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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
二章    少女と暴かれる秘密

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41話  小さな調査官 ~流行り病を突き止めろ~


 徐々に冬の厳しさが和らいできた光の月、後節下旬。


 日常の中にも精霊たちが混ざり始め、一緒に遊びたい気持ちを抑えて、今日もわたしは講義室でお勉強である。


 所長の教えはいつも厳しいが、わたしの常識を正してくれるのは有り難い。


 今日の講義は経済の基本について。

 前世の知識が少しでも役立つと思ったけれど、この世界の経済構造はまったく異なっていて、理解するのがとても難しい。


 普段通り講義を終えると、今日は少し違った話題が持ち込まれた。


「ルルーナ、ここにある報告書を見なさい」


 所長の声は普段通り落ち着いていた。


「東地区の風邪の流行?」


 わたしはその書類に目を通した。

 そこには、サンドレアムの東地区で風邪が流行しているという詳細が書かれていた。


 特に厳しい状況にあるのは子供たち。

 彼らは治療院や診療所で治療が受けられず、体力もないため、風邪が命取りになることもあるという。


 ……そりゃ……そうなるよね。


 思わず眉をひそめてしまった。

 だが、わたしが知っている孤児院では、同じように資金的に厳しいはずなのに、風邪が流行っているという話は聞いたことがない。


 

「東地区とは違い、孤児院では同じような症状がほとんど見られない。この違いには何か原因があるはずだが、君はどう考える?」


 レンのおかげで、徹底した衛生管理が行われているからなのだろうか。


 もし孤児院で予防できているのであれば、それを貧民街でも行うことで多くの命が救えるかもしれないと、そんな考えが浮かぶ。


 でも、わたしはまだ五歳で、外の世界に直接的に関与することは難しい。

 わたしには関係のない話だが、それでも何かできないかと思ってしまった。


「どうして、わたしに?」

「私も含め、貴族であれば毒に関して対策できるが、病気に対しては対処法が無い。現状は魔法で治すことぐらいだからな。流行り病が蔓延する前に食い止めねばならない」


 所長の瞳には、いつもの冷静さが漂っている。

 でも、その奥にわたしに対する期待が感じられた。


 ……風邪じゃないの? 流行り病なら、そりゃマズイけど。


「いつも難題ばかり持ち込まれるからな。たまには、こちらの問題を解決してもらってもかまわないだろう?」


 その言葉が所長の口から出た瞬間、所長の口の端がわずかに上がった気がした。


 ……くぅ~……断れない。




 ◇ ◆ ◇



 三の鐘が鳴る頃、東地区の流行り病について所長と話し合っていると、講義室の扉をノックする音が聞こえた。


「失礼します。トランです」


 扉の外から声がして、所長は「入れ」と呼び入れる。

 わたしの前に一人の見知らぬ男性が現れると、所長はわたしに向かって、彼の紹介を始めた。


「ルルーナ、東地区担当のトランだ。彼は大小含め、街の様々な問題に対処している」


 所長の言葉に、わたしは軽くお辞儀をした。


 わたしの名を明かしたということは、信用に足る人物なのだろう。

 トランはクセの強い茶髪に眼鏡をかけた、まだ若い男性だった。

 年齢は二十歳前後だろうか。


 トランも軽く頭を下げ、「初めまして、ルルーナ様。お会いできて光栄です」と挨拶を交わす。


 声は穏やかで親しみやすいが、その中にも確かな自信が伺える。


 ……この人が、お兄ちゃんの言ってたトランさんか。


「初めまして、トランさん。アイナの件ではお世話になりました」


 わたしは礼儀正しく答えた。

 トランの視線が、わたしを観察しているのがわかる。


「ルルーナ様のことは、アイナさんからよく聞いております。あなたの優しさと気遣いに感謝していましたよ」と、トランは微笑んだ。


 その言葉に、わたしは少し照れてしまった。

 本人の口からじゃないにせよ、素直に感謝を述べられるのは、まだ慣れない。


「ありがとうございます。でも、アイナにはわたしも助けられてばかりで……」


 ……ムズムズするなぁ。なんで様付けなんだろう?


 紹介が終わると、所長が口を開いた。


「さて、トラン。貧民街の状況について報告を。ルルーナ、君も聞いておくといい」


 所長の指示を受けたトランは頷き、真剣な表情に変わった。


「現在、東地区では風邪が急速に広がっています。特に子供たちの間での感染が目立ちますが、薬が行き届いていないため、多くの人々が苦しんでいます。今、私たちはこの問題にどう対応するかを検討しているところです。こちらを御覧ください」


 トランは追加の資料を所長とわたしに手渡すと、説明を続けた。


 ……なるほどねぇ。


 わたしはトランの説明を聞きながら、症状が詳細に記された書類に目を通した。


 そこには急な発熱、頭痛、筋肉痛、咳、喉の痛み、疲労感、怠さ、吐き気、眩暈などの症状が書いており、一つの病気に思い当たった。


 ……これって、風邪じゃなくてインフルエンザ?


 もしそうなら、子供や高齢者、免疫力の低い人々に重症化しやすい病気だ。

 医療が行き届いていない環境では、危険性が高い。


 前世においては予防接種や抗ウイルス薬の使用が一般的だが、この世界ではそれらが存在しない可能性がある。


 わたしは危機感を抱いた。


 ……この世界でもウイルスがあるのね。


 トランが長い説明を終え「調査する件は後日に」と言って退出すると、所長が防音の結界を作動させた。


「さて、君の意見を聞きたい」


 所長の鋭い目がわたしを捉え、淡々とした声で告げる。

 その目はいつもと同じに見えるが、何か試す瞬間を楽しんでいるようにも見えた。


「所長、こちらの書類に記載されている病気の症状についてですが……」


 その内容が、わたしの知っている病気に酷似していることを伝える。


「インフルエンザは、特に免疫力の低い人々や子供たちにとって非常に危険な病気です」


 所長は少し驚いた表情を見せたが、すぐに真剣な顔つきに変わった。


「ほう、インフルエンザとは……」


 所長は顎に手を当てて少し考え込んだ後、再びわたしに視線を戻した。


「聞いたことがないな。どのように対処すればよい?」

「インフルエンザはウイルスによって引き起こされる感染症です。予防には、基本的な衛生管理や手洗いの徹底、そして人混みを避けることが重要です。また、患者は十分な休息と栄養を摂ることが必要です」


 わたしは慎重に言葉を選びながら、所長に説明した。


「ウイルス……それも聞かないな。それで、人混みを避ける理由は?」

「ただの風邪ならば、唾液や鼻水からの接触感染ですが、これは空気感染します。目に見えない程小さな微生物が空気中を漂っているんです。それで感染の拡大が早いと思われます」


 所長の顔に険しさが増した。


「同じ原因ならば、思った以上に危険だな……」


 所長の話から、貴族の間でも急な発熱で倒れた者も過去にいたようだ。

 だが、魔法で改善が可能だったため、深刻な病気ではなく、ただの風邪の一種だと思っていたらしい。


 魔法で体の免疫が強くできる貴族ならばそれで良いだろうが、平民には危険だ。


「世間一般には、冬に流行る理由から闇の神が運んでくる病気と言われているがな」


 ……闇の精霊の仕業にされてるのか。


 闇の精霊たちにしてみれば、なんとも迷惑な話だ。風評被害もいいところだ。


「所長、この世界にウイルスというものが存在するかはわかりません。原因が別の可能性だったりしますか?」

「情報が足りん。精霊の仕業ではないということぐらいしか、わからんな」


 所長は目を閉じ、いつものように机を指で叩いて考え始めた。

 わたしは思考の邪魔をしないように席から離れると、壁際の長椅子に座って頭を捻った。


 天井を見上げ、どうしたものかと考える。


 インフルエンザだった場合、抗生物質など作れない。

 手洗い、うがいでは予防はできても治せない。

 個々の免疫力に頼るしかない状態だ。


 だが、東地区の孤児たちに栄養のある物を摂る余裕なんてない。


 ……うちも無事じゃ済まいないなぁ。


 人混みの多い場所といえば、商会で働いている家族も感染する可能性は高い。

 役所にいるわたしも同様だ。制度の施行で役所は人で混み合っている。

 人を集めたことが裏目に出なければいいが……。


 今は東地区を中心としているが、いつ街全体に広がってもおかしくはない。


「ルルーナ、君に解決してもらおうと思ったが、この件はこちらで対処する」


 所長は空気感染する可能性がある以上、予定にあった調査へ行かせることはできないと言った。


「でも、わたしの家族も感染する可能性もあります。どこにいても同じでは?」


 なぜか所長は深い溜息をつき、困った顔をした。


「まったく君は……危険だと言ったのに、なぜ急にやる気になるんだ」


 ……そりゃ、家族のこともあるけど。


「家族のこともありますが、精霊が悪者扱いされるのは嫌です」

「……そういえば、君は主だったな」


 やれやれと溜息をついて、所長は小さな魔石を机から取り出した。


「手を出しなさい」

「へ? あっ、はい」


 所長は魔石をわたしの手のひらの上に乗せると何やら呟く。

 すると、チクリと痛みを感じたので、わたしは慌てて手を引っ込めた。


「チクって痛かったんですけど……」


 少しは我慢しろと言いたげな顔で「それが黒く染まる前に現場から立ち去るように」と、所長お手製のお守りを持たせてくれた。


 この魔石が、わたしに害のある毒から守ってくれるそうだ。


「へぇ~、便利ですね」

「ウイルスと呼ばれるものに効き目があるかはわからん。だが、貴族街で一時期流行った病気と同じであれば、問題なく作用するだろう」




 ◇ ◆ ◇



 後日、いつもの講義室でトランに調査の説明を受け現場へ向かう。

 注意点としては物には触れないこと。何かあればトランに確認をとること。


 大きくはこの二点である。


 朝の冷たい空気の中、わたしは顔をなるべく隠すため外套のフードを深く被り、所長からもらったお守りをしっかり握っていた。


 隣を歩くのは、役所の若き役人であるトランだ。

 茶色の癖っ毛が風で乱れ、眼鏡の奥の目が忙しなく辺りを観察しているのがわかる。


「いやぁ、所長の指示で調査することになったけど……疫病かもしれない現場に行くなんて、正直、度胸あるよねぇ」


 調査説明の後で、様付けはやめて普段通りでお願いしますと言ったのは間違いだったかもしれない。


「……行く必要があるんです」


 少しむっとして言い返すと、トランは口元を緩めた。


「でも、あの所長がわざわざ同行者につけるってことは、嬢ちゃんはただ者じゃないんだろうね」

「トランさんにはそう見えますか?」


 お互いに軽口を叩きながらも、その歩みは迷いなく東地区へと続いていた。

 石畳が途切れ、土道に足を踏み入れると、空気は一気に淀み始めたのがわかった。


 軒並み傷んだ家々、窓から覗く不安げな視線。

 時折、咳き込む音や、うめき声が路地裏から漏れ聞こえる。

 普段のわたしたちが居る区画とは大きく違うと、肌でも感じる。


 わたしは無意識に息が詰まりそうになった。


 ……これが、東地区。


 東地区に足を踏み入れてから少し経った頃、どこかで嗅いだことのあるような匂いがする。


 病院特有の消毒薬の匂いに似た、湿った匂いが鼻を突く。


「そろそろ、現場だよ。記録と聞き取りは俺がやる。嬢ちゃんは見たこと、感じたことを全部覚えておきなよ」


 トランはそう言って、懐から手帳を取り出した。


「俺たちは役人だからね。現場で得た情報を、上で使える形にして戻さなきゃ意味がないんだ」


 所長が任命するだけあって、やはりトランは仕事ができそうだ。

 路地を進むと、布で口を覆った子供が家の前に座り込み、弱々しくこちらを見上げていた。


 その痩せ細った腕に、わたしは胸が締めつけられるような痛みを覚えた。


 ……このままじゃ、広がる。


 前世で知っている病気の影が頭から離れない。


「……急がないと」


 わたしが小さく呟くと、トランはちらりと横目でこちらを見て、にやりと笑った。


「でしょう? じゃあ、ちゃっちゃと片付けよう、小さな調査官さん」


 東地区の空は、どこまでも曇天のまま。

 それがなんだか不安を煽る。


 わたしはチラリと魔石を見るが、色は変わっていない。


 ……大丈夫。こっちには特製のお守りがあるんだから。


 トランに案内され、わたしは古びた木の扉の前に立つ。

 錆びた蝶番がかすかに鳴る音とともに、扉は半ば開いている。

 中からは、冷え切った空気と、薬草が焦げたような匂いが漂ってきた。


「……ここが、最初だと思われる感染者が暮らしていた家。現場は発見当初のまま魔法で保護されているから、不用意に魔石に触れないようにお願いしますよ。今、封を一時的に解くから……」


 トランの声は、先程の軽い口調ではなく真剣だ。


「発見当初のまま? それって……」


 背中がぞくぞくして、嫌な予感がする。


「もちろん、そのままですよ」


 トランの口元は笑っているが目は笑っていない。つまり、そういうことだろう。


 ……遺体もそのままってことだよね……。


 足がすくんで中に入るのを躊躇していると、わたしの両肩に小さな妖精が止まり、にこりと微笑んだ。


 ……大丈夫ってこと? ほんとに? もうっ!


 口元を布で覆い、半ばヤケクソ気味に足を踏み入れる。

 薄暗い部屋の中央、粗末な寝台の上に毛布をかけられた人影が静かに横たわっていた。


 その足元の桶には乾ききった吐瀉物の跡がこびりつき、鼻をつく酸味が残っている。


 その光景を見て、反射的に一歩後ずさる。


 ……ぎゃぁぁ~――って、あれ? おかしいな。


 なんというか、グロいとか、もう無理みたいな嫌悪感を感じないのはどうしてだろう。


 現物なんて見たこともない。せいぜい検体ぐらいだ。

 映画ですら目を細めてしまうくらいなのに、今はそれを感じない。


 ……妖精さんのおかげ?


 わたしはもしかしたらと念話をした時のように語りかけ、ちらりと妖精を見れば、コクコク頷いていた。


 ……サンキュー! 妖精さん!


 ならばと、わたしはそっと遺体に近寄る。


「確認しても?」

「いいけども……お、おい嬢ちゃん……大丈夫か?」


 トランの心配そうな声がするが大丈夫だ。


 わたしは手袋をはめ、恐る恐る遺体にかかっていた毛布の端をめくる。

 その顔を見た瞬間、心臓がドクンッと跳ねるように大きく脈打った。



 ……この人……知ってる。






ここまで拙い文を読んでいただきありがとうございます!


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と思いましたら

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