井6 東三条先生の学級裁判
「…確かに、盗難があったと言うのなら、警察に通報しなければいけないね。」
東三条克徳先生はそう言うと、生徒達の顔を見渡した。
「でも、その前に、…先生にはね、一つ提案があります。」
「誰かはわからないけれど。君がちょっとした、出来心で悪戯した、というだけなら」「後でリコーダーを戻してくれるだけでいいんです。もし戻してくれるのなら、」そこで東三条先生は、優しく微笑んだ。
「警察に言ったりはしません。」
「…言い出しにくかったら、今この場でなくていいんです。後で内緒で先生にだけ教えてくれないかな?」
「甘い、です。」
座ったままの赤城衣埜莉から発せられた高い声が、静まり返った教室内に響く。東三条先生は、少し驚いたような表情をして、この学級委員の少女を見据えた。
そして衣埜莉の取り巻き女子、斉藤水穂と井上咲愛は、後ろの席で顔を見合せた。
「それは …どういう意味かな?」東三条先生は教卓を離れ、衣埜莉の座る席の方に近寄っていく。衣埜莉は横に立った男性教師の方は見向きもせず、真っ直ぐに前を見据えながら、質問に答えた。
「わたしは、そんな風にしてリコーダーが返ってきたとしても、」「気持ち悪くて、もう触れません。捨てます。」
東三条先生は黙って眉間にしわを寄せた。
「そうだよねー」「嫌だよね」「なんかキモいし」女子達がひそひそと囁き合う。
東三条先生は、困ったように足元に視線を落として「うーん」と口に出して言った。
「わたしは、リコーダーを盗んだ犯人がいるかもしれないクラスで、」「一緒に勉強したくはありません。」背すじをぴんと伸ばした姿勢で、衣埜莉は、きっぱりとした強い口調で言った。
衣埜莉の言葉を聞き終えると、斉藤水穂が「前の音楽の時間はおとといだったよね?」と大きな声で言う。それを受けて井上咲愛が立ち上がって「盗まれた人の中で、誰か昨日、リコーダーを見た人はいますか?」と皆に声をかけた。
リコーダーがなくなった何人かの女子たちが、「わからない」「おぼえていない」と口々に言う。
「さあ…、どうだったかな?」ツインテールで淡い褐色の肌の女子、高嶺真愛も自分の席から後ろを振り返りながら言う。その後、ひねった体を元に戻し、早川雄大のことを見て、軽く睨んだ。雄大の方も、(なんだよ?)と睨み返した。
「なんなら今朝もあったかどうか、わからないかも。」と真愛が言った。
双葉和歌名の斜め後ろに座る女子が、身を乗り出してきて声をかけてくる。「和歌名ちゃんは、おぼえてる?」
和歌名は目をさ迷わせ、曖昧に首を縦にも横にも振り「え?おぼえてないかな」と言って、顔を赤くする。
……わたしは、盗まれていない。
何故か、それが恥ずかしい……。
「双葉さん!」「!?」急に衣埜莉から声がかかったことで、和歌名は、座ったまま椅子から飛び上がった。
「双葉さん、あなた、今日、日直だったんでしょ?朝当番の時、何か変なことはなかった?」
和歌名は思わず、真愛と雄大のことを見そうになって、慌てて目を伏せた。
もう一度、顔を上げると、今度は東三条先生と目が合った。
「……特に、変わったことには気付かなかった、です。」何となく、東三条先生が、自分のことをじっと見ているような気がして、
和歌名は背中に汗をかくのを感じた。今朝は、もう1人の日直のバカ男子は遅刻して、朝当番には来なかった。
………昨日のさやかちゃんのことといい、何だか、急に色々なことが、一気に起こる…。
リコーダーのことも、さやかちゃんが本当に関係しているのだろうか?水筒にジュースを入れてきたさやかちゃんなら、それも有り得ると思ってしまう、自分が嫌だ。
簡単に、人を疑うべきではない。だいたい、何が目的なの?悪戯?嫌がらせ?
かと言ってもし仮に、真愛ちゃんの言っていたように、男子がリコーダーを盗んだのだと言うのなら……、さすがにそれは気持ち悪すぎる……。
物思いにふける様子の双葉和歌名を、しばらく見ていた東三条先生が、一度目を閉じて、首を素早く左右に振る。「…みなさん」
次に目を開いて、教卓の際に手をかけた先生は、今度は迷いのない、はっきりとした口調で言った。
「犯人捜しはいったん止めにしましょう。」
「まずは先生達で、なくなったリコーダーを探します。」「後のことは、それから考えることにします。」自信に満ち溢れた、低くて良く透る声。口元に浮かんだ微笑みからは、子供達には有無を言わせぬ、ある種の大人の迫力があった。
ふん、と衣埜莉が視線を外し、それからすぐに興味を失ったように、肩をすくめると、机の中から音楽の教科書を取り出して、目読し始める。 水穂と咲愛は、それを見て何か言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。
教室内に気まずい空気が流れる。
その沈黙を破るようにして、
「……先生がまだ小学生の頃、」と、おもむろに東三条先生が話し始めた。
「すごく仲の良い友達がいました。」すぐにクラスの子供達は、その深い声に魅いられて、一斉にこの声の主に注意を向けた。衣埜莉ですら、持っていた教科書を閉じたくらいだ。
「その子の名前は、仮にA君としましょう。」「彼とは、いつも一緒に遊んでいました。」東三条先生が、さも懐かしそうに遠い目をする。「休み時間も一緒、放課後も一緒、塾も、隣町への冒険も…、多くのことを彼と一緒に経験しました。」
「ところがです。」「そんなA君との友情に、終わりが来る時が来ました。」その冷たいような、突き放したような言い方に、教室の子供達が、はっと息を呑む。
「私達は、同時に同じ女の子を好きになってしまったのです。」女子達がざわめいた。水穂と咲愛が、興奮して隣同士で手を繋ぐ。
逆に衣埜莉は、急に興味を失って、再び教科書を開いていた。
「私達は、その日から好敵手になり、それはやがて本当の敵と呼べる存在になっていました。二人とも、好きな子にいいところを見せようとしているだけなら、まだ良かったのですが、」
「とうとう私達は、相手をいかに蹴落とすか、を考え始めたのです。」
その一言で女子達がキャーと色めきだち、お調子者の雄大が、自分の肩に手を交差して乗せて体を揺らしながら「やめて!わたしのために争わないで!」と言うと、教室が笑いに包まれる。
「……そんなある日のことです。今でも思い出すだけで、胸が苦しくなるのですが、」
今この瞬間も辛いというように、喉から声を絞り出す東三条先生の、真に迫った喋り方に、もう一度教室が静まり返る。
「A君が私のリコーダーを隠したのです。」
「!」
子供達が興奮してお互いに喋り出して、段々と声が大きくなり、男子も女子も何を話しているのかわからなくなり、声が聞こえるように、皆がより大きな声で喋り始めた……、その時、
『パンッ』と手を叩く音がして、皆がその音の方に注目した。
大きな手のひらを胸の前で合わせた東三条先生が寂しそうに微笑みながら言った。
「…A君は、盗んだわけではなく、隠しただけだったのです。」「彼は、私が音楽の授業が得意なことを、勿論知っていました。同じく音楽が好きで、最近は私と肩を並べて、よく一緒にリコーダーを練習していた、あの子のことも……。」「でも、その子は、私にだけ特別な視線を向けていたわけではなかったんです…。逆に私の方だって、A君が、その子とアニメについて楽しそうに話しているのが、羨ましかったし、妬ましかった…。」
多くの女子達がうっとりと耳を傾けているのが、和歌名にはわかった。相変わらず無関心に見える大きな赤いリボンを付けた栗色の髪の少女の後ろ姿を見て、何故か和歌名だけはほっとするのを感じていた。
「……そう、その日私は、偶然見てしまったのです。A君が私の机の上からリコーダー袋を盗っているところを。」「テスト前に私を困らせてやろうとしたのでしょう。」「…私は、今見たことを気付かない振りをして、教室に入っていきました。」「すると彼は慌てて、自分の机の中に私のリコーダーをしまい込んだようでした……。」
「…私が何故、気付かない振りをしたと思いますか?」東三条先生が、生徒達の一人一人の顔を見るように、教室の端から端までを見渡した。
「…あろうことか、私の机の上に、置き放しになっていたのは、少し前まで、一緒に練習していた、あの子のリコーダー袋だったのです。」「え、そんな」と思わず真愛が声を出す。
「私にはわかっていました。テスト前にA君が隠そうとしたのは、私のリコーダー。」「彼は、好きな女の子のリコーダーを盗むような男の子ではない……。それでも、」
「あの子が、リコーダーがなくなったことに気が付き、泣き出した時、」「私は、戸惑うA君の机の前に立って、大きく息を吸い込むと、」
……ここは、セピア色の教室。
みんなに聞こえるように、『お前が盗んだんだな!』と、背の高い小学生、東三条克徳 は言い放った。『な…、ち、違う!』『何が違うんだ!』
『何だこれは?!見せてみろ!』『あ…』『なんでお前が〇〇のリコーダーを持っているんだ!』『ち、違う、誤解だ…!』『…誤解?みんな、見ろ、Aが〇〇のリコーダーを盗んでいたぞ!』『え?マジ?気持ち悪い』『A君って、そういう人だったんだ』
『ち、違う!聞いてくれ!これは……』
『見苦しいぞ、A!』東三条が、Aの胸ぐらを掴む。『見損なったぞ!お前がそんな、変態野郎だったとはな!』『聞いてくれ、〇〇!違うんだ!』Aは、涙を溜めた目で、〇〇のことを見つめる。
『……最低。……気持ち悪い…。』〇〇がそう言うと、Aは、『うわぁぁぁぁ………』と叫んで、教室から飛び出していった。
東三条少年は、頬を上気させて、〇〇のことを見つめた。……勝った。これで〇〇は自分のもの。そっと側に寄り添い、耳元で『大丈夫?』と声をかける。〇〇は、『信じられないよ、あのA君が……』とつぶやき、『……そうだね。』と東三条は優しく言った。
……教室に一気に色が戻る。
「私は、戸惑うA君の机の前に立って、大きく息を吸い込むと、」東三条先生が、本当に息を吸い込んでから言葉を続ける。「私は、みんなに聞こえないように、A君に言いました。」「おい、A、お前が盗ったのは、〇〇ちゃんのリコーダーだ。」「え?」「僕に渡せ。今なら僕が間違えて持っていってしまったことにしてやれる。」「で、でも……、いいのか?」「お前がしたことは許してやる。状況が違えば、僕だってお前の足を引っ張るようなことをするかもしれない。」「だから、許す。」「克徳……」
東三条先生は、一旦この物語を止めて、生徒達の顔を見つめていた。
「結局、私はこの状況を利用して、A君に貸しを作り、優位に立ちたいだけでした。」「それでも。」「A君を許してあげられて、本当に良かったと今でも思います。」
……再びセピア色の教室では、2人の生徒が向かい合っていた。
……Aは、そのまま登校拒否になり、最終的に転校をした。〇〇は、共通の友達がこんなことをした事実に、ショックを受けていたので、私は彼女を全力で慰めて、Aを許そうと言って、許せないと彼女は泣いて、放課後の教室で…向かい合って、彼女の肩を強く抱き締めた…。
色が戻る……。
「それから、私とA君は、親友に戻り、残りの小学校生活を3人で仲良く過ごすことが出来ました。」「これで、この話はおしまい!」
(パチパチパチパチ………)
無表情で、衣埜莉が机の上で手を叩いていた。釣られて他の生徒達も、(衣埜莉とは違って真に熱を込めて)拍手をし始めて、それはあっと言う間に、教室中に広がっていった。
「せんせい!」水穂が勢い良く手を挙げる。「はい、斉藤さん、何ですか?」「その子は、どうなったんですか?」「ん?」「せんせいが婚約したのは、その子なんですか?」
わぁっと一気に女子達が、東三条先生に群がり、指輪を見せて、見せて、と騒ぎ出す。
そこでチャイムが鳴った。
「ほら、もうおしまい、おしまい。」と東三条先生が笑いながら言う。
喧騒の中、 真愛が、和歌名の席にやってきた。真愛は、親友の机に肘をついてから、こう言った。
「結局、わたし達のリコーダーは、戻ってきてないし、なにも解決していないけど、」「まあ、なんか、いい話だったね!」「そ、そうだね」
和歌名は、雄大の言っていた、『昨日の朝のさやかちゃんの件』が気になっていて、もう一度詳しく聞こうと思い、席を立った。
ーーーそこで、低くて優しい声で話しかけられる。
「双葉さん。」「え、は、はい?」「ちょっと、いいかな?」「え?」
そこには、和歌名の前方の道を塞ぐように、東三条先生が立っていた。
「……今朝の朝当番の間のこと、もう少し教えてもらえないかな?」「え、でも、さっき言った通り、なにも……」「ふうん?まあ、でも、すぐ済むから。ちょっと先生と別な場所で話そうか。」
「あー、双葉さん、いいな~、今日、日直だからって、東三条先生を独り占めできて、ずるい~!」
本気かどうかはしらないが、そんなことを言ってくる女子がいる。
和歌名は、一抹の不安をおぼえながら、手を振る真愛に見送られて、東三条先生の後ろについて廊下に出ていった。
次回、『密室』




