しかし、少女の次の一言でローの意見は覆された。

「そうでもないんじゃないかしら。あなたにも寝床があるでしょうし、それに良い毛布があるじゃない」

 少女の視線はローの方に向けられている。その視線の先には、真っ黒なふかふかとした毛布がこちらを見ている。これさえあれば凍死の心配なんてないだろう。

「俺のことか。まぁいいさ。今夜一晩だけだからな。それだけは頭に入れておけよ」

「はあい」

 また気の抜けるような返事だ。何も考えていないようで、とても思慮深い。

「そうだ、お前の名前は?」

「私はアマラ。もう分かっているでしょうけど、麓の村に住んでいるわ。あなたは? 真っ黒な狼さん」

「俺はローだ」

「そう、ローね。短い間だけどよろしくね。握手をしたいところだけど、無理そうね」

「ああ、そりゃあ無理だ」

 ローとアマラはまた互いに笑いあい、彼の寝床へと歩を進めた。

 ローの寝床は、月の見える丘から少し降りた所の洞穴だ。中は独特の臭いが漂い、真っ暗で、月の光さえも届かない。

「じめじめしてて、真っ暗。それに、何? この何とも言えない臭い。すごく変なんだけど」

「文句を言うなよ。寒さが少しでも防げるだけありがたいと思ってくれないと困るぜ」

「それじゃあ、早速だけど寝かせてもらってもいいかしら? 今日は歩き続けて疲れちゃって」

 アマラは、洞穴の一番奥へと進み、その場に寝転がった。そして、ローの方に手招きをした。毛布になれ、という意味だろう。ローは黙ってアマラの方へ行き、彼女の体に寄り添った。もちろん、ローが洞穴の入口に近い位置にいる。

「あったかい、あったかい」

 アマラは安心したのか、さっさと眠りについてしまった。

「しようがないやつだな。俺も眠るとしようか」

 ローは大きな欠伸を一つして、目を閉じた。

 ローにとって、今日という日は最高に嬉しい日だった。夜空に浮かぶ月以外に、自分の存在を否定しない人物に出会い、語り合える相手が出来たのだ。今までの孤独な生活から抜け出せた、そんな気がしていた。今夜だけ、とは言ったものの、これからも一緒にいたい、そんな気持ちが彼に生じていた。そして、ローは睡眠の淵へと飲みこまれていった。

 酷寒の地に、暖かな心が芽生えた。


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