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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
四章   新しい風が呼び込んだもの

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80話  これも、お仕事 ~アードの責務~


 土の月、後節。

 あれから数日が経ったある日。


 執務室の扉がコン、コンと叩かれ、マテオが分厚い紙の束を抱えて入ってきた。

 いつもの几帳面な足取りだけど……なんだか表情が硬い。


「報告書が届きました」


 差し出された束を、アゼレアがすっと受け取る。

 ぱらぱらと目を通す彼女の横顔はいつも通りなのに、マテオの眉間は少しも緩まない。


 ……気になる。


「ねぇ、マテオ。どうしたの? そんなに難しい顔して」


 マテオは一瞬言葉を飲み込んで、それから小さく咳払いをした。


「……いえ」


 濁された返答に、余計に胸がざわざわする。


 そんなわたしを横目に、アゼレアが報告書を閉じた。

 そして、ふっと息を吐いてから、こちらに視線を向ける。


「――そろそろ、いいだろう」

「ん?」

「これもアードの仕事だ。お前も読め」


 そう言って、分厚い報告書が目の前に置かれる。


 いままではアゼレアが処理してくれていたもの。

 けれど、代理である以上、避けられない責務。


 わたしはごくりと唾を飲み込んで、書類を開いた。


 記録の一行目に目を走らせた瞬間、眉間にしわが寄るのを自覚する。


「魔獣の目撃情報……んん? 方角だけ?」


 そこに並んでいたのは、魔獣の目撃地点の記録だった。

 北西の集落、南の畑地、東の森沿い。

 紙には、そんなふうに淡々と書かれていた。


 ――家畜が一頭襲われた。

 ――影を見た者あり。

 ――足跡と思しき痕跡を確認。


 ひとつひとつは小さな被害だけど、点が増えれば線になる。

 トバルのすぐ近くに、確実に魔獣が来ているという印だった。


 わたしはいつの間にか、唇を噛んでいた。


「これが……アードの仕事」


 ぽつりとこぼれた声が、執務室の静けさに溶けていった。


「こういう報告は、毎月届く」


 アゼレアの声は落ち着いていた。

 けれど報告書に並ぶ文字は、わたしの胸をきつく締めつける。


「表には出さない。無用に不安を広げれば、町の生活そのものが揺らぐからな。これまでは私が処理してきた」


 淡々と告げるその横顔を見て、わたしはごくりと喉を鳴らした。


「でも、アードの代理ってことは、これからは……」


 わたしの言葉に、アゼレアが目を合わせ頷く。


「お前の責務だ」


 きっぱりと言い切られて、ずしりと肩に重圧がのしかかった。

 軽い気持ちで「守りたい」なんて言ってきたけれど、実際にはこういう厳しい現実と向き合わなきゃならない。


 報告書をもう一度見つめる。

 北西、南、東――方角だけで書かれた地名のない記録が、じわじわと迫ってくる。


「……わたしも、知らなきゃいけないんだね」


 小さく呟いた言葉に、マテオも深く頷いた。



 ◇ ◆ ◇



 アゼレアが椅子に深く腰を下ろし、腕を組んだ。


「今までは私と部下たちで処理してきた。だがもう一年だ――やってみろ」


 その言葉に、再び胸がどくんと跳ねる。


 ……でも逃げたくない。


 どこかそんな気持ちに駆られて、わたしはこくりと頷いた。


「……うん」


 報告書をもう一度開いて、震える指で行を追う。

 北西の村、南の農地……そこに書かれている魔獣は『討伐済み』と印がついていた。


「じゃあ、この北西と南は、もう片付いたっと……」


 小さく息をついて、視線を次の行へ移す。

 気になる点はひとつ。

 東だけ、討伐済みの記載がない。


「東は? 東の森沿いはどうなってるの?」


 わたしの問いかけに、マテオが頷く。


「魔獣三頭を処理しました――ウルフイーターです」


 ごくりと息を呑む。

 森の狼たちを喰らう、凶暴な魔獣だ。

 聞いただけで、背中が強張る。


 マテオはさらに報告書の一文を指で押さえた。


「ただし、足跡の数から見て、まだ複数体が潜んでいる可能性があり、現在、調査中です」

「ねぇ……それってわたしが、見に行くことは可能?」


 思わず口からこぼれた言葉に、アゼレアはすぐさま首を横に振った。


「無理だ」


 きっぱりした声音に、胸がちくりと痛む。

 でも、そのときマテオが控えめに口を開いた。


「本来はアードが部下を率いて向かうものです。ですが代理殿は平民、そのうえ、まだ幼い……現地視察は危険が大きすぎます」


 正論。

 頭ではわかってる。

 けれど、胸の奥のざわざわが収まらなくて、わたしはつい言い返していた。


「でも、それって代理のお仕事なんでしょ? ここで行かなかったら、所詮平民の代理って言われるだけじゃない?」


 マテオの眉がぎゅっと寄り、苦い顔になった。

 叱られる覚悟で見上げたけれど、彼は何も言えずに口をつぐんだ。


 でも、その眼差しは、わたしの身を案じているのがよくわかる。


「……何も現地に行けと言ってるのではない」


 それを見かねたのか、アゼレアが口を挟む。


「部下を使って解決すればいい。それが代理の務めだ」

「それは、そうだけど……」


 わたしは俯いて唇を噛む。


「結果として魔獣の被害を抑えているのならば、問題ないだろう?」

「……それも、そうだけど……」


 納得できなくて、つい小さな声で返してしまう。

 アゼレアはそんなわたしを見て、困ったように眉尻を下げた。


 そして、少しだけ優しい目をして――。


「……頑固者め」


 その一言に、胸がきゅっと熱くなる。


 アゼレアは視線をマテオへ向けた。


「マテオ、エルネストを護衛につけろ」

「承知しました」


 短く答えるマテオの声が、執務室に静かに響いた。

 アゼレアは改めてわたしの方へ向き直り、手を伸ばして頭を優しく撫でる。


「気をつけろよ」

「うん」


 不安もあるし、緊張もする。

 それでもわたしは、大きく息を吸い込んで勢いよく宣言した。


「――行ってくる!」



 ◇ ◆ ◇



 支度を整えたわたしは、ロエナを連れて屋敷を出た。

 朝の空気はひんやりしていて、緊張で強張った心を少しだけ和らげてくれる。


 門を抜けると、すでに用意された馬車が待っていた。

 その横に立っていたマテオが、こちらに歩み寄る。


「代理殿」


 軽く会釈をしてから、マテオは後ろに控えていた黒衣の男に目をやった。


「こちらはエルネスト。アゼレア様直属の部下で、今回の護衛を務めます」


 ……あっ、この人。


 その姿には見覚えがあった。

 アゼレアに誘拐された時、馬車の中にいた男性だ。


 がっしりとした体格で背の高い男が、一歩前に出る。


 黒髪、黒目。三十代半ばくらいだろうか。

 全身を黒で固めた姿は重々しく、顔つきも険しい。


 でも、その仕草はきわめて丁寧で、膝を折って深く頭を下げた。


「……」


 無言のまま、ただ静かに礼をするその姿に、思わずまばたきをする。


「よ、よろしくお願いします……?」


 恐る恐る声をかけると、エルネストはほんの一瞬だけこちらを見て――。


「……御意」


 低く、短い声で頷いた。



 馬車はぎしぎしと揺れながら、トバルの東へと進んでいった。


 窓の外に広がるのは、収穫を終えた畑。

 刈り取られた藁の束が点々と並び、風にかすかに揺れている。


「もう、すっかり収穫も終わりなんだね」


 つい呟くと、隣に座るロエナが笑顔で頷いた。

 向かいに座るエルネストは、背筋をぴんと伸ばしたまま、視線を外へ向けている。


 やがて街道に入り、両脇を畑が遠ざかっていく。

 その途中、小さな家が数軒寄り集まっただけの、名もない村を通り過ぎた。


 軒先に干された藁や、庭先で遊ぶ子どもたちが目に入る。


「ねぇ、あの村って……名前あるの?」


 何気なく尋ねてみたけれど、返ってきたのは低い声ひとつ。


「……存じません」

「へ、へぇ~」


 ……話題を間違えたか。


 馬車はそのまま林道へ入り、木々の間を抜けていく。

 差し込む木漏れ日が、車内をちらちらと明るくした。


 林道に入っても、しばらく車輪の音だけが響いていた。

 なんだか気まずくて、わたしはもう一度口を開いた。


「ねぇ、エルネストって普段は何してるの?」

「警護です」


 それっきり。

 短く、切り捨てるような答え。


「そ、それだけ?」

「はい」


 ……手強い。


 やっぱり会話が続かない。

 その様子に、ロエナが肩を震わせて笑っている。


 ロエナが、目で頑張れと言っているのがわかる。


 負けじと、わたしはもう一つ質問をぶつけた。


「じゃあ、好きな食べ物は?」


 ほんの一瞬だけ沈黙。

 そして、低い声が返ってきた。


「……存じません」

「知らないの!?」


 思わずツッコんだ声を上げると、ロエナがとうとう吹き出してしまった。


 その横でエルネストは、やっぱり表情を変えないまま、窓の外の森を見続けていた。


 ……アゼレア、彼は本当に大丈夫なの?






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