序章1 『末席の烙印』
「ギャハハハハハッ!! 不運だなぁお前。よりにもよってこの俺様と当たるなんてよォ」
「………っ」
その光景は学院の広大な体育塔で見られた。
体育塔と言っても普段はそう使われているだけであり、実際は闘技場として作られている。
生徒達は一定の間隔を空け、二人一組で模擬試合を行う。その授業において特別注目を浴びている一つのペアがいた。
闘技場なので当然試合会場上には観戦席がある。場所空きを待つ多くの生徒達は各々好きな観戦席に座り、試合中の生徒達を眺める。広さが広さであるため普段なら分散する生徒達だが、今回は違う。
勉強のためではなく面白いもの見たさに一つの試合に生徒達が集中していた。
莫大な注目を一重に浴びる二人は学院指定の黒を基調とした良質なハーフローブを羽織っていること以外は実に対照的だった。
観戦席奥。
相手を見てあまりの格の違いに高笑いしている少年、ヴォルト=エストリッチ。
銀色に輝く綺麗に整えられた髪ときめ細やかな肌から、見ただけで貴族の良家出身だと分かる。
貴族という社会的強者の立場と自身が自覚している同期との圧倒的な実力差が相俟って尊大な雰囲気を放つ。加えて生まれつきの刺すような鋭い眼は相手を怯ませるには十分だった。
それに対して観戦席手前。
勇み故に若干前屈みになっている茶髪でもじゃ毛で細身の少年はシルクヴェント=カーライン。
本人はもじゃ毛ではなく天然パーマであると主張するその髪は、一本一本が滑らかで柔和なイメージを連想させる名前にある『絹』と違って無作法に乱れている。
明らかに髪を丁寧に扱っていないのが分かり、よく見ると砂塵で肌が汚れている。加えて顔には十六と十七にしては珍しい大きなダサい丸眼鏡。
身なりに頓着していない平民出身丸出しの少年は悪い意味でヴォルトと同じぐらい学院で目立っていた。
しかし、二人が衆目を集める理由は彼らの見た目だけではない。
「だが、我らが神も酷いことをするもんだ。【第一席】と【末席】のペアだなんて。シルク、お前、信仰心足りてねぇんじゃないのか」
「……これはただの確率の話で信仰心云々なんて関係ない……」
「へぇ、言うじゃないか。なぁ、みんな!! コイツ、この対面がただの確率による結果だってよ!! 俺には神が『汝、この似非信者を叩きのめせ』言っている風に感じるけどなぁ!!」
ヴォルトのシルクを馬鹿にする小劇で周囲から爆笑が巻き起こる。
「……早く始めよう」
「チッ。急かすなよ。興が醒める。【末席】如きが俺に意見すんじゃねぇよ」
「ま、『【末席】如きが』って……。も、もしかしたら今日は僕が勝つかもしれないじゃないか……!!」
「は? お前、俺に勝てるとでも本気で信じているのか? ギャハハハハハッ!! おい、みんな聞いたか? コイツ、似非信者どころか分を弁えない愚か者でもあるらしいぜ!!」
ヴォルトの煽りにドッと観客席が更に盛り上がる。シルクは嘲られることに対して羞恥の代わりに苦悶の表情を浮かべていた。
シルクは他人からの嘲笑には慣れていた。
自身の出身や地位、力さえも学院にいる誰よりも劣っていることを入学以来文字通り身体で思い知らされている。
だが、慣れているとは言っても辛いものは辛い。
体に走る痛みよりも心が擦り切れていくような感覚の方がずっと辛い。
「まぁ、いい。—————————————【武装展開】」
ヴォルトの手元に大量の光の粒子が集まる。それは徐々に形を成して、数瞬のうちに彼は一本の剣を握っていた。空気中の魔素を自身特有の武具に形を変える力、【武装展開】である。
「……」
「おいおい、シルク。もしかしてお前、【武装展開】もしないで俺と戦う気か? ギャハハハハハッ!!」
「分かっているくせに……」
「ああ、なんだって? ああそうか。お前、【武装展開】も碌に出来ない落ちこぼれだったなぁ!! 今時、ガキだって出来るのによ。おいみんな!! シルクは俺に武器も持たずに素手で俺と殺り合うってよォ!!」
周囲の生徒の声はより一段と上がる。これ以上無いぐらいに体育塔に響き渡る。
「もう、いいじゃないか……」
「そうだな。始めようぜ」
両者は白線で仕切られた簡易の縮小版試合場に入る。シルクは何も持たず両手を胸の前に構えるが、ヴォルトは構えるでもなくただ相手を見下すかのように剣を肩に乗せていた。
「来いよ、シルク。お前に先に動くことを許す」
「なら、お構いなく——————」
「まぁ、ただ。お前のその態度は気に入らないな。————《地に頭を下げろ》」
正面から突進を仕掛けたシルクに突如不可解な重力が襲う。
首から下は動くのに頭だけが重く、荒い砂に覆われる地面から離れない。
バタバタと足掻き、苦痛を声に出すシルクを見てヴォルトはニタッとした笑顔を浮かべていた。
「そうだ、お前の顔の位置はそこが正しい。無様だなぁお前。恥ずかしくて見てらんないぜ」
「……く……かっ……」
「ア? 【末席】如きがうるせぇ。喋っていると《呼吸が辛くなる》ぞ」
シルクが急に青ざめる。
突如、まるで水の中に沈んでいるかのように彼の周囲から酸素が失せ呼吸が出来なくなる。
何とかして場を離れようと足掻きが激しくなるが、顔が地面から離れない。
離れることを許可されていないのだ。
「ホンッッット酷えなぁ。まるで虫みたいだぜ。お前も能力を使えばいいのに。ああ、すまない。すまない。お前、【固有能力】すらもゴミだったもんなァ。ギャハハハハハッ!!」
「……カ……ハッ」
次第にシルクの顔が白くなっていく。抵抗の眼はいつの間にかか細くなり、今にも意識を飛ばしそうだ。
しかしそんな一方的な戦い、しかも片方は生命の危機に瀕しているにも拘らず体育塔内を徘徊している教師達は注意どころか見向きもしない。まるでその試合だけは我関せずを貫いているかのように。
「これ、死んじゃうかもなぁ。でもまぁ、この学院じゃあ事故死なんてザラだしいいか」
顎を上げながら下目にシルクを見るヴォルト。観戦席の生徒達は死に直面している同級生を見て尚声に出して笑う。
家柄や【固有能力】などの多岐に渡る様々な強さこそが正義であるこの学院において自分よりも格下の人間が無様を晒している姿を見るのが、自尊心を守ることに繋がりどことなく気持ちがいいのだ。
人間は自分よりも劣っている者を見ると安心する。
「————シルク」
「うおッ!?」
キンッと音がしたと同時にヴォルトに細い一閃が襲う。
不意の攻撃に狼狽えるもののヴォルトは横からの攻撃に反応して肩に乗せていた剣で応戦。
ヴォルトは咄嗟のことに注意をシルクから離し、シルクを襲う重力と呼吸困難が解除される。
「(どうして、どうして僕はこんなに弱いんだ……)」
重力に押さえつけられ呼吸困難に陥っていたシルクは既に限界であった。
無駄だと分かっていながらも不自然な姿勢で足掻いたために体力を使い果たし、頭どころか全身に必要量の酸素が行き渡っていない。
現状が改善されたからといって、ダウンするには充分に削られていた。
薄れ行く意識の中。シルクは自身への失意と絶望に埋もれ自己嫌悪に陥る。
自己嫌悪に陥るのはこれで何回目だろうか。
普段も感じているが、こうハッキリと戦って何も出来ずに、触れることすら出来ずに終わるのが一番心にくるものがある。
直前にシルクの名を呼ぶ声が聞こえた。そう、情けなくも助けてもらったんだ。
無能・思い上がり・咬ませ犬・馬鹿・似非信者・空回り。
他にどんな嘲笑を受けただろうか。
「(こんな自分を変えたい……。あの勇者のようになりたい……)」
ふと思い出したのは昔好きだった御伽噺。
勇者がこの世の悪を倒し、世界を救うありふれた話。
走馬灯のようにその絵本を思い出したのが最後、シルクは完全に意識を落とした。
「面白い、続きが気になる」と思ってくださったら幸いです。




