エピローグ
命からがら俺たちは黄金壮に戻った。
気象庁の発表だと地震は震度7、トカラ列島の神照島沖合15㎞地点、震源の深さは12㎞ということだった。まさに生きて帰れたのが奇跡ともいうべき天災だった。
その夜は俺も舞蘭も夕食を取るとすぐに寝てしまった。疲れもあったがショックの方が大きかった。助かったことは良かったのだが、逃した魚の大きさからの失望感があったことは否めない。
そして翌日、俺たちは鹿児島を午前11時の船で帰途につくことになる。
いや、俺たちと言うと語弊がある。江南は槇原と相談の上、しばらく島に残ることとなった。彼女も東京に戻ることは必要なのだが、もう少しこの島で今後のことを打ち合わせするそうだ。そういうわけで俺が舞蘭のお世話係となる。
朝食後、食堂で江南と打ち合わせをする。
「長谷川さん、そういうわけですから、舞蘭のこと、よろしくお願いします」
「わかりました」
「それと弥生さんから連絡が入っています」
「弥生さん?」
「守須弥生さん、舞蘭のお母上です」
「ああ、はい」
舞蘭の母親は世界的にも有名な芸術家だ。
「今後は弥生さんの活動場所をニューヨークにするそうです。それで舞蘭もアメリカで暮らすことになりました」
「そうなんですか」
「そうです。ですから鹿児島空港まで送っていってください。舞蘭は羽田経由でニューヨークに行きます」
いきなりニューヨークとはスケールが違う。
「わかりました。それで江南さんはどうなさるんですか?」
「一度に色んな事が分かって頭が混乱しています。槇原さんとこれからどうするか一緒に考えていきます」
「そうですか……」
まあ。そうだろうな。俺がそうだとしても、すぐに結論を出せるものでもないのはわかる。
鹿児島県警の連中はまだまだ捜査が必要だと、毎日動き回っていたが、俺たちが島を離れると聞いて、島田警部が挨拶に来た。
「今日、帰るそうだな」
「はい、東京に仕事がありますので」
「そうか、色々ありがとな。守須さんにもよろしく言ってくれ」
自分で伝えればいいと思うが、子供相手に遠慮があるのか。それでも鬼瓦にしては殊勝な対応に見える。
江南は前頭港まで見送りに来てくれた。もちろん隣には槇原医師もいた。出航時に二人が笑顔で手を振ってくれたのでほっとする。これからあの親子に幸多きことを望むしかない。
ただ、悪いことばかりではない。まず帰りの便では江南の代わりに特等室になった。舞蘭と同室だが、まあ俺が子豚を襲うことは考えられない。ツインベッドでホテルのスイートルーム張りの船室だった。あの地獄の2等船室を思うと夢のようだ。
船に乗ると舞蘭が言った。
「長谷川、実は私は鹿児島からアメリカに行くことになった」
「ああ、江南から聞いた」
「弥生がアメリカに戻るそうだ。やはりニューヨークの方が仕事がしやすいらしい」
舞蘭の母親、守須弥生は世界的な芸術家だ。さらに日本よりも海外の方が人気だと言う。納得できる話だ。
「舞蘭はそれでいいのか?」
舞蘭は少しだけ上目遣いになる。
「仕方ないな。それとアメリカの方が私には合う気もする」
なるほどギフテッドにはそれがいいのかもしれない。
「でも舞蘭は同世代の友達を作った方が良いと思うぞ。だから学校には行ったほうがいい」
舞蘭はじっと俺を見る。
「学校にはいやな奴も多いが、いい友達もできるかもしれない。それこそ一生付き合える友人と出会える可能性だってある。友達によっては舞蘭の人生が変わるかもしれない」
「お前の言うことに根拠は無いな」
「まあ、そう言うな。可能性の話だ。俺はあると思うぞ。舞蘭はいい子だ。事件についても警察には真実を話さなかっただろ。槇原医師のことを考えての配慮だよな。あんなことができるのは本当に優しい子だ」
「そうか……」
初めて俺の意見を舞蘭が受け入れたかもしれない。
「鹿児島港に着くまでにけっこう時間があるな」
「そうだな。明日の早朝らしいぞ。ああ、ところで副編の許可は下りたのか?」
「ああ、そうなんだ。埋蔵金ルポはいいから、ミステリーに仕上げろと言って来たよ」
舞蘭の目がきらりと光った。
「そうか、よし、じゃあこれから小説に仕上げていけ、私が添削する」
ま、まじか、なんか編集者より怖い気がする。
その時の俺の勘は正しかった。いつもの鬼の編集者が天使に見えるほどの舞蘭の鋭い突っ込みと添削の嵐だった。どう考えても舞蘭が書いた方が早い気がするが、彼女はそれを許さない。これは長谷川の小説だと叱咤激励する。それからは眠ることも許されず、書き続けさせられた。元々筆が遅く、原稿用紙1枚に一日かかることもざらにある。そんな俺にはありえないペースだった。
この最後の航海で間違いなく5㎏は痩せたはずだ。
それでもなんとか鹿児島港に着く頃には、アウトラインまでは完成できた。舞蘭のおかげでなかなかの出来だと思う。
鹿児島港には地震の余波もあったのか、若干遅れて着いた。
鹿児島空港からの飛行機の時間もあって、タクシーで空港まで急ぐ。
そうして鹿児島空港にはなんとか時間前につけた。
「長谷川、私は羽田経由のニューヨーク便だ。ここでお別れだな」
俺はもちろん成田空港行の格安LLC便だ。
「舞蘭、元気でな。お前の活躍を心から望んでるぞ」
舞蘭は俺をじっと見るが、振り返ると何も言わずにゲートの方に歩いて行く。
その後ろ姿はどこか寂しげに見える。
こうして見ると、ひょこひょことあの子ブタのような後ろ姿が、どこか懐かしくもある。
舞蘭、元気でな。
すると舞蘭が突然、立止まった。あれ、どうしたんだ。
振り返った舞蘭は真っ赤な顔で、顔中涙で濡らしていた。いったいどうした?
俺のところまで走ってくると、体当たりをした。どーーーーん、いててて。
そうして俺の胸を何回も拳で叩く。
「はせがわああああ、ここは行くなだろ。お前は女心がわかってない!」
顔中、涙と鼻水でぐしょぐしょにした舞蘭が叫ぶ。
周囲の人間が驚いてみている。
「お前は私と別れて平気なのか!」
俺はこういうのに慣れていない。子供の扱いも初めてだし、11歳の女性にどう対処していいかがまったくわからない。
舞蘭はひきつけを起こしそうになって泣いている。
困りに困って、俺は舞蘭の頭をなでる。
「舞蘭、俺は行くなとは言えない。舞蘭はニューヨークで良いことが待ってるはずだ」
舞蘭は泣き続ける。
「そうだ。舞蘭が手伝ってくれた俺の本がもし売れたら、その金でニューヨークに会いに行くよ」
舞蘭が上目遣いで見る。
「ほんとか……」
「ああ、約束する」
「絶対だぞ」
俺は笑顔で答える。売れたらな。ニューヨークまでいくらかかるかわからないが……。
フライトが迫っているので舞蘭を行かせる。
とぼとぼと歩く舞蘭が再び途中で振り返った。
舞蘭の笑顔が天使のそれに見えた。
了
いかがでしたか、長谷川真治の3作目です。たくさん読んでくれれば彼もニューヨークに行くことができます。みなさんよろしくお願いします。




