第2話 常連客
丸一年、アルバイトとVtuberの活動を繰り返していると、休日という概念は完全になくなった。
同じ姿勢を続けること、約2時間。
私は一呼吸置いて、ゆっくり背を伸ばす。
「はー!今日も楽しかった!おつくら〜!」
薄暗い部屋の中、パソコンの前で手を振り、最後の挨拶を終える。配信終了の表示を確認し、海月 のひめを眠らせた。
現在の時刻は午後十時三十分。急いで機材をしまい、コンビニの制服を着てから、それを隠すようにパーカーを羽織る。
最低限の貴重品が入ったショルダーバッグを肩にかけ、家を出た。
徒歩十分ほど歩けば、お馴染みのコンビニに着く。
今からは、コンビニ店員の三浦 海美としての一日が始まる。
睡眠不足では決してないが、やはりVtuberの活動を終えた直後は、喉の消耗や凝り固まった身体が辛く感じる。
欠伸を噛み締めて堪えていると、いつの間にかあの常連客が店内の中にいた。
しまった。声をかけそびれてしまった。
大したミスではないが、個人的にかなりショックだ。
彼のことを恋愛対象として見ているわけではない。
何故かというと、彼はたまに、芸能人の肩を並べるほどの恵まれた容姿をした、えらく可愛い女を、腕に巻きつけて連れてくるからだ。
あわよくばという期待は当の昔に砕かれているものの、せめて数秒の会話くらいはさせていただきたい。
しばらくしてから、例の常連客は私が担当するレジに来た。
いつも買っていく商品は大体同じ。
お弁当と飲み物と、あとデザートに食べようとしているのかヨーグルトをいくつか。
「あれ、これって…」
しかし、今日はいつもと見慣れない商品を見つけ、無意識に呟いてしまった。
大手製菓会社と大手Vtuber事務所がコラボし、特別パッケージになっているスナック菓子。
おまけに所属しているVtuberたちのクリアカード付録付き。
ここの事務所で特に人気なのが、黒髪でウルフヘアの見た目をした“ノワール・シャーロック”という男性Vtuber。
以前、大規模なオンラインゲームで、さまざまな活動者との交流の場を作っていただいた時に、彼とやり取りをしたことがある。
が、彼は男性Vtuberの中でも、絶大な女性人気を誇っており、指先ほどの関わりだけでも、アンチコメントでコメント欄を占拠された記憶は新しい。
声もいいし、空気も読めるし、ゲームの腕前もプロゲーマーに匹敵すると評判だから、女性が彼に惹かれるのは必然か。
「あ…、知っ…てます?」
「えっ?」
常連客が、気まずそうな顔をしている。
ここは「私もこのVtuber好きなんです」とか言って、趣味が合いますねなんて話を弾ませたい。
私の本能は、この常連客との共通点を求めているが、理性はそうもいかなかった。
もし、彼が超コアなVtuberファンで、私“海月 のひめ”の配信も視聴していたら…。
最悪な事態が容易に想像できる。
「いや、この…これ、凄い人気なんですよね!さっきも何個か買っていく人がいまして!有名なアニメ…とかなんですかね!?」
「…そうですか」
そうですか、とは…?
噛み合っていない会話のあと、違和感しかない沈黙が流れる。
「このお菓子も、すごく美味しいですもんね〜」
理由は分からないが、とにかく早くレジを済ませて、お帰りいただいた方がいいと思った。
「…俺も好きなんです」
「え?」
「このお菓子」
「あっ、へー!そうでしたか!」
なるほど。この空気の重さを、この時ようやく理解した。
彼はこのスナック菓子を付録目的で買ったのではなく、ただ純粋に食べたくて購入していたのだ。
私がこのパッケージを見て、つい反応してしまったから、彼は気を遣って話を合わせようとしてくれたが、私がこのVtuberについて知らないフリをしたせいで、お互いの返答が成立していなかったのだと。
低度だが謎が解明できて、スッキリした気分で常連客を見送る。
すると、常連客は扉前でくるりと振り返り、レジ袋に片手を突っ込み、ゴソゴソと探りながら、こちらは歩み寄ってきた。
「あの、これあげます」
そう言って、彼が取り出したのは、私に謎を与えたスナック菓子だった。
「えっと…でも、こちらはお客様が買われたものになるので…」
「大丈夫です」
恐る恐る受け取ると、彼は微笑む。
「いつもこんな夜遅くに、お疲れ様です…ってことで」
よく見ると、彼の口元の両端に、一つずつほくろがあることに気づいた。
あまりに遠い存在だから、私は今までぼんやりとしか彼の顔を見ていなかったからだ。
「…ありがとうございます」
お礼を口にすることが、精一杯だった。
私はただのコンビニ店員で、彼はその常連客。
このあと、あの大事件に発展すると知っていたなら、私はこのスナック菓子を受け取ることも、あまりの嬉しさにぎゅっと抱き締めることも、なかっただろう。




