48.
白く染まった研究棟の通路に、低く唸るような警報音が響く。銃声も、叫び声も、今はもう遠い。硝煙の残り香だけが空気を満たす中、二人の影がゆっくりと向かい合った。
ひとりは、金色の瞳を持つ少年の姿――もはや人の限界を超えた、怪物だった。もうひとりは、冷たい瞳に狂気を宿した創造主――今はもう研究者の面影すら薄れ、乱れた黒髪に薬の余韻を漂わせていた。
「…君はまだ、怒っているのか。私に、世界に、運命に」
ナシフの声は冷静だった。だがその瞳の奥には、崩壊寸前の理性がちらついていた。
「怒ってなんかいないよ」
レンは、優しく笑った。いつもの無邪気さで、けれど――その声の奥には静かな凶暴さが滲んでいた。
「……ただね。僕は、君に聞きたいだけなんだ。なぜ、僕たちを作った?」
ナシフの唇がわずかに動いた。だが、返す言葉はすぐには出なかった。
「R.E.N.計画。Reconstructive Evolution for the Newborn――“新生のための進化的再構築”。僕の番号は、君が決めた。君が与えたんだよね。ねぇ、あれはただの実験だった?人類を次の段階に進めるための、ただの器だった?」
「……君が生き残るとは、想定していなかった。それだけのことだ」
「そう……。そうだよね。でも、僕は生きた。君たちが殺したかった子どもたちのなかで、唯一、適応してしまった」
レンの目が、金色に輝きを増していく。怒りも、憎しみもない。あるのは――虚無と、覚悟。
「君が壊したんだよ。僕の全部。人を信じる心も、他人に触れる感覚も、生きることへの希望も――全部、君が壊した」
ナシフの喉がごくりと鳴る。その瞬間、レンの足が――音もなく床を蹴った。
「なのに、なんでサラを――僕の大切な人を、同じように壊そうとしたの?」
「……彼女は、私の聖母だった。君には理解できまい。あの眼差しを向けられて、何も感じない者などいない」
「――君が言うのか、それを」
レンの笑みが、すっと消えた。代わりに、目の奥で何かが目覚めた。
「君にだけは、サラの名前を呼ばせない。僕は、もう実験体じゃない。君が壊した僕の命で、今度は――君を、終わらせる」
そして、空気が震えた。爆発のような気配とともに、レンの体が金色の光を帯び始める。封印された感情共鳴が、限界を越えて――本能として暴走する
ナシフの口元が、わずかに笑った。
「……よかろう。ならばこの命、君に試させてやる。
その怒りが、どこまで進化したのか――見せてみろ、Specimen R.E.N.」
亀裂の走った床に血の跡。冷却液が天井からぽたぽたと滴る中、金色の瞳と金色の瞳が、ゆっくりと向き合う。
ナシフは薄く笑みを浮かべた。
「成功例がこうも反抗的とは、皮肉だね」
「……君が僕を造ったんだろ?」
レンはゆっくり歩きながら、目を細めた。
「だったら、君ごと——壊して、終わらせる」
電撃のように地を蹴った瞬間、空気が歪む。レンの拳が閃光となってナシフに迫る!
しかし、ナシフは一歩も動かず、指先の神経スーツが稲妻のようなバリアを展開。弾かれる音とともに火花が散る。
「なるほど。感情共鳴による出力上昇……やはりサラは、君の『核』になったか」
「サラの名前を、軽々しく口にするな」
ズン!!
レンの拳が再びナシフの胸元をえぐる!床が砕け、ナシフは数メートル後方へ吹き飛ばされるが、着地と同時に体勢を立て直す。
「自我を持ち、愛を知り、怒りに震える。まったくもって、僕の予想を超えてくれたなぁ……っ!」
ナシフの瞳が見開かれ、制御モジュールを無理やり破棄。
背後から神経駆動式ドローンが複数展開し、一斉に火線を放つ!
ガガガガガガッ!!
銃声と炸裂音の中、レンは両腕で身を守る。スーツの一部が破れ、焼け焦げた皮膚が露わになる——けれど、その下から、うっすらと黒い紋様が浮かび上がっていた。
「……ふむ。痛いな」
「でも、僕の怒りは、もっと痛いよ」
ズドンッ!!
電撃が爆発のように周囲を破壊し、レンの背後に光輪のような共鳴場が現れる。髪が逆立ち、目が眩しく輝く。
「僕は……奪われるために生まれたんじゃない。サラを取り戻す。そのために、君を越える」
ナシフは、初めて眉をひそめた。
「なら、見せてみろ——創造主を喰らう、その進化とやらを!」
天井が崩れ落ちる寸前、レンは一瞬でナシフの懐に踏み込み、右ストレートを放つ。
バンッ!
ナシフの脇腹に深くめり込む拳。骨の軋む音。しかし――ナシフは笑っていた。
「痛みは……いいね。生を感じる。君の怒りが、こんなにも純粋だとは」
その瞬間、ナシフの背後から伸びる複数のコードが床に突き刺さる。ドローンとは異なる、生体反応を持つ兵器群——人造神経体がレンを取り囲む。
「僕の神経に直結した共生兵装だ。これでもう、君は逃げられない」
コードが一斉に蠢き、レンの四肢を絡め取った。締め上げるような電流が肌を焼き、血管が浮かび上がる。
「……ッ! こんなもん、何本あったって……」
レンの両目が、かすかに赤く染まる。感情共鳴が、制御を超えて暴走する――
「返せよ……」
声が、低く震える。
「サラを…僕の世界を……返せって言ってんだよ!!!!!」
怒号とともに、全身から金の閃光が弾ける。その瞬間、絡みついていた神経体が全て引き千切られ、爆ぜる!
ナシフが目を見開く。
「ば、馬鹿な……!」
「僕は……僕はね……」
レンの瞳に宿る光は、もはや人間のものではなかった。
「君を超えるために生まれたんじゃない。君を——壊すために生まれたんだ」
地面を踏みしめたレンの足元が砕け、雷鳴のような衝撃が走る。
――「これは……覚醒だ……」
全身に流れるのは、過去。痛み。喪失。絶望。そして、サラの手のぬくもり。
「僕の世界に……彼女がいないなんて、ありえないから」
レンが跳んだ瞬間、周囲の重力が反転したかのように床が盛り上がり、その拳が、ナシフの顔面に寸分の狂いもなく叩き込まれた。
ドッ!!
ナシフの体が空中で何度も回転し、壁にめり込む。崩れ落ちる天井。鳴り止まない警報。その最中、ナシフの口元がかすかに歪んだ。
「……なるほど。君の進化は……ここから始まるのか」
血を流しながらもなお、ナシフの目には哀しみとも歓喜ともつかぬ光が宿っていた。




