第二話 きっかけ
「ただいまー。さて、と。準備するかな」
犀良さんと色々語り合った三十分ほどたったころ。僕たちは、夜露亭に帰ってきていた。
「すごいねぇ。いつもこの時間から仕込んでるの?」
「親父は、もっと手際が良くて、僕なんかより一時間くらい早く終わるんだけど、教えてもらう前に手の届かないところに行っちゃったから、手際が悪いままなんだけどね」
「そっかぁ。すごかったもんね、桃里さん。いつも注文が来たら、シュパパパパパーって、すごい速さで料理作ってたもん」
「そうそう(笑)どうやったらあんなに早く、おいしく作れるんだか」
しゃべりながらも、今日の仕込みを続ける。
夜露亭のメニューは、ほとんど決まっていない。日によって仕込むものを変えているため、定番なのはおにぎりセット(これも日によって味が違ったり、違わなかったり。)と秘伝の卵焼きと味噌汁だけ。そのほかは、日によっては中華料理だったり、洋食だったりと、バリエーションは様々だ。
「野菜はいつもどうり大量だけど……今日はエビと鶏肉が多めに仕入れられたから、中華料理を作ろうかな。」
「いいねー中華。なら……エビチリ作るの?」
「うん。それもだけど、かに玉、中華丼にもできるから八宝菜、あと、油淋鶏とかも作っちゃおうかな。……まあ、コチュジャンとかないから今日の仕込みはこういった調味料づくりと鶏肉の出汁を取る事かな」
大きな鍋に鶏肉と水を入れ、火にかける。その間に野菜を切って、ご飯を炊く。犀良さんは、カウンター席から僕が仕込んでいる様子を見ていた。
「舞代君、左手動きにくいの?」
犀良さんが思ってもいなかった質問をしてきた。
「あー。実は、小さい時に事故にあって。その時の麻痺がまだ残ってるんだ。」
「そう、だったんだ。なんかごめん」
「あはは、いいよ謝らなくて。……当時の僕は、カメラなんかじゃなくて、運動が大好きな、野球少年だったんだ。」
「……知ってる。」
「え?」
「……何でもない! 続けて?」
「…………だから、リハビリとか、頑張って。病院の先生には、『もう左の手足は動かないかもしれない』って、言われてたんだけど、奇跡的に動けるようになったんだ。……まあ、左手は今も少し動きにくいけど。足も、動きはするけど野球を本気でやれるほどは回復しなかった。」
懐かしいな。「絶対に治して、また野球をやるんだ!」ってリハビリしを頑張ったけど、結局思うように動けなくて、泣く泣くあきらめたんだっけ……。
「そして、野球の次に興味を持ったのがカメラ――写真だったんだ。病院に入院してるときに見た空が、めちゃくちゃきれいで……それから写真に興味を持ったんだ」
「なるほど。それで、今は写真が大好きなんだね」
そして、この夜露亭を継ぐと決意したのもこの時だ。親父が作ってくれた卵焼きが、感動するほどおいしかったんだよなぁ。
「そう。その後に親父が作ってくれた卵焼きがおいしくて……この店を継いで、守っていこうって思ったんだ。」
「だから、卵焼きは定番メニューなのね?」
「うん。…………よし、っと。仕込み終わり! 開店まで、あと30分くらいあるな。」
「開店までの少しだけど、私の絵、見てみる?」
「え⁉ いいの?」
「もちろん! はい、どうぞ」
渡されたのは、出会ったときに持っていたスケッチブック。よく見てみると、とても年季が入っているもので、結構ボロボロだった。
「これ、おばあちゃんの形見なの。」
なるほど。道理で年期が入っているわけだ。
「じゃあ、この絵は、犀良さんのおばあさんの絵?」
「ううん。こっちは全部私が書いたもの。おばあちゃんが描いた絵が乗ってるスケッチブックは、もっとボロボロ。これは、亡くなったおばあちゃんが私に、渡すつもりで買ってたものが、手紙と一緒におばあちゃんの家で見つかったの。」
「そうなんだ。……すごい。きれいな絵だね。って、これ、全部あの丘?」
「……うん。あの丘、私も大好きだけど、おばあちゃんが一番好きだって言ってた場所なの。」
「……同じ場所しか記録してない……僕たち、一緒だね」
それぞれの理由は違うものの、何年も同じ場所しか記録していない。共通点が見つかって、なんだかうれしくなった。
「ね。……共通点が見つかるって……結構嬉しいんだね」
……犀良さんも同じことを考えていたらしい。
「私が言えることじゃないけど……舞代君は、あの丘以外の場所は、記録しないの?」
「僕は……」
もちろん、もっとたくさんの場所に行ってみたいが、今の僕には夜露亭がある。それに……
「もちろん、もっとたくさんの場所に行ってたくさんの場所を、時間を記録したい。でも、今の僕には夜露亭があるし、出かけている間に、この丘の写真が撮れないんだなぁって考えると……行動できないでいるんだ」
「なるほど。じゃあさ、思い切って、今度別の場所を記録しに、思い切って行ってみない? ……二人で」
「え⁉」
今日はいろいろと驚かされてばかりだ。でも、犀良さんとなら、いいかもしれない。
「……ほら、わ、私もこの丘くらいしか描いてないし、新たな出会いが、あると思うんだ。それに……私も、今まで行ったことのない場所を記録するの、ちょっとためらうところがあるんだけど……舞代君となら、行ってみても、いいかな……って思って……」
「……ふっ。あはは! 犀良さん、ちょっと顔赤い。」
「な……っ。か、からかわないでよね。もうっ、舞代君ったら!」
「ごめんごめん。でも、いいよ。」
「え?」
「流石に、泊りでは、店の事もあるし、難しいかもしれないけど。休日に、二人で出かけてみるのも、ありじゃない?」
「いいの? やったぁ。じゃあ、決まりね!」
「明日とか、土曜日だし、店も休みだから、行ってみるか」
「おっけー! 楽しみにしてる!」
こうして、僕と犀良さんは毎週一緒に出掛けるようになった。二人で町を歩いて写真を撮ったり、絵を描いたり。時には、画材やフィルム、だんだんそれ以外にも、買い物に二人で行って、わいわいすることが増えて行った。夜露亭にも、犀良さんが来る頻度が週に一回から、二回、三回と、増えてきて、一年後には、ほぼ毎日来るようになった。そして、夜露亭の壁には、僕の撮った写真だけでなく、犀良さんの描いた絵も飾られるようになっていた。




