74話 笑顔の裏側 ~わたしが見てきた世界~
視察は終始順調に終わった。
結果は好感触。
一年以上、頑張ってきた甲斐があったというものだ。
トランの言葉からも、これは期待が持てそう。
場所を執務室に移し、所長はわたしの仕事ぶりも評価してくれた。
この人に認められると、嬉しくなるのはなんでだろうね。
って、そこまでは良かったんだけど……。
所長がふっと笑った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
……ヤバイ……なんで、笑ってるの?
優しい笑顔じゃない。
絶対これ、何か企んでる顔だ。
心臓がどきどきして、手のひらがじっとりと汗ばむ。
……おかしいなぁ、どこでミスったかなぁ。
視察も順調だったし、孤児の授業も褒められたし……。
なのに、なんであんな笑顔をするのか。
わたしは机の下でこっそり拳を握る。
……なんとかして、この場を乗り越えなければ。
◇ ◆ ◇
所長の笑顔に青ざめながら、わたしはなんとか声を絞り出した。
「えっと……招いた理由、ですか?」
「そうだ」
所長の紫の瞳が、まっすぐこちらを射抜く。
「それは……瓶の中身を、所長には見えないから。わたしと一緒なら、と思って……」
「であれば、君が来ればよかろう」
「えっ!? わたしって、サンドレアムに行けるんですか?」
所長の眉間に皺が増える。
これは呆れてる顔だ。
「当たり前だ。口実を用意すれば、いくらでも可能だ」
「そ、そうだったんだ……」
あまりにも当然のように言われて、拍子抜けする。
わたしはあっちこっち視線を泳がせ、意味もなく机の上のインク壺を凝視してしまった。
所長は軽く帳簿を指で叩きながら、淡々と続ける。
「本来、この程度の視察ならトランで十分だ。余計な手間もかからん」
「それじゃあ、断ってもらって、わたしが行けばよかったんじゃ……」
所長から小さなため息が漏れる。
「取り消せるわけがなかろう。代理とはいえ、トバル統治者からの名指しの申請だぞ。少なくとも、私が出向かなければならん」
……あっちゃ~……わたしが先走りすぎたのか。
はぁっと、頭を抱えてうなだれる。
顔を覆った指の隙間から、ちらりと所長を見やると、所長の口元がわずかに緩んだ。
「そういうところは、変わっていないのだな……では、理解したな?」
「はい。理解しました」
「よろしい」
所長が軽く頷く。
……あっぶない。機嫌は戻ったみたい。
所長は椅子から立ち上がり、部屋の隅に魔石を置く。
片手を軽く振り「遮れ」と呟くと、次の瞬間、部屋の隅に淡い光が走り、空気がぴんと張りつめた。
「……防音の結界?」
「そうだ。これで外に漏れることはない」
所長は再び腰を下ろし、真っ直ぐこちらを見据えた。
「さて、本題だ」
「はい」
所長は机の脇に置かれた鞄から、小瓶を取り出す。
中は空っぽに見えるけれど、わたしにはそこに例の物があるとわかっている。
「これを……どうやって見つけた?」
「それは……」
わたしは、数日前のことを思い出しながら説明する。
収穫祭の準備で畑を歩いていたら、精霊たちが呼んでいて――小麦の穂から垂れていた蜜を見つけたこと。
「それで、すごく美味しくて他にもあったので、瓶に詰めて持ち帰りました」
「……」
所長の目が細まった。
「その後は、これは所長に連絡しないと――」
「――待て」
嫌な予感がして、思わず背筋を固くした。
「舐めたのか?」
所長の低い声に、わたしはびくりと肩を揺らした。
「え、えっとですね……はい。甘くて、おいしかったです……ですので、お裾分けをと……」
自分で言いながら、どんどん声が小さくなる。
視線を合わせられず、気まずくなって机の木目をじっと見つめた。
所長は額に手を当て、深く息を吐いた。
紫の瞳が半分閉じられ、呆れを隠そうともしない。
「君のすぐ舐める癖はどうにかならんのか? 毒を口にしたときの恐ろしさで懲りたかと思ったが……私の思い違いか?」
「せ、精霊が舐めても大丈夫って……」
所長の溜息がまたひとつ。
指先でこめかみを押さえながら、視線だけをこちらへ向けてきた。
「精霊に確認したのは、よしとしよう」
「はい……」
わたしはしゅんとして肩を落とした。
……ふぅ。あぶない、あぶない。
所長は指で机を叩きながら、冷静な声で続けた。
「しかし、だからといって舐めるべきではない。それが君の体に毒ではなかったにしろ、何か変化が起きる可能性もあるのだ。十分、注意しなさい」
「は、はい……でも、疲れが取れる以外は、特に何も感じませんが」
「今はそう感じても、また変な事になっても知らんぞ」
「変な事?」
所長の視線が鋭さを増す。
「精霊が日常的に見えたり、増えたりと心当たりがあるであろう」
「……あ~、確かに」
わたしは頬をかきながら苦笑いを浮かべる。
「見つけた過程はわかった……おそらく、これが精霊の雫だ」
「えっ……!」
その名を聞いて、机に身を乗り出す。
なぜなら、それは森で採れるとばかり思っていたからだ。
「それって……森で採れるって」
「サンドレアムの市場よりは、森で採れるはずと言っただけだ。これは自然の恵みだ。トバルであれば、種を蒔き育てた小麦から採れても不思議ではない。精霊が導いたのであれば、なおさらだ」
所長は椅子に深く背中を預け、指先で小瓶を軽く回しながら言う。
紫の瞳が、瓶の中を細かく観察しているのがわかる。
……そうなの?
わたしは、机の下の精霊たちをちらりと見る。
すると、みんなが一斉にこくりと頷いた。
「精霊の雫で間違いないそうです……」
「だろうな」
所長は満足げに小さく頷くと、鞄から粉末が入った別の小瓶を取り出した。
中には黒ずんだ粉末が入っている。
「それは、なんですか?」
「忘れたか? 君が見た黒猫とやらが示した毒草の粉末だ」
瓶を光にかざしながら、所長の口元がわずかに緩む。
「持ってきておいて正解だったな」
……用意がいいですねぇ、ほんとに。
◇ ◆ ◇
「さて、これをどの配分にするかだ……」
所長は机に瓶を並べていく。
なんだか、所長の顔が活き活きしてきたように見える。
「しかし、目に見えないとなると量がわからんな……」
所長は瓶を光にかざし、軽く揺すっては眉を寄せる。
わたしも何か、見える方法はないかと考える。
「ルルーナ、空き瓶はあるか?」
「はい……ありますけど」
「君がそこに、私が指定した量を移し替えなさい」
……なるほど。スペックが高いと、こうも簡単に答えがでるのか。
わたしは戸棚を開け、棚の奥から小さな瓶を三つ取り出した。
机の上に並べると、所長が指でとんとんと叩いて順序を示す。
「まずは。この瓶に三分の一」
「はい」
匙を慎重に動かしながら、透明に見える雫をすくい取る。
光の加減で表面がきらりと揺れて、精霊たちが楽しそうに瓶の周りを舞った。
わたしは息を止め、ぽたりと雫を落とす。
「入れました」
「……よし」
所長が頷き、次の指示を飛ばす。
わたしはまた匙を動かし、別の瓶に少しずつ分けていった。
机の上に並ぶ瓶が増えていくたびに、なんだか理科の実験みたいでわくわくしてきた。
今度は同じように、粉末も割合で分けていく。
匙を使って瓶に落とすたび、細かな粉がふわりと舞い、光にきらめく。
「よし。ルルーナ。この瓶に入れるとしたら、どの粉末の瓶か精霊はわかるか?」
「はい。聞いてみます」
わたしは頷くと、精霊たちに問いかける。
すると、精霊たちは一斉に動き、一番量の少ない瓶を示した。
「所長、この一番少ない瓶です」
「よし。では、この瓶の粉末の量は、これより多いか、少ないかわかるか?」
「聞いてみます」
……みんな、どう? 少ないなら右へ。多いなら左へ。
わたしは両手を広げて合図をする。
「所長、多いか少ないか左右で示してもらおうとしたんですが……真ん中にいっちゃって」
「では、この量であっているのか確認しなさい」
「みんな、この量でいいの?」
わたしが確認し直すと、精霊たちはこくりと頷いた。
「これでいいみたいです」
「よし。でかした」
その言葉に、わたしは心の中で拳を突き上げる。
「では――混ぜてみよう」
所長は瓶をひとつ持ち上げ、指先で軽く回して粉末を確認する。
その動作は実験器具を扱う学者そのものだ。
「ルルーナ、この匙を持ちなさい」
「は、はい」
わたしは慌てて受け取り、瓶の口にそっと差し入れる。
精霊たちがその周りでふわふわと漂い、まるで監督しているみたいだ。
「雫を二滴」
「に、二滴ですね」
息を止めて匙を傾けると、透明に見える雫がぽたり、ぽたりと落ちた。
瓶の中で粉末がしゅわりと溶け、淡い光が立ちのぼる。
「おお……!」
わたしは、まじまじと瓶を見つめる。
所長は表情を変えず、静かに観察を続けていた。
紫の瞳が光を追い、瓶の揺らぎを細かく見逃さない。
「……反応は安定しているな。次は三滴」
「えっ、さっき二滴で光ったのに、まだやるんですか?」
「当然だ。限界値を見極めねば意味がない」
淡々と告げる所長に、わたしは思わず肩をすくめる。
……やっぱり、研究モードの所長は止まらない。
「では、三滴」
所長の低い声に促され、わたしはごくりと唾を飲み込んだ。
「……わ、わかりました」
匙を傾けると、三滴目が瓶の中へと落ちる。
――その瞬間。
瓶の中で光が一気に膨れ上がり、ぼうっと白い輝きが走った。
粉末が弾けるように泡立ち、細かな光粒がぱちぱちと弾ける。
「ひゃっ……!」
急な反応に驚く。
ガタっと椅子にぶつかる音がすると、精霊たちは、きゃあきゃあと笑うように舞い上がり、瓶の周りをぐるぐると飛び回った。
「所長、やばそうです!」
「落ち着きなさい。まだ許容範囲内だ」
所長は平然と瓶を持ち上げ、光を透かして観察している。
指先が少し熱を感じているはずなのに、まるで気にしていない。
「むしろ、ここからが重要だ」
「じゅ、重要って……!」
わたしは半泣きで叫びそうになった。
ぱちぱちと光が弾ける瓶を前に、わたしは恐る恐る中を覗き込んだ。
「しょ、所長……もう残り、少ないです。次でなくなりそう」
「よし」
……よし! じゃなくて、やめません?
所長は短く頷き、視線を瓶に固定したまま命じる。
「最後の一滴を投入しなさい」
「は、はい……!」
匙を握る手が震える。
けれど、精霊たちが励ますように周りを飛び回るので、思い切って瓶の口へ傾けた。
――ぽたり。
最後の一滴が落ちた瞬間、光が一際強く弾け、室内を淡い金色に染め上げた。
やがてその輝きは徐々に収まり、瓶の中には透き通るような淡黄の液体が静かに揺れていた。
「……完成、ですか?」
わたしは息を詰めて問いかける。
「そうだ」
所長は瓶を手に取り、光にかざして深く頷いた。
「精霊の雫を基にした、新たな試料だ」
紫の瞳がわずかに輝きを帯びる。
研究者としての興奮を隠そうともせずに。
……ああ、やっぱりこの人、楽しそうだ。
「ふむ……完成はしたが、用途がわからんな」
所長は瓶を机に置き、指先で軽く叩いた。
澄んだ音が響き、淡黄の液体がゆらりと揺れる。
「精霊に聞いてみます」
わたしは精霊たちに目を向け、小さく問いかけた。
「ねぇ、これは……何かと混ぜて使うもの?」
ふわりと舞った精霊たちは、揃って首を振るように左右へ揺れた。
「所長、混ぜるものじゃないみたいです」
「……では単体で使うのか?」
今度は精霊たちがこくりと頷くように上下に揺れた。
「単体で……はい、そのようです」
「そうか……」
所長の眉間に深い皺が刻まれる。
わたしはさらに考え、両手を広げて精霊たちに示した。
「じゃあこれは……何かに使うもの? それとも誰かに使うもの?」
精霊たちはしばらく宙を舞ってから、一斉に右へ、すっと流れた。
「……所長、誰かに使うみたいです」
「誰かに、か……」
所長は小さく呟き、瓶をじっと見つめている。
紫の瞳が、液体の奥を探るように細められていた。
……もしかして。
嫌な考えとともに、手に汗が滲む。
「こ、これ飲めるの?」
わたしは恐る恐る精霊たちに尋ねる。
すると精霊たちは、一斉に上下へ揺れた。
「所長、飲めるそうです」
「そうか……」
そう言うと、所長は瓶に手をかざす。
所長の掌が淡く光ったかと思うと、数秒もしないうちに光は消えた。
「毒はないな……飲んでみなさい」
……躊躇がないなぁ。
「わたしがですか?」
「精霊関係のものだぞ。君以外に誰がいる?」
所長の顔は至って真面目。
……くぅぅ、ずるい。
「で、でも飲む量は……匙一杯分でいいの?」
わたしは匙を持ち上げて、精霊に見せる。
精霊たちは小さく弾むように頷いた。
「匙一杯分でいいみたいです!」
「なるほど」
意を決して匙ですくうと、精霊たちが首を横に振るように左右に揺れた。
「え? わたしは飲んじゃだめ?」
問いかけると、ぴたりと静止してから再び強く否定の揺れ。
「だめだそうです……」
「なに?」
所長の紫の瞳が細められ、怪訝な色を帯びる。
わたしはふと思いついて、にっこり笑って問いかけた。
「じゃあ、所長が飲むの?」
精霊たちは一斉に、勢いよく上下へ揺れた。
「所長用だそうです!」
わたしはニッコニコの顔で報告する。
「……ふむ。ずいぶんと、いい笑顔だな」
所長は額に指を当て、呆れたように苦笑すると、匙を手に取り、淡々と準備を整え始めた。
「では、飲む」
所長はためらいもなく、淡黄の液体を一口で喉へ流し込んだ。
……え、ほんとに躊躇しないんだ……少しくらい迷うとか、ないの?
わたしは思わず目を丸くする。
「所長、大丈夫ですか?」
机に身を乗り出して顔を覗き込む。
所長は静かに目を瞬き、喉元に触れてから短く頷いた。
「甘い。微かに草の匂い……刺激はない」
言い終えるより早く、所長の視線が空中で止まった。
紫の瞳が、わたしには見慣れたなにかを追い始める。
「……見えるな」
低く落ち着いた声。
でも、その声の中に、僅かな驚きが混じっていたのがわかる。
「小さな光の粒子が集まり……渦を巻く。動きが目の動きと一致している……残像ではない」
精霊たちは嬉しそうに所長の周りをくるりと回り、指先に触れそうな距離でふわふわと舞った。
所長は人差し指をそっと動かし、反応を確かめる。
「なるほど。精霊の雫に、あの幻覚作用を持つ毒草の粉末を適量で重ねることで――そういうことか」
さらりと分析を口にして、瓶を光にかざす。
「えっと……つまり?」
「幻覚ではない。精霊を見やすくしているということだ」
所長は淡々と結論を述べ、紫の瞳を再び精霊へ向けた。
「持続時間を測る必要があるな」
「……ほんとに見えてるんだ」
わたしは自然と微笑み、精霊たちに手を振る。
精霊は所長の肩にちょこんと止まり、満足げに上下に揺れた。
「記録をつける。発現までの潜時、味覚所感、視認の鮮明度、反応性――」
所長は淡々と列挙し、わたしの方を見た。
「ルルーナ、経過を逐一伝える。書き記しなさい」
「了解!」
……やっぱり、所長の研究モードは止まらない。
でも、今回はちょっとだけ誇らしい。
精霊たちが導いてくれた見える方法、ちゃんと届いたんだ。




