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『過労死百貨店マンの江戸商売無双 ~「お客様第一」の精神とドラッカーマネジメントで、天下の市場を買い占める~』  作者: 桐生宇優


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15/20

第15話:未来を破るプレゼン、天下の台所の降伏

【読者の皆様へ:本作を読む前のビジネス・ガイド】

本作は、現代の百貨店マンが江戸時代の呉服屋に転生し、未来の経営理論を駆使して成り上がる「ビジネス思考実験フィクション」です。

物語に登場する江戸の商習慣、歴史的背景、および主人公が巻き起こすイノベーション(正札販売など)の時期や変遷は、「もし、あの経営理論をこの時代に持ち込んだらどうなるか?」を分かりやすく解説するための創作フィクションであり、実際の史実とは一部異なる展開が含まれます。

>偉大な先人たちの知恵である「ドラッカーのマネジメント」や「チェーンストア理論」が、江戸の街をどう変えていくのか――。エンターテインメントとして楽しみながら、現代のビジネスにも通じる商売の本質を感じ取っていただければ幸いです。

「――バカ息子どもが。また吉原の夢の続きでも語り合っているのか」


地を這うような冷徹な声が、最高級座敷の空気を一瞬で氷結させた。


襖を開けて入ってきたのは、黒橡くろつるばみの上質な着物を隙なくまとった老商人。

大坂、いや日本中の経済を裏で操る鴻池家の現当主(お父さん)、鴻池大旦那おおだんなであった。

その背後には、大坂の綿問屋たちを震え上がらせる総支配人が、冷たい目を光らせて控えている。


「あ、親父……!」


さっきまで吉原の思い出話で大笑いしていた善右衛門が、一瞬で顔を真っ青にして縮こまった。


大旦那は座敷の真ん中に歩を進めると、貞次郎を上から見下ろした。


「江戸の越前屋の若旦那と言えば、うちのバカ息子と一緒になって吉原の金をドブに捨てた大うつけ。大坂の問屋たちから締め出され、今度はうちの金蔵に縋りに来たか。つまらん無心なら、今すぐ塩を撒いて追い出すぞ」


圧倒的なアウェイのプレッシャー。後ろの船五郎が、息をすることすら忘れて硬直している。


しかし、貞次郎はふっと笑った。

その瞳には、現代の冷酷な投資家たちを何度も黙らせてきた、百戦錬磨の百貨店トップとしての傲岸不遜なまでの自信がみなぎっていた。


貞次郎は、小判がぎっしり詰まった風呂敷を、大旦那の目の前の畳にドン! と叩きつけた。


「大旦那、ご挨拶が遅れました。今日は無心に来たのではありません。鴻池家が、この先百年の安泰を築くための、最高の『投資』の提案に参りました」


大旦那の眉が、ピクリと動く。


「ほう……。吉原の女から巻き上げた三百両が、投資の軍資金か」


「その通りです。位置づけとしては『初期資本(現物仕入れ)』です。この三百両のうち、二十両は船主の淡路屋の親分への船賃(ロジスティクス代)として引きます。残りの二百八十両……これを使って、今、鴻池の倉庫で埃をかぶっている、大坂問屋たちが借金のカタに置いていった『質流れの上級木綿』を、今ここで全額、現金で買い取らせていただきます」


大旦那の目が、鋭く細められた。横にいる総支配人がハッと息を呑む。


問屋の連中は首が回らず、担保の高級木綿は完全に「不良在庫(死に資産)」として鴻池の倉庫を圧迫していた。貞次郎はそれを一瞬で見抜いたのだ。


「フン、二百八十両か。うちの不良在庫が片付くのは悪くないが、それだけで鴻池の百年が動くわけがなかろう」


「これはまだ、挨拶代わりの現物仕入れに過ぎません。本題はここからです」


貞次郎は身を乗り出し、悪魔的な笑みを浮かべた。

「大旦那、鴻池から『もう三百両』、私に出資(投資)してください。この出資金を使い、私は善ちゃんと共に、河内や紀伊の綿作農家と直接、『秋に採れる木綿を、豊作不作に関わらず、あらかじめ決めた高い固定価格で、全量現金で買い取る契約(先物契約)』を結びます」


「先物だと……? まだ生えてもいない綿に金を払うというのか。そんな博打、鴻池ができるか!」


総支配人が叫んだが、貞次郎はそれを一喝した。


「博打ではない、リスクの消去だ! 農家が一番恐れているのは不作じゃない、豊作貧乏(価格暴落)と問屋からの買い叩きだ。鴻池の資金で『固定価格・全量一括買取』を保証すれば、農家は確実に儲かり、お前たちが農家に貸し付けている金も百パーセント回収できるようになる。問屋の利権など一瞬で消し飛ぶ!」


大旦那は黙って貞次郎を見つめている。その背中を、見たこともないロジックへの戦慄が駆け巡っていた。


「さらに、大旦那。倉庫に眠っている、上級ではない『一般木綿の質流れ品』。これも、私に【全量、委託】で預けてください。私が江戸に持ち帰り、我が店の『正札販売』で瞬時にすべて現金キャッシュに変えてみせます。


大旦那、鴻池がこの在庫から引き出したい『欲しい利益(目標金額)』を言ってください。私は、その値段で一反残らず売り切る約束をします。そして、稼ぎ出した現金は、すべて神田にある【鴻池両替商・江戸支店】へ直接、ダイレクトに全額叩き込みます!」


「……なっ!?」


総支配人が今度こそ椅子から転げ落ちそうになった。


大坂の不良在庫モノが、大坂問屋の包囲網を完全にスルーして江戸へ運ばれ、越前屋の圧倒的な販売力で「現金」に化け、そのまま鴻池の江戸支店の金庫キャッシュに直接還流する。鴻池にとっては、リスクゼロで不良在庫が消え、望む通りの利益が江戸で手に入るという、完璧すぎる資金還流システムだった。


「……大旦那」


貞次郎はまっすぐに老商人の目を見据えた。


「大坂の問屋は、ただ荷物を右から左へ動かしてマージンを取るだけの商売です。生産者と消費者そして小売が得をする商売が成り立てば最強の流通業となります。彼らに金を貸し続けても、いずれ共倒れになる。私と、お前の息子である善ちゃんと組み、富の源泉である『生産地』と、売る力である『小売』を直接繋ぐ、新しい金融の形を作らないか?」

静寂が、座敷を支配した。


大旦那は、隣でカタカタと震えながらも、父親の顔を必死で見返している我が息子・善右衛門を見た。そして、ゆっくりと、その深い一文字の唇を開いた。


「……総支配人。金蔵から、小判三百両を出せ」


「えっ!? 大旦那、しかし……!」


「黙れ。この江戸の若旦那は、うちの金蔵の病をすべて見抜き、その薬を持ってきた。これ以上の商い(投資)がどこにある」


大旦那はそう言うと、息子の善右衛門の前に、蔵の重い鍵をパチンと投げ置いた。


「善右衛門。お前がこの商いの名代(責任者)だ。この男の黒子となり、鴻池の底力を見せてみよ」


「……っ、はい!! ありがとうございます、親父!!」


善右衛門の目に、生まれて初めて、本物の経営者としての熱い涙とプライドが宿った。


大旦那が去り、座敷に三百両の出資金と蔵の鍵が残された。


「やった……やったぞ貞ちゃん!」と飛び跳ねる善右衛門の肩を、貞次郎はガシッと掴んだ。


「善ちゃん、喜ぶのはまだ早い。ここからがお前の本当の仕事だ。俺が江戸に帰った後、大坂でこの巨大な仕組みを実際に動かすのはお前なんだ」


「え? ……僕の仕事?」


「ああ。先物契約で農家から『綿花』を全量買い取る約束はできた。だが、綿花のまま江戸に送られても反物にできない。秋の収穫までに、大坂の問屋ギルドを一切通さない、俺たちだけの『専属の製造・物流ライン(サプライチェーン)』を、鴻池のネットワークで大坂に作り上げてくれ」


貞次郎は大福帳に、現代の生産管理マニュアルのような明快な工程図をサラサラと描き出した。


「実務の工程は三つだ。

一、まず、綿作農家から集めた実綿みわたから種を抜く『綿摘み場』を、鴻池の敷地内に直営で囲い込め。

二、次に、糸を紡ぐ農家の女性たちや、反物を織る腕利きの職人(織元)たちと、個別に『専属雇用(専属ライン契約)』を結ぶんだ。大坂問屋の嫌がらせが怖いだろうから、『問屋から干されても、鴻池と越前屋が今後一生、お前たちの生活と仕事を全額保証する』と書いて、金を前貸しして安心させろ」


「なるほど……! 職人たちを僕たちの『専属』にして囲い込むんだね!」


善右衛門の目が、ビジネスの熱を帯びて輝きだす。


「その通り。そして三つ目。織り上がった反物は、大坂問屋の倉庫ではなく、すべて船五郎の親分の『淡路屋専用の港の蔵(専用デポ)』へダイレクトに集約させる。

つまり、【農家(原料)→ 鴻池直営(紡績・織布)→ 淡路屋(物流)→ 江戸・越前屋(販売)】だ。中抜き問屋が入り込む余地を、一寸の隙もなく完全に無くすんだよ」


後ろで聞いていた船五郎が、思わず膝を叩いて絶叫した。


「なんてこった! 職人の囲い込みから俺の庫まで、最初から最後まで一本の『身内のパイプ』で繋いじまうってわけか! これなら、大坂問屋がどんなに市場で目を光らせてようが、荷物は俺たちのパイプの中をすり抜けて江戸へ直行だ!」


「善ちゃん」


貞次郎は善右衛門の目をジッと見つめた。


「お前は数字の計算は苦手かもしれない。だが、鴻池の若旦那としての『圧倒的な人脈と信用』がある。各村の庄屋や、頑固な職人の親方たちの元へ自ら足を運び、お前のその最高の笑顔で『僕を信じてくれ』と握手を交わしてくるんだ。人に寄り添い、信頼を勝ち取る……お前にしかできない、最高に粋な仕事だろ?」


善右衛門は、突きつけられた工程図と金蔵の鍵を交互に見つめた。ただ親の金で遊んでいただけのバカ息子に、初めて「自分にしかできない、歴史を動かす巨大な役割」が大親友から与えられたのだ。その胸に、男としての本物のプライドと野生の血がドクドクと駆け巡る。


善右衛門は不敵に笑うと、鍵を懐に仕舞い、貞次郎の手を強く握り締め、ガシッと力強い握手を交わした。


「――任せろ、貞ちゃん。秋の収穫までに、大坂中の極上の職人を全部僕のファンにしてみせるよ。江戸の越前屋の棚が破裂するくらいの最高級の反物を、一本のノイズもなく、船五郎さんの船に流し込んでやる!」


「期待してるぞ、相棒」


翌朝、夜明け前。


現物の最高級木綿二百八十両ぶん、そして鴻池の倉庫から全量預かった「一般木綿の質流れ品」が、船五郎の巨大な菱垣廻船の胃袋へと次々に運び込まれていく。

船倉は、文字通り天井まで白い黄金の山で埋め尽くされた。


甲板に立つ貞次郎に向かって、見送りに来た善右衛門が岸壁から大きく手を振る。


「貞ちゃん! 江戸で待ってろよ! 僕たちの新しい商売、大爆発させてくれ!」


「ああ! 大坂は頼んだぞ、善ちゃん!」


帆が上がり、朝風を孕んで巨大な船体がゆっくりと動き出す。


大坂に残る戦友が生産(川上)のインフラを固め、転生した百貨店マンが江戸(川下)で最新鋭の売場を開く。


日本の商業の歴史を完全に塗り替える巨大な両輪が、ここにがっちりと噛み合い、船は山盛りの財宝と共に、いよいよ大江戸への凱旋へと出航した。


(第16話へ続く)

【第15話あとがき:三井貞治の経営ミニ講座】

今回のテーマ:現代ビジネスの王道「垂直統合(SPA)」と「ソリューション提案」

第15話をお読みいただきありがとうございます。

1. 現代アパレルも驚愕する「消化仕入れ(委託販売)」

貞次郎が提案した「一般木綿の質流れ品を全量預かり、売れた分だけ鴻池の江戸支店に現金を還流させる」という仕組みは、現代の百貨店が最も得意とする「消化仕入れ(委託販売)」そのものです。

小売側(越前屋)にとっては、仕入れのための手元資金がゼロ、かつ在庫リスクを抱えなくていいという圧倒的なメリットがあり、金融側(鴻池)にとっては、眠っていた不良在庫が確実に目標利益を伴って江戸で現金化されるという、これ以上ない最高効率のWIN-WINの契約です。

2. サプライチェーンを自社で支配する「垂直統合(SPA)」

そして、貞次郎が善ちゃんに託した大坂での実務こそが、現代でいう「垂直統合(Vertical Integration)」、アパレル業界で言えばユニクロ(ファーストリテイリング)が完成させた「SPA(製造小売業)」のシステムです。

通常の小売は出来上がったものを仕入れるだけですが、これだと途中の製造・卸工程でどんなマージンが乗っているかブラックボックスになります。

今回、原料(農家)から加工(紡ぎ手・織元)、物流(淡路屋)、販売(越前屋)までを一本の「専用パイプ」で丸ごと囲い込むことで、中抜き問屋を完全に排除し、品質管理と圧倒的なコストカットを同時に実現するインフラが整いました。

3. ドラッカーの視点:適材適所の「強みのマネジメント」

ドラッカーは、最高のチームを作る条件として「人の強みを発揮させ、弱みを意味のないものにすること」を挙げています。

善ちゃんは細かい計算(弱み)は苦手ですが、大豪商の若旦那としての「圧倒的な信用」と「人に愛される人柄(強み)」を持っています。貞次郎がロジック(仕組み)を渡し、善ちゃんが現場の職人たちの心を動かす(人間力)。この二人の補完関係こそが、巨大なイノベーションを成功させる最高のマネジメントです。

次回の第16話、この莫大な「現物」と「委託品」を積んだ巨大船が、いよいよ江戸へ凱旋!

長吉たちが一ヶ月かけて完成させた「壁のない最新鋭のセルフサービス売場」に、この山のような商品が並んだ時、江戸の庶民はどう動くのか!? そして、効率化によって生まれた時間で展開される「お客様に寄り添う、真のおおもてなし」とは!?

次回、江戸の街がひっくり返る「新・越前屋グランドオープン編」をぜひお楽しみに!

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