第9話:中抜きの利権と、豪快なる船主
【読者の皆様へ:本作を読む前のビジネス・ガイド】
>本作は、現代の百貨店マンが江戸時代の呉服屋に転生し、未来の経営理論を駆使して成り上がる「ビジネス思考実験フィクション」です。
物語に登場する江戸の商習慣、歴史的背景、および主人公が巻き起こすイノベーション(正札販売など)の時期や変遷は、「もし、あの経営理論をこの時代に持ち込んだらどうなるか?」を分かりやすく解説するための創作であり、実際の史実とは一部異なる展開が含まれます。
偉大な先人たちの知恵である「ドラッカーのマネジメント」や「チェーンストア理論」が、江戸の街をどう変えていくのか――。エンターテインメントとして楽しみながら、現代のビジネスにも通じる商売の本質を感じ取っていただければ幸いです。
「若旦那ぁ! また高級木綿の棚がすっからかんでございます!」
「長吉、裏の蔵にある在庫を全部出せ!」
「ですから、その蔵もとっくに空っぽなんですってば!」
売場の分業化マニュアルが見事にハマり、越前屋の回転率は従来の十倍以上に跳ね上がっていた。
しかし、店が回り始めた途端、新たな、そして決定的な壁が貞次郎の前に立ち塞がった。
売る商品(反物)が、まったく足りないのだ。
「……信じられん。なぜ次の仕入れに二週間もかかるんだ」
店の奥座敷で、大福帳を睨みつけながら貞次郎が頭を抱えていた。その姿は、現代の一流企業のCEOそのものの風格である。
「若旦那、何を寝ぼけたことを」
横からお茶を差し出しながら、番頭の茂兵衛が呆れたように言った。
「江戸の呉服屋は、大坂の問屋(仲介業者)様から商品を分けてもらうのが『お極まり(ルール)』。問屋様が他の大店への配分を済ませ、我々のような小店に順番が回ってくるのを待つのは当たり前でございましょう」
「当たり前なわけがあるか!」
貞次郎がバン! と机を叩く。
「間に入る問屋のせいで無駄な時間がかかり、しかも余計な仲介手数料を上乗せされている。だから仕入れ値が高止まりして、これ以上お客様に安く提供できないんだ。こんな非効率な『中抜き利権』、今すぐぶち壊してやる」
「ぶ、ぶち壊……!? 若旦那、また吉原の酒が抜けてないんですか!?」
茂兵衛がひぃっと悲鳴を上げて飛び退いた。
「問屋様を無視して直接、生産地(農家や織元)から買い付けるなど業界のルール違反! 下手をすれば問屋仲間に目をつけられて、二度と商品を回してもらえなくなります!」
そこへ、売場マネージャーの長吉が、おずおずと顔を出した。
「あの……若旦那。お言葉ですが、いくら若旦那が『覚醒』されたからと言って、生産地へ行く旅費はどうされるのです? 今日の売上は確かに凄いですが、これまでの若旦那の吉原での『ツケ』の支払いが一斉に回ってきて、店の金蔵は今、すっからかんでございますよ?」
「……え?」
貞次郎の動きがピタリと止まる。おぼろげな記憶の引き出しを漁ると、吉原のあちこちの遊郭に「越前屋のツケでよろしく!」
と爽やかな笑顔で言い残してきたバカ若旦那の映像が、次々と再生された。
「……長吉」
「はい」
「過去の俺を、今すぐ市中引き回しの刑にしてやりたい」
「私もそう思います。ですが、地獄の閻魔様も過去の自分は裁けませんね」
「うまいこと言うな。褒美に高級木綿を……あ、在庫がないんだった」
はっはっは、と力なく笑い合う貞次郎と長吉。横で茂兵衛が「本当にこの店、大丈夫かしら……」と胃を押さえている。
「チッ、仕方ない。金がないなら、知恵とハッタリで動かすまでだ」
貞次郎はバッと立ち上がると、着物の袂を翻した。
「長吉、売場を頼む。俺は『ジャイアント・キリング』……いや、この古い流通の常識をひっくり返すための、最強の相棒を口説きに行ってくる」
「ジャイアント……? 何ですかそれは。あ、若旦那、また吉原に行く気じゃ……!」
心配する奉公人たちを置き去りにし、貞次郎が向かったのは、江戸の物資が集まる心臓部――隅田川の河口にある、巨大な船着場だった。
潮の香りと、荒くれ者たちの怒号が飛び交う中、貞次郎は目的の男の前に立っていた。
菱垣廻船を仕切り、江戸の物流を牛耳る豪快な船主、淡路屋船五郎。
「日本橋のちっぽけな呉服屋の若旦那が、俺に何の用だ? ゆうべの酒の誘いなら、間に合ってるぜ?」
日に焼けた厳つい顔で、船五郎が貞次郎を鼻で笑う。
貞次郎は一歩も引かず、船五郎の目をまっすぐに見据えた。
「淡路屋の親分。あんた、大坂の問屋連中に、いつも安っすい運賃で叩かれて運ばされてるだろ? ……悔しくないのか?」
「……あ?」
船五郎の目が、不気味に細められた。周りの船乗りたちが、一瞬で殺気立つ。
「俺と一緒に、大坂の問屋を全部『中抜き』して、紀伊や三河の木綿農家から直接、数千反規模の塊で江戸へ一気に運ぶルートを作らないか? 運賃は問屋の言い値じゃなく、俺があんたの言い値で、全額『現金』で前払いしてやる」
「直仕入れだと……? 百姓や織元が、お前みたいな小店を相手にするわけねえだろ」
「相手にさせるさ。越前屋には、1日で一ヶ月分の在庫を売り切る『圧倒的な販売力(正札販売)』がある。百姓たちが一番恐れているのは不作じゃない、売れ残りとツケの回収不能(焦げ付き)だ。俺が『全量、現金で買い取る』と言えば、問屋を裏切ってでも俺たちに商品(反物)を売る」
貞次郎は不敵に笑い、船五郎の手をガシッと握りしめた。
「親分。問屋の奴隷のままで終わるか、俺と組んで、この江戸の流通の『神様』になるか……どっちがいい?」
船五郎は、呆気に取られたように貞次郎の顔を見つめた。吉原のバカ息子と噂されていた男の口から、江戸の物流の構造を完全にハッキングするような、恐ろしいビジネスプランが飛び出してきたのだ。
沈黙の後、船着場に船五郎の爆笑が響き渡った。
「ガハハハハ! 面白い! おい若旦那、お前、本当にあのバカ息子か!? いいだろう、その大博打、俺の船も乗せてやる!」
問屋という巨大な壁を崩すための、最強のロジスティクス(物流網)が、今ここに繋がった。
(第10話へ続く)
【第9話あとがき:三井貞治の経営ミニ講座】
今回のテーマ:ユニクロも実践する「製造小売(SPA)」とサプライチェーンの変革
『過労死百貨店マンの江戸商売無双』をお読みいただき、ありがとうございます!
第9話では、商売の上流である「仕入れ(調達)」の改革に乗り出しました。
今回の解説では、現代ビジネスにおいて最も成功しているビジネスモデルの一つである「製造小売(SPA:Specialty store retailer of Private label Apparel)」について、皆様おなじみの「ユニクロ(ファーストリテイリング)」を例に挙げて解説します。
1. なぜ、ユニクロの服は「安くて高品質」なのか?
普通の服屋さんは、衣服の工場(生産者)から、問屋や商社(仲介業者)が商品を買い、それをさらに小売店が仕入れて、私たち消費者に販売します。間に入る業者が多ければ多いほど、それぞれの利益(中間マージン)が上乗せされるため、最終的な商品の価格は高くなります。
しかし、ユニクロはこれを完全に変えました。
ユニクロは、商品の企画から、素材の調達、工場の選定(生産)、そして自社店舗での販売まで、「川上から川下までをすべて一社でコントロール」しています。
これが「製造小売(SPA)」と呼ばれる仕組みです。中間業者をすべて「中抜き」するため、圧倒的な低価格と、高い利益率を両立できるのです。
2. 貞次郎が船五郎と仕掛けた「江戸版SPA」
今回の貞次郎の作戦は、まさにこのユニクロの戦略そのものです。
これまでの越前屋は、大坂の問屋から高いマージンを払って反物を買っていました(これでは価格競争に勝てません)。
そこで貞次郎は、問屋を通さず、船主の船五郎と組んで「生産地(農家・織元)から直接、大量に仕入れるルート」を開拓しようとしています。
問屋を中抜きすることで、
仕入れコストを劇的に下げる(=さらに安く売れる)
必要な量を、必要な時に、大量に仕入れることができる
という、チェーンストアの絶対条件をクリアしようとしているのです。
3. ドラッカーの視点:利権ではなく「顧客」を見る
古参の茂兵衛は「業界のルール(問屋の利権)を破るな」と大反対しました。しかしドラッカーは「企業の目的は顧客の創造である」と説きます。業界の古いルールが、お客様への安価な供給を邪魔しているのなら、そんなルールは破壊すべき「悪」でしかありません。
貞次郎の圧倒的な熱量とハッタリに動かされた船主・船五郎。
次回、仕入れの為の金策です




