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『過労死百貨店マンの江戸商売無双 ~「お客様第一」の精神とドラッカーマネジメントで、天下の市場を買い占める~』  作者: 桐生宇優


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3/10

第3話:合理主義の罠

「接客時間は一人あたり最大10分。それを超える場合は、他の顧客への機会損失とみなす」


役員の藤馬が持ち込んだ新しいマニュアルは、冷酷そのものだった。


フロアの至る所に防犯カメラを兼ねた「動線監視カメラ」が設置され、AIが店員の接客時間を1秒単位で測定する。時間が長引けば、インカムを通じて藤馬の冷たい声が飛んでくる。


「三井、無駄話が長い。次の客に回れ」


貞治が長年かけて築いてきた、お客様の人生に寄り添うカウンセリング営業は「非効率」の一言で完全に禁止された。


すると、真っ先に変化が訪れた。

お店の「顔」であったはずの大切なお得意様たちが、次々と姿を消したのだ。


「三井さん、最近なんだか急かされているみたいで、落ち着いてお買い物ができないわ……」


かつてお孫さんのスーツを一緒に選んだあの老婦人も、寂しそうな笑顔を残して、それきり店に来なくなってしまった。


「僕たちがやっているのは、本当に一越の商売なんですか……?」


良心の呵責に耐えかねた後輩の手代木は、そう涙を流して一ヶ月後に辞表を提出した。

彼だけではない。お客様を数字としか見ない売場に絶望したベテランの販売員たちが、一人、また一人と職場を去っていった。


ガラ空きになった紳士服売場は、すぐに半分へと縮小された。


そして、その空いた広大なスペースに滑り込んできたのは、ファンドのコネクションを使って誘致された、海外の超有名ラグジュアリーブランドの数々だった。


売場の景色は一変した。


地元の常連客が消えたフロアを埋め尽くしたのは、免税手続きの手に大量の紙袋を下げた、外国人観光客インバウンドや、SNSでの転売目的の一見さんたちだった。


「並んでるバッグ、ここからここまで全部ちょうだい」


中国語や英語が飛び交う中、数百万、数千万単位の金が、まるで機械のように決済されていく。


確かに、店舗の売上データは過去最高を記録していた。藤馬は本社の役員会で「改革成功」のプレゼンを行い、得意満面の笑みを浮かべている。


しかし、貞治の目には、それがひどく脆く、中身のない空虚な数字にしか見えなかった。


「これは一越の売上じゃない。ブランドの看板に群がっているだけだ。もし、世界情勢が変わってこの人たちが来なくなったら、この店には何が残るんだ……?」


売場に立つ貞治の心は、すっかり擦り切れていた。


彼が懸念したその「最悪のシナリオ」が、目と鼻の先に迫っていることにも気づかずに。


(第4話へ続く)



【第3話あとがき:三井貞治の経営ミニ講座】

今回のテーマ:なぜ日本の百貨店は「高級ブランド」に支配されてしまったのか?

作者の『過労死百貨店マンの江戸商売無双』をお読みいただき、ありがとうございます。

第3話では、地元の常連客が去り、代わりにインバウンドと高級ブランドが一時のバブルのような売上をもたらす様子を描きました。数字上は「大成功」に見えますが、これは現代の日本の百貨店が実際に陥っている「構造的な罠」そのものです。

今回の解説では、「百貨店業界が高級ブランドショップに支配されていくからくり」について、その契約形態の裏側から解き明かします。

1. 百貨店のビジネスモデルは「小売業」ではなく「不動産業」?

一般的に百貨店は「洋服や雑貨を仕入れて売る場所」と思われがちですが、現代の多くの地方百貨店や大手百貨店の主力フロアは、全く違う仕組みで動いています。それが「定期借地権契約ていきしゃくちけんけいやく」や「消化仕入れ(しょうかしいれ)」というシステムです。

簡単に言うと、百貨店は自分たちでリスクを負って商品を仕入れるのをやめ、「一等地の床を海外の高級ブランドに貸し出し、売上に応じた手数料(家賃)をもらう」という、実質的な不動産賃貸業に変貌してしまったのです。

2. なぜファンドや経営陣はブランドを優遇するのか?

自分たちで仕入れをしないため、売れ残るリスクがゼロになります。さらに、シャネルやルイ・ヴィトンといった超高級ブランドは、1商品あたりの単価が数十万〜数百万円と圧倒的に高いため、出店させるだけで瞬時に店舗の「総売上」の数字が跳ね上がります。

短期的な成果(数字)を求める投資ファンドや経営陣にとって、これほど手っ取り早く「企業価値が上がったように見せかける」方法はありません。そのため、貞治のように手間暇かけて信頼を創る現場を縮小し、スペースをブランドに明け渡すのです。

3. 「主導権」の逆転と、待ち受けるリスク

しかし、この戦略には致命的な弱点があります。それは「主導権(コントロール権)が完全にブランド側に握られる」ということです。

ブランド側は「お前の店は売上が落ちてきたから撤退する」といつでも百貨店を脅すことができます。百貨店独自の魅力や、貞治たちが守ってきた「接客の力」を育ててこなかった店舗は、ブランドが抜けた瞬間にただの「空きビル」になってしまいます。

さらに恐ろしいのは、今回のストーリーのラストにある通り、「インバウンド(外国人客)や富裕層の気まぐれな消費に、店舗の命運が100%依存してしまう」という点です。世界的な感染症の流行、為替の変動、国際政治の緊張によって、その客層が一瞬で消滅するリスクを常に孕んでいます。


第3話のラストで、中身のない最高売上に踊る藤馬たち。

第4話では、世界情勢の急変によってその砂の城が崩壊し、そのしわ寄せがすべて貞治の肩にのしかかる「過労死へのカウントダウン」が始まります。商売の神様は、歪んだ合理主義にどのような鉄槌を下すのか。次回もぜひお楽しみに!

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