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第7章―5

 チチチッ……遠くで小さな鳥が鳴いている。その声に呼ばれた気がして、カスミは目を覚ました。

 朝が凍えていた。こんな季節になっても、小鳥達は餌を求め飛びまわらないといけないのか――何か特別な感慨を抱いたわけではなく――ただ、カスミはそう思った。

 ――寒くないのかな……。

 それが生きていくってこと?

 ぼんやりした頭の中でそんなことを考えているうちに、だんだんと身体が覚醒していくのが感じられた。カスミの体は毛布にくるまれ、しっかりと寝袋の中に収められていた。

 ――アキラが、ここまで連れてきてくれたのかな……。

 いつのまに眠ってしまったのだろう。昨夜の記憶は、糸がぷつりと切れたみたいに、途中から鋭い切り口を残して、きれいに失われていた。

「お姉ちゃん、起きたの? 朝ご飯、もうすぐできるよ」

 パチパチと油の弾ける音が聞こえる。ベーコンと卵の焼ける良い匂いが、カスミの鼻腔をくすぐった。

 このまま、ずっと寝袋の中で毛布にくるまれていたかった。もう一度、目を閉じ、すべてを忘れ眠りにつきたかった。だが、

 ――アキラを手伝わなくちゃ……。

 そう思ってしまうと、上体は自然と起き上がり、カスミは肩に毛布を羽織ったまま、テントから顔をのぞかせた。

「もう少し寝てたらいいのに――。お湯ももうすぐ沸くよ。後はパンを焼くだけだから」

 一斗缶ストーブの直火にかけたケトルからは、薄く白い湯気が上っていた。アキラは食パンを袋から取り出し、カセットコンロの火で炙り始めた。

「じゃあ、私、カップスープの用意をしておくね」

 カスミはコップにスープの粉末を入れ、ストーブの前でお湯が沸くのを見守った。いや、むしろ揺れる炎の方を眺めていたのかもしれない。

 炎のスクリーンには、昨日のトモコの姿がありありと映し出されていた。思い出したくなくても、もはやその光景は大いなる痛みを伴いカスミの記憶に刻み込まれてしまっていた。開いた傷口からは、今なお、生々しい鮮血が流れ出ていた。

「お姉ちゃん、今日はバイトだって言ってたけど――」

 昨日のことに、あえてアキラは触れずにいてくれる。

「ああ……そうだったね……」

「休む? 無理はしない方がいいよ」

 正直、仕事をする気力は、体のどこを探しても残っていないように思われた。それでも、カスミは考えてしまう。

 ――休み方、分からないな……。

 メールをすればいいんだろうか……。

 ――でも、そのメールが無視されてしまったら……。

 そう思った瞬間、カスミの表情が苦々しげな笑みに歪む。何を今さらと、頭の回らない自分をあざけるように、それはもう本当にうすら寒い微笑であった。

 ――ううん、きっと無視されるに決まってるじゃない……。

 そしたら、無断欠席ってことになって、ブラックリストに載って……。

 もうアルバイトはできなくなるのだろうか。何一つ釈明する機会も与えられずに――。

 ――もう、どうでもいいか……。

 心底、投げやりな気持ちになった。だが、次にカスミの口をついて出た言葉は、自身でも予期せぬものであったのだ。

「ううん、行くよ……」

 ――どこまで、私は計算高い人間なんだろう……。

 良い人間だと思われたいのだろう――。

 こんなにも憔悴した感情に、たやすく蓋をしてしまうことができる。誰かに迷惑をかけるだとか、もう必要とされなくなるだとか、そんなことばかり怖れ、冷徹な理性が私自身を守ろうと世界に立ちはだかる。

 アキラは思った。

 ――カスミは強いね……。

 でも、それは諸刃の剣だ――。

 一人の少女が生きていくために、そんな剣を持たなければならなかった。

 ――何が、そうさせた……。

 誰が、そうさせた――。

 小さな憤りをアキラは覚える。

 はたして、カスミのその強さは、この先どちらに転んでいってしまうのだろうか。

 そして、その最後のときに……

 ――カスミは、僕を選んでくれるだろうか……。

 だとしたら、嬉しいのにな――。

 アキラの瞳には、もう終幕が映し出されていた。明かりの落とされた舞台の様子は、ひどく少年に寂しさを覚えさせた。


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