井22 しおんの園
吉城寺紫園を乗せた車は、1時50分に到着して、
1時52分には、あきらが門の前にやってきていた。
「あきらさ~ん」ぶんぶんと手を振って、紫園が走ってくる。今日の格好は、どことなく中性的に寄せていて、上はキャメルブラウンのジャケット、下はレトロな雰囲気のチェック柄の半ズボンを履いていて、アクセントに肩紐の細いポシェットを斜め掛けにしていた。ストライプの入った白いハイソックスが、少年っぽい細く長い脚を可愛らしく飾っている。
「やあ、こんにちは。そんなにお洒落して、今日はどこかへ出掛けてたの?」とあきらがニコッとする。
紫園は顔を赤くして、あわあわと顔の前で手を振って、「どこって……ここだけど……」と言って、より真っ赤になる。
「まあ、いいや。今日は僕と遊びたいっていうことみたいだけど、……さて、何して遊ぼうか?」とあきらが言う。
「うーんと……、そうだ、かくれんぼ!」「かくれんぼ?2人でかい?」「うん!」
紫園は、この広い宍戸家の庭でするかくれんぼは、凄く楽しいんじゃないかと考えていた。2人は鯉の池にかかった橋の欄干にある、赤い擬宝珠の所で相談をしていた。「ぼくが先に隠れるから、あきらさんは目ぇ閉じて百秒数えて!!」「いーーち、」「え?もう?キャーーー!!」紫園が目をばってんにして、一目散に走り出す。
……結構寒いのに、元気一杯だな。とあきらは欄干にあてた腕に閉じた目をつけて微笑むと「にーーぃ、」と大きな声で続きを数え始めていた。
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紫園は隠れる場所を探して、あちこちを走り回っていた。木の陰?生け垣の裏?あの、神社みたいなとこ?……どこか、もっと、もっと、あきらさんをビックリさせられるところはないかな?
「よんじゅごっ、よんじゅろっく、よんじゅしっち、」「あきらさん!ちょっと数えるの早いよ!」…まだ近くにいるのか。
「やっぱ200秒にへんこー!」おいおい。
紫園はキャハハハと笑い、あきらの周辺25メートルほどを、さっきからぐるぐると回っているだけだった。
150秒を数えたくらいで、急に紫園の気配が消える。
あきらは、ふと、さやかのいる建物の方に近寄らないよう言うのを忘れたと思って、数える速度を心持ち早めていた。
「にっひゃく!もーいーかい?」返事がない。「もーーい~か~い?」「……」
急に不安にかられたあきらが、目を覆っていた手を剥がし、コンクリートの建物へ向かって走ろうとした瞬間。
「わっ!!!」とすぐ背中から紫園が両手をどんっとして「びっくりしたあ?」と言って、
……そのまま。……驚いたあきらと一緒に、……体勢を崩して……、
真冬の池にドボーンと、2人して落ちていった。
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* へっくしょい*
紫園がびしょびしょになった自分の体を抱いてブルッと震える。
咄嗟に紫園の頭を庇って、胸の中に彼を抱き締めながら水に落ちたあきらは、強く背中を打っていたが、痛そうな顔をしてはいなかった。
「参ったね、これは」とあきらは笑って紫園の濡れた髪の毛をぐりぐりと抑えた後、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「ああ、大丈夫、壊れていないみたいだ。」と言って、すぐに使用人に電話をかけ始める。
もう片方の手で、寒そうに震えている紫園を「おいで」と引き寄せ、肩に手を回すと、ぎゅうっと小さな体を潰すようにして密着させた。
紫園は口をふにゃふにゃにして「!?!?!?!!!?!」と何事かを言っていたが、何を言っているかはよくわからなかった。
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初老の使用人が持ってきた大きな一枚のバスタオルに、2人でくるまりながら、あきらはまた「参ったね、」と言って楽しそうに笑った。
「風邪引く前に、早いとこお風呂に入っちゃおう。」「?」「うちのお風呂、広いから。」「?」「僕だって風邪ひきたくないからね。」「はい?」「ほら、紫園くんも、風邪ひいたら大変だ。」「……」「もう準備は出来てるって。」「………」「さ、おいでよ、一緒に入っちゃお」
「はいいいぃぃ??!●●●●●●●、ですとぉーー??」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って?ぼく、ま、まだ心の準備が……!」
「ほらほら、風邪ひかせちゃったら、僕が紫園くんのお母さんに怒られちゃうよ。着替えは用意させるから。その格好いい服はすぐにクリーニングさせるよ。」
紫園はあきらの強い力で体を掴まれて、半ば無理矢理に宍戸家の大浴場に引っ張られていった。
全てが木で作られた脱衣場の入り口に、女性のスタッフが待機していて、あきらの姿を見ると、深々と頭を下げる。
「いや、君、ここにいては困るよ。世話してくれるのはありがたいけど、女性は遠慮してくれるかな?」あきらがそう言うと、(では、ぼくもここで……)と紫園が出ていこうとする。
「待って待って。紫園くん、ごめん、もう大丈夫だよ。女の人は今下がらせたから。」とにこやかな顔をして言う。
「さ、いこっか。」紫園は手を掴まれて、そのまま脱衣場へ入っていってしまった。
でも正直……本気で逃げようとすれば、走ってでもして逃げられたのだ。でも、あの時あきらさんが、ぼくを抱き締めて、水に落ちた時……、ぼくは、もうこの人に決めてしまったから。だから……。
何だか紫園は、自分の想いに自分で感動してしまい、涙を溜めた目であきらのことを見上げた。
あきらは、すでに上半身を脱ぎ終わっていた。「………………………。」むきゃあああああああああああああああああああああああ!
紫園が蹲って顔を隠し、体を震わせていると、あきらが「もう…、大袈裟だなあ?紫園くん、君、どんだけ、恥ずかしがりなんだよ」と楽しそうに言って「じゃ、先に入るよー」と、桐の良い香りがする引戸を開けて、中へ消えていった。
…は、恥ずかしがりとか、そういうレベルの問題?
濡れて体に張り付いた服が気持ち悪いし、何より寒くて仕方がない。
……ぼ、ぼくたちってイイナヅケなんだよね?いいんだよね?ママは、ガンガンいきなさいって言ってたよね?なら………
「……お嬢様!お嬢様!」どこかから声が聞こえる。
「お嬢様!こちらです。お嬢様!」入り口の扉が少し開いて、さっきの女性スタッフが、顔だけを覗かせて、手招きしている。
「こちらです!吉城寺のお嬢様!助けに参りました!」た、た、助かった………。
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湯上がりのあきらと紫園は、仲良く浴衣を着て、暖房の効いた部屋で、藤の椅子に腰かけていた。いつの間にお風呂に入っていたの?とあきらが驚いたように言い、紫園はただ顔を赤くして俯いていた。
「あ、そうだ、一緒にコーヒー牛乳でも飲む?」もう、勘弁して~~~
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「お写真送っていただいて、ありがとうございます。」スマホの声がそう言うと、宍戸かぐやは、「いえ、いえ」とだけ言って、見えない相手に愛想笑いをした。
「あの子達ったら、お揃いの浴衣なんか着ちゃって。うふふ…」「ええ、ほんとに。紫園さん、お可愛いですね。」「ありがとうございます。」
「こうも、うまく話が進んできますと…、通例よりちょっと早いですが、そろそろ婚約指輪のことを考えなければいけませんわね。」スマホが、嬉しそうに話す。
「確かに、そうですね。」「ここまで、とんとん拍子にことが運びますと……、ちょっと逆に怖くなってきてしまいます。宍戸様もそう思われませんか?」
「さあ?……指輪に関しましては了解致しました。早速準備させましょう。」とかぐやが事務的な声で言う。
スマホの女性は、かぐやの反応に少し戸惑って「私の方でもなにかお手伝いできることがこざいましたら」と言うと、「結構です。指輪に関しましては、宍戸家にお任せください。」とかぐやが冷たい声で言った。
「……と、とにかく。」スマホが咳払いをして言う。「あきら様が、私ども吉城寺家の拙女のことを好ましく思っていただけているようで……、私、とても嬉しく思いますわ。」「ええ、そうですね…」「今後とも宜しくお願いいたします。」「はい、こちらこそ宜しくお願いいたします。」
かぐやは電話を切ると、昔から付き合いのある宝飾店に連絡するために、もう一度スマートフォンを手に取っていた。
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翌日の午後も、吉城寺紫園は、宍戸家に遊びにきていた。
「やあ、紫園くん。昨日は大変だったね。」……確かにタイヘンだったよ…。
今日の紫園は、温かそうなキルト生地のボアジャケットを着ていて、コーデュロイの長ズボンというスタイルだった。
「昨日の服は後で届けさせるからね。」あきらはそう言うと、「寒いし、今日は中で遊ぼうか。」と言って、その道すがら、敷地内にある植物園を案内していた。
「同い年の子とは遊ばないの?」
…今年は11月に入ってから一気に寒くなり、紅葉が色付いたかと思った矢先に、今度は急に暖かくなり、その次には、この時期には珍しいくらいの大荒れの天気が続いてしまったせいで、
12月を迎えると、紅葉は早くに終わってしまっていた。
「うーん、同い年の子は、みんな子供っぽくて、ぼく、苦手かなあ」
宍戸家の植物園には、山茶花、水仙、ラナンキュラス、 アネモネが咲いていて、 あきらは紫園を前に歩かせながら、ゆっくりと歩いていた。
薔薇園にさしかかると、紫園はきょろきょろと辺りを見回っていたが、一輪の花も咲いていないのに気付くと、見るからに肩を落としてがっかりしていた。
「薔薇はみんな、春だね。今は虫がつかないようにしたりして、庭師がお世話しているよ。」
「あ、このクリスマスローズってのは?クリスマスに咲くの?」
「ああ、それはキンポウゲ?みたいなやつだったかな。クリスマスに咲くかどうかは、運みたいなところがある的なことを庭師が言ってたな。」「ふうん」
「それ、毒があるらしいよ。」「こわっ」手で触れようとしていた紫園が、慌てて腕を引っ込める。
「あきらさんて、物知りなんだね。学校の成績もいいんでしょ?」「ん?ああ、僕、今は学校に行ってないよ。」
「え?そうなの?いいなあ………」
あきらは、あははと笑い、「もうそろそろ学校に行こうかな。」と、独り言のように小さく呟いた。
まだ諦め切れないように、薔薇の木を確認していた紫園が、「いたっ」と言って手を後ろに引くのを、あきらが目にした。
「どうしたの?」あきらが駆け寄ると、紫園が「いてて、棘で指、切っちゃった……」と言って、自分の指を舐めようとする。「待った、待った、ばい菌が入るから。」と、あきらは紫園の手を握って止めた。
ぽおっとした紫園の顔を見て、「もう、そんな風にぼんやりしているからだぞ?」と言って、あきらはぐいっと彼の手を掴んで引っ張ると、早足に歩き始めた。
土手になった園芸品置き場のすぐ近くに、庭師が使う小さな小屋が建っていて、その横には今は使われていない錆びた焼却炉があった。小屋の扉には鍵の外れた南京錠が引っ掛けてあるだけで、あきらが蝶番を開けると、扉は簡単に開いた。
中に入ると埃っぽいにおいがして、波打った古いガラス窓から射し込んだ光に、
コロイド状の埃がゆっくりと回転しているところが見える。
「おいで。」
あきらは、作業台の上を片手で払うようにして片付けると、紫園の脇の下に手を入れ、
ひょい、と小さな体を持ち上げてその上に座らせた。
「ひゃっ」紫園の顔が赤くなる。
あきらは引き出しを開けて、中を漁ると、「あった、あった、」と嬉しそうに言って、乾いてパサパサになった古い絆創膏の袋を手に取って、それを左右に破いていた。
そして、紫園の小さな手を再び掴むと、「じっとしてて。」と言い、
優しく紫園の左手の薬指の傷に、しわにならないよう、静かに絆創膏を巻いて、最後にぎゅっと強く抑えつけた。
紫園は、呼吸が止まったようになり、涙を溜めた目で、あきらのことを見つめた。
「あ、ごめん、痛かったかな?」あきらがそう言うと、急に紫園は彼の首に手を回して、あきらの体にがばっと抱きついてきた。
「おい、おい、相変わらず大袈裟だな?」
「……ありがと。ぼく、嬉しい…。」
「どう?いたしまして?」
あきらは紫園に抱きつかれながら、やれやれと頭を掻いて窓の外を見やったが、腕に力を込めた少年は、まだ彼を離してくれそうになかった。
次回、『女の子の遊び』




