38話 解決 ~危険な火種は所長にお任せ~
今日の講義も無事終了。
カリカリと書類に向かって筆を動かしている所長を見ていると、ふと千歯扱きのことを思い出した。
ノックスを忙しくする気はないので、作る予定はまだない。
だが、聞いておいても良いだろうと、農業に関する話を所長にふった。
「所長。稲を一本、一本脱穀するのって、大変だと思いませんか?」
「……急になんだ。怠惰な生活を送るのが、希望じゃなかったのか?」
それはその通りなんだが、あの時の言葉を憶えているとは驚きである。
「農業関係者が身近にいなくて、聞くことができなかったので」
「私も農業は専門ではないぞ」
口調が面倒くさそうだ。
所長は顔を上げずにいるが、聞く姿勢にはなったようだ。
「千歯扱きといって、金属でできた櫛のようになっていまして、画期的に脱穀の速さが増すと思うんですけど……」
「思うがどうした?」
「どれくらい周りに影響が出るのかなって思いまして……作ってもいいものかどうか、聞きたいんですけど」
所長が書くのを止め、顔を上げた。
「君が言うのだから、今よりも飛躍的に効果があるのだろう。それを踏まえた上で、私に後の影響を聞いたあたりは学習しているようだな」
「えっ? はい」
所長は、難しい顔をして窓の外を見ている。
わたしには、まったくもって影響がどれ程かなんてわからない。
所長でもわからないのであれば、これは保留にしようと思う。
「それは単純な構造なのか?」
単純と言えば単純だ。木材に金属の櫛のような形をくっつけた代物だ。
櫛の部分に穂を通して脱穀を行う。
だが、お母さんに聞いたやり方よりは、圧倒的に早いだろう。
「はい。単純な構造です」
「すぐ、作れるか?」
「すぐ?」
すぐとは、何日だろうか。とりあえず、紙を借り、構造を簡単に絵にする。
「ふむ、手を出しなさい」
「……はい」
……絵が下手だったか。
ほんの数分、千歯扱きのイメージと、それの使い方の記憶を読んだ所長がそっと手を離す。
所長は「使えるな」と呟くと、千歯扱きの形状をスラスラと紙に書き写した。
わたしの絵とは違い、非常に特徴を捉えていて上手かった。
……高スペックめ。
「これは危険だ。ノックスには話すな」
……危険?
あの化粧水ですら、貴族が欲しがっても危険とは言わなかった。
組合の制度があれば広く流通出来るのに、なぜ危険なのか。
「どうしてでしょう?」
「貴族の収入に直結するからだ」
貴族の収入と聞いて納得する。
領地の収穫量が上がれば、貴族の収入も上がる。商会の儲けとは別らしい。
しかし、貴族の収入が上がるのであれば、むしろ問題無いのではと思うのだが……。
「農業中心の地域は良い。だが、それ以外は妬むだろうな」
「そこですか?」
「それが貴族の厄介なところだ。他が豊かになることに敏感だ。力関係が崩れる場合もある」
……あ~、貴族間のパワーバランスね。
「どうしましょう? 作らない方がいいですよね?」
「領主派は喜ぶだろうな。だが、トバルを除く、反領主派には憎まれるぞ?」
所長の鋭い視線がわたしを見据える。何度見ても、この視線はキツイ。
「じゃぁ、作らない方向で――」
「商会で作らなければよい」
……意味がわかりません。
「理由は言ったであろう。危険だと」
「それはわかったんですが、商会で作らないならどこで?」
この面倒くさがり屋さんは、説明がいつも端的すぎるのだ。
もうちょっと、言葉を添えて下さい。
「領主主導で作らせればよい。領主派は大喜びだ。反領主派は結果的に弱体化する。良いこと尽くめだ。商人が主導すれば反領主派の恨みを買う。領主なら、いまさらだろう?」
言いたいはことわかった。しかし、これだと儲けが出ない。
大きな儲けになりそうだけど、領主様に請求するのは可能なのだろうか。
「そんな顔をするな。領主の手柄にはなるが、君の取り分はちゃんと考えている」
……おお、流石イケメン。
「口を閉じなさい。非常に頭が悪そうに見える」
自分でも気付かないうちに、大口を開けて喜んでいたらしい。
これはみっともない。何度も見ているが、所長のあの顔は絶対呆れている。
淑女のマナー講座も受けたのに、褒められると同時に注意を受けるのはなぜだろう。
次に機会があるのなら、冷静に対処しようと思う。
◇ ◆ ◇
サンドレアムの街の東、街道から人目を避けるように建っている一軒の廃屋があった。
周囲の建物は老朽化が進み、所々崩れかけているが、この廃屋だけは奇妙なほど整然としていた。
木の板で覆われた窓や、しっかりと施錠された木製の扉がその異様さを際立たせている。
そんな廃屋の前で、背負い袋を肩に掛けた鋭い目つきの男が、周囲を気にしながら扉をノックする。
「よう、ルド戻ったか」
「ああ、他に誰か来たか?」
「いや、誰も。まだ寝てる馬鹿に、交代の時間だって伝えておいてくれ」
廃屋の内部は冷たい空気が満ち、どこからともなく腐った木材の匂いと湿気が漂う。
床には埃が積もっているが、足跡の跡がいくつも重なり、ここが頻繁に人の出入りがあることを示している。
……いい加減、撤退しねぇと。
見張りの男と会話を交わし、ルドが通路を進むと、奥には大きな部屋が広がっていた。
薄暗いランタンの明かりが、部屋全体を不気味に照らす。
部屋の中心には古びた木製の机があり、その上には粗末な地図やメモが散らばっている。
地図にはサンドレアムの街並みが描かれ、特定の場所に赤い印がつけられていた。
部屋の隅には粗末な寝具がいくつも並び、別の隅には食料や水が無造作に積み上げられている。
その空になった水樽や食料が入っていたであろう空箱を見て、ルドは長くは持たないと焦りの表情を浮かべた。
「おい、起きろ。交代だ」
「ん? ……ああ、ルド。もう時間か」
寝ていた男は起き上がると、水を一口。
見張りの交代をするため、パンを片手に入口の方へ歩いて行く。
「おいっ! 外には出るなよ。お前らは顔を知られてる」
ルドの言葉に男は「わかってるよ」と、ひらひらと片手を上げて応じた。
……チッ、気楽な奴らだ。新しい馬も手に入らなかったっていうのに。
あんな真夜中に騎士団に出会うなんてと、ルドは自らの不運を嘆き、酒を片手に打開策を探る。
振り返れば最近、不運続きだと顔をしかめた。
役所に目をつけられた可能性があるとほざいて、姿を隠した商人。
試すと言って森へ入ったきり、連絡の取れないどこぞの研究者。
よりにもよって一番高価な商品を破損したあげく、商家の子供が中身に触れてしまったと、青い顔をして戻って来た馬鹿な部下。
……あの阿呆どもが。
部下に至っては案の定、自らも触れたせいで数日高熱にうなされ、つい先日、息を引き取った。
朦朧とした意識で大事な商品をぶちまけやがって、最後の最後まで馬鹿な奴だと、ルドは苛立つ。
……あの商品のことは極秘。バレれば首が飛ぶ。
ルドは苛立ちのあまり、「運搬中にやらかしやがって」と近くにあった椅子を蹴飛ばした。
こんなことをしても、気分は晴れないとわかっているのだが、何かに当たらなければやっていられなかった。
……ガキを攫うところまでは、上手くいってたってのに。
馬車を放棄し身を隠したが、朝方、戻った時には馬車のみ。
子供も馬も見当たらなかった。
降った雪で足跡が消えているため、追跡は困難。
子供が勝手に野垂れ死んでいることを祈り、結果的に金目の犯行と思われればそれでいいと諦めた。
だが、馬を失ったのは痛かった。
雪で街道は使えず、雪解けまで動けない。
隣の町までは距離があるため、再び、拠点まで引き返した。
食料も残りわずか。
しかし、見張りの二人は門を通過するときに顔を見られている。
万が一を考えて、顔を知られていないルドが、領都まで徒歩で買い出しに出る始末だった。
何もかも上手くいかない。
……やってらんねぇぞ。
ルドは苛立ちを隠さず、干し肉を噛み千切り、酒をグッとあおる。
「よう。随分と苛立ってるな、ルドヴィット」
「……ッ!」
背中越しに聞き慣れない声がして、ルドは即座に腰の剣に手を添える。
……なぜ名前を知ってる?
「大変だったぜ。雪が降ると足跡が消えちまうんでな……会いたかったぜ」
……尾行された? 会いたかっただと?
ルドは呼吸を整えると、素早く椅子から立ち上がって振り返る。
対峙した瞬間、ルドの本能が萎縮した。
肌が粟立つ。こいつは危険だと。そう本能が伝えてくる。
……やべぇのが来たな。
「誰だ。用はなんだ?」
ルドが動揺を抑えて睨むその先には、年は三十を過ぎたくらい。
鍛錬を欠かさないであろう鍛えられた体躯に、鋭い眼差しの男。
さらに男の奥で、見張りの二人が倒れているのが見える。
……貴族? いや、攫ったのは平民だ。だとすると、雇われの傭兵か?
男が一歩、歩み寄る。
「ラズモンド。ただの通りすがりの父親だ」
ルドは必死に考える。
そんな名前は、滞在する傭兵の名簿には無かった。
これほどの男なら、要注意人物に指定されているはず。
そんな者がいる商会には、わざわざ近付かないと。
……ラズモンド? どこかで……だが父親だと? 何を言ってやがる。
また一歩、歩み寄る。
ラズモンドの一歩が、ルドを威圧する。
ルドは威圧感に耐えきれず、手にかけた剣で警告するかのようにヒュッと空を薙ぐ。
「危ねえなぁ」
「それ以上は……死ぬぞ」
ルドは警告するも、ラズモンドの表情は変わらない。
さらに一歩、ラズモンドが歩み寄る。
床を踏む音が響いた瞬間、空気が重くなった。
……クソがっ! 話し合いは……無理か。
どこかで聞いた名前。自分の名前を知る男。だが目的がわからない。
あの品の情報漏洩は許されない。逃げるわけにもいかない。
しかし、勝てるのだろうか。この男に。
見えない圧力が、ルドを襲う。
「チッ! 火の神よ、猛る炎の如き力をっ!」
嫌な汗が背中を流れる。
だが殺るしかないと自身に身体強化を付与し、ルドは恐怖を押し殺して前に出る。
速く。鋭く。ルドは気迫とともに斬りかかった。
「おせぇな」
……ッ! マズイ!!
ラズモンドは素手で容易く剣をいなし、お返しとばかりに拳を振り抜く。
ルドはかろうじて避けるが、頬が裂け、鮮血が舞った。
それでもルドは止まらずに剣を振る。
何度も切り返しながら速度を上げ、剣を振る。
いつの間にか左腕が動かない。
しかし、この程度なら、幾度も切り抜けてきた。
そう自分を奮い立たせ、剣を振るい続ける。
だが服を掠めはするものの、全て避けられる。
太刀筋は見切られ、逆にルドは左肩を打ち砕かた。肋骨も何本か折れただろう。
……はぁ……くっ、そろそろ速度に慣れてきただろ。終わりだ!
ルドは更に速度を上げた。
「くたばれ――」
緩急を交えた必殺の突き――刺し違えてでもと肋骨を犠牲にしながら放った剣は、ラズモンドの掌と拳で挟み込まれ、そのまま拳で叩き折られた。
……折った……だと。
その事実に本能が危険を告げ、反射的にルドは距離を取る。
「……はぁ、はぁ……何なんだ…………何なんだお前はぁぁぁ!」
怒号と共に折れた剣を投げつけると、全力で地を蹴り、一瞬で間合いを詰める。
腰の後ろに差した短剣を引き抜き、突き殺す――ルドの全速力。全体重を乗せた渾身の刺突。
だが、先に突きを放ったはずのルドの右手が、嫌な音と共にラズモンドの拳によって破壊される。
カランッ――。
折れた剣が落ちる音と同時に決着はついた。
「うぐぁぁっ……ぐっ……はぁ……はぁ」
「殺しはしねぇよ。聞きたいことがあるからな」
そう言ってラズモンドは、ルドの腹に重い一撃を加える。
「がぁっ! ぁ……ぁ……」
「死んだほうがマシだったかもな。同情するぜ……あの方は、俺ほど甘くない」
意識が遠のく中、耳元で囁かれた言葉。
それはルドが聞いた最悪の言葉だった。
【私の秘密は増えてゆく 登場人物紹介】の方へ、イラストおよび、一章終了時までの人物紹介を簡単にまとめてあります。
ご興味のある方は、ぜひ、一度ご覧ください。
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