第三章 悪意 十四
「父さんは母さんのことをちゃんと好きでいた。大事にしていた。……だから余計に許せないんだ。なんの落ち度もなかった母さんを監禁したうえ、星来兄さんと一緒に森に捨てた父さんの行動が、どうしても許せないんだ」
「俺も同じ気持ちだ」
月世が言った。静かな口調だった。
「母様を護り切れぬというのなら、最初からあの人との結婚など諦めておけばよかったんだ。父様に足りなかったのは、『なにがあっても妻を護る。身を挺してでも絶対に護る』という覚悟だと俺は思うよ」
純は絶句した。
巨大な鈍器で頭を殴られたような衝撃を頭に受けた──ような気がした。実際にそのようなことはされた経験はないのだが、しかし、確かに耐えがたいショックを全身に感じたのである。
「正絹さんが……、あの人がそんなことをしていたなんて……!」
呟き声に震えが混じる。怒りと失望をまじえた独白が、浅い息とともに吐き出される。
その天宮正絹氏はいま、東京の法術局本部に勤務している。つまり、単身赴任をしている身なのだ。一年のうちに屋敷に顔を出すのはほんの数回、多忙なときは一年を通して帰熊しないこともある。
純は思い出す。婚約の儀の際、一度だけ会った彼の姿を。
自分の見たあの人は背が高く、体格が締まっていて、年齢よりもずっと若く見えた。姿勢もすごくよかったし、常ににこやかに笑んでいた。
あの人が──、とても優しそうな顔をしていたあの人がそんなに悲惨な事件を起こしていたなんて。よりによって、愛した女性と実の子どもを森に捨てたなんて。
怒りの念と正絹に対する失望とが、泉のように間断なくあふれ出てくる。怒りが憤怒の感情に変化しそうな気さえする……。
「そうだ、純くん。もうひとつ、君に伝えておきたいことがあるんだけど」
あらたまった口調で、千晴が話しかけてきた。常と同様、尋常でない明るさを伴った声だった。
「あのさ。先日、麗門高で校舎の窓がひとりでに開くという事件が発生しただろう? あれの犯人、星来兄さんみたいだよ」
「えっ、なんでハルさんがそのことを……」
すると、千晴が勇ましく胸を張って、
「法術局の局員さんが情報をリークしてくれたんだよ。ほら、僕ってこう見えても、魔術師の最高峰といわれる超級魔術師のひとりだからね。『なにかあったら協力してもらおう』と考えている法術局関係者だって少なくないわけさ」
「あ、そっか。攻撃魔法でハルさんに並ぶことのできる人って、数少ないらしいからなあ」
「そうそう。こう見えても、君たちのお兄ちゃんは凄腕の術使いなわけだよ」
からからと打ち笑う千晴を見て、純も笑った。天宮正絹への怒りと失望をいまだ心に抱えているのは確かであったが、それよりも、千晴の裏表のない笑顔に、揺らぐ気持ちを慰められたのである。
広々とした居間に、二人分の笑い声がしばらくの間響きわたる。
けれど、それも束の間の出来事だった。
険相を作った月世が怒気を含んだ声で、
「笑いごとではない」
と、ひとりごとを漏らしたのである。
はっとして振り向いた純たちを交互に見やったあと、彼は厳かな口ぶりをなして言った。
「まだ問題は解決していないんだ……。気を抜くな」
「うん、そうだね」
「わかってるよ」
千晴、そして純が順番に相槌を打つ。
再び重苦しい気分が胸に集った──その数秒後のことだった。
ドクン、と。
心臓が強く拍を打ち鳴らした。
【続く】
【裏話】
「霧上のエラスムス」の主題歌をYouTubeで聴いています。
ゲームもよかったけど、この歌もすごくいいんですよね。




