嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
安住の地を取り戻した矢先に、大切な人を失ってしまったお話。
ゾンビの世界は安全地帯に辿り着いたら終わりではありません。安全な拠点を得たがゆえに生じたさらなる目標と油断は、時として取り返しのつかない事態を招きます。
ふと、まどろみの中で寝返りを打った。
体の回転とともに、片方の腕がどさりと布団に落ちる。
無意識に、布団の上をまさぐって温かいものを探した。だけど、いくら探しても触れるのは冷たく柔らかいものばかりで……。
急激に湧き上がった喪失感に、思わず跳ね起きた。
慌てて周りを見回したけど、誰もいない。
けれど意識がはっきりしてくるにつれ、私は落ち着いた。これは別に慌てるような事ではないと、思い出したから。
そう、ここには元々私しかいなかった。
もうかなりから、ここには私しかいなかった。
あの人は今、私の隣にいないんだ。
気が付いたら、どっと寂しさが押し寄せてきた。
私を囲んでいるのは、住み慣れたアパートの一室。家具の配置も、ベッドの上の布団のさわり心地も変わらない。
だけど、ベッドは私にとって、以前よりずっと広くなっている。
ベッドの大きさは変わっていない。ただ、ベッドに寝る人数が減っただけ。
いつも私と同じベッドで寝て、まどろみの中でも私を温めて安心させてくれたあなたは、もうここにはいない。
どうしてだろう、私とあなたはいつも一緒にいたのに。
どんな苦難の中でも、その手を放さずに二人で生きてきたのに。
私たちにとっての苦難は終わったはずなのに、あなたはいなくなってしまった。
私とあなたは、この温かかった愛の巣で仲睦まじく暮らしていた。
毎日仕事から帰ってくると、あなたは私を抱きしめてキスをしてくれた。それができない日でも、寝るのは必ず同じベッドで、眠りの中でも感じられるあなたのぬくもりに毎日癒された。
何か心配事があって浅い眠りの時でも、あなたが側にいるのが分かるとふしぎと安心して、心地よい眠りに導かれてあっという間に朝が来た。
夜を長いと思った事などなかった。
共に過ごす夜は、いくら時間があっても足りないくらいだったから。
世の中に災いが吹き荒れて安住の地を追い出されても、私とあなたは共にあった。
死人が動き出して人を食らうようになって、街がそんな奴らの狩場になっても、私とあなたは手を取り合って生き延びた。
下の階から悲鳴が聞こえてきて、このアパートから逃げる事になっても、あなたと一緒ならためらいなどなかった。
私の居場所はこの部屋ではなく、あなたの隣と決めていたから。
あなたが側にいる限り、私はどこでも満たされるから。
私とあなたは、地獄のようになった世の中を支え合って生き抜いた。
死人がどこから現れるか分からない死角の多い道を、背中合わせで守り合って進んだ。目の前に腐りかけの顔が出てきても、背中に感じる熱が私を恐怖から守ってくれた。
食べ物が手に入らなくてひもじい時も、あなたと身を寄せ合っていれば生きる希望を失わずにすんだ。不便な生活でも、あなたとなら耐えられた。
あなたは大きな体格と強い力、私は鋭い感覚と考える力に恵まれていた。
お互いの長所を組み合わせ、短所を補い合って、私たちは生存者の大きなグループに辿り着き……ついに解放の日を迎えた。
それは、人類全体からすればちっぽけな勝利だったかもしれない。
だけど私たちは生き残った皆で力を合わせて、街の外れの一角を死人から奪い返すことに成功した。
ほんの数ブロックだけど、バリケードで囲んで中の死人を残らずあの世に送り返し、私たちは安住の地を取り戻した。
その中に私たちのアパートが含まれていたのは、幸運としか言いようがない。
あの日、私は喜びで一杯だった。
これで私とあなたは、また前のようにこの住み慣れた巣で睦み合って暮らせると。
あなたも当然そうしてくれると、信じて疑わなかった。
でも、事態は思わぬ方向に進んだ。
せっかくこれだけの地区を奪還できたのだから、ここを拠点に他の地区も積極的に取り戻そうという話が持ち上がったのだ。
それは、人情としては当たり前の話かもしれない。
取り戻せたとはいえほんの狭い区画だから、その中だけで生活するのはまだ無理だ。それに私たちのように中に我が家がある者などほんの一部だ。大部分の人の我が家は、未だ死人がうろつく危険地帯にある。
だから、その意見自体を悪いという気はない。
ただ、言いたい事があるとすれば、もっと慎重に計画を立てて少しずつ進めてほしかった。
この地域を取り戻す戦いが意外と楽に終わったことで、皆浮かれていたのかもしれない。他地域の奪還作戦は、すぐ実行に移された。
ここを取り戻す時のような綿密な下調べや、周到な前準備もなく……。
そしてさらに言う事があるとすれば、あなたを巻き込まないでほしかった。
あなたは戦力としてとても役に立つからと、奪還部隊に加えられた。
嫌な予感がした。行かないでほしかった。
でも、異議を唱えようとする私を制して、あなたは隊列に加わった。
私たちは我が家を取り戻せたことで、未だ取り戻せていない人の嫉妬や羨望を買っている。ここで自分だけ行かないと言えば、私たちはこの閉ざされた社会でとても生きづらくなるだろう。
あなたは私との平穏な生活のために、出かけていった。
そして、帰ってこなかった。
あなただけではなく奪還部隊の全員が、生きて帰れなかった。
あの日から私はずっと、住み慣れた愛の巣で一人過ごしている。
あなたがまだどこかで生きていること、いつか戻ってくることだけを願って、広すぎるベッドに一人この身を横たえている。
温めてくれるあたながいないから、私は何度も目を覚ます。
そして時計を見てため息をつき、また横になる。
でも、あなたがいない事が悲しくて、涙ばかりが湧いてきてなかなか寝付けない。
それに、不安もある。
あの奪還作戦が失敗したことで、このグループは戦力の大半を失ってしまった。
もう再度の作戦は不可能だろうし、この地区の守りも脆くなっている。外で物資を調達することすら難しいから、当初の予想より生活は遥かに厳しい。
そのせいで、人々の心もささくれ立って毎日のように諍いが起こっている。
このグループがこれからどうなってしまうのかと考えると、怖くて眠れない。
あなたが行ってしまった日から、私は夜が嫌いになった。
隣で温めてくれる、あなたがいない。不安に囚われた私に大丈夫だとささやいて抱きしめてくれる、あなたがいない。
私は悲しみと不安に押しつぶされそうになりながら、夜明けを待つしかないのだ。
だけど嫌な時間は流れるのが遅くて、実にゆっくりと私を責め苛む。
あなたと共に時を惜しんでいた日々が、今では夢のようだ。
その長い夜の中で、私はあなたに戻って来てほしいと切に願う。
だけどその一方で、戻って来ない方がいいとも思ってしまう。
最近、奪還部隊に参加した数人が、ここに戻ってきた。白目をむき土気色の肌をして、言葉にならない唸り声を上げながら。
彼らは、死んで戻ってきたのだ。
あなたのそんな姿を見たら、私は正気を保てる自信がない。
戻って来なければ、まだ希望を持っていられる。
それでも、どうしようもなくあなたに会いたくなる時はある。
私は、気分を変えようとベッドから出て、窓を開けた。
外の空気を感じて、つい心の声がこぼれる。
「ねえ、あなた……寂しいの……」
あなたが側にいてくれれば、それで良かった。
生活が厳しくても他人から憎まれても、あなたがいれば私はそれだけで強くなれたのに。羨まれても嫉妬されても、負けないで生きていけたのに。
あの日、あなたをもっと強く引き止めていれば……。
胸が張り裂けそうな心の叫びにも、当然あなたは答えてくれない。
代わりに、死人の低い唸り声が、遠吠えのように響いてきた。
私はかすかに漂ってくる腐臭を断ち切るように、手早く窓を閉め、再び広すぎるベッドに潜り込んだ。




