30話 増えたり増やしたり ~貴族の世界は面倒くさい~
あれから数日、空いた時間に所長から興味を引かせる助言を受けながら、ひたすら慎重に作法の講義をこなした。
お茶の席、食事の作法、面会時の作法など、一般的な専属商人が行う事柄に重点を置いて講義は進んだ。
どうせ習うならばと、色々を質問をしたり、作法を貪欲に吸収していった。
ドレスを着るなど、慣れない部分もあって苦労はしたが、フレデリカからは及第点をもらったので問題はないだろう。
「今日はここまで。覚えが良いわね。さぁ、お茶にしましょう」
「「はい」」
フレデリカがチリンと呼び鈴を鳴らすと、彼女の侍女がお茶と茶菓子の用意を始めた。
「それにしても、髪が綺麗ね。お肌も、ぷるんぷるんだし。良い石鹸を使っているのね」
……ついにきた。
ここからは打ち合わせ通りに進める。
視界の端で、エステラも目だけで了解の合図を送ってきたのが見えた。
この流れで口を滑らせるのは、わたしの役目。
声が震えそうになるが、グッと腹の下に力を入れて耐える。
「フレデリカ様、これは、ぬか石鹸を使用しております。汚れも綺麗に落ちて、わたしのお気に入りなのです」
髪を褒められて、わたしは髪に指を通しながら上機嫌で答えた。
「ぬか石鹸?」
所長の助言があって助かった。
フレデリカは秘密を聞き出すために、あえて幼い妹に聞く可能性が高いと、所長は助言をくれていたので相手の意図に気付けた。
うっかり口を滑らせるだろうと、幼い妹を演じ続けてきた甲斐があったというものだ。
……お姉ちゃん、あとは頼んだよ。
少し間があって「エステラも?」と、フレデリカは可愛らしく首を傾げ、エステラに顔を向ける。
エステラが頷くと、フレデリカは「確か、レント商会だったかしら?」と、エステラに説明を求めた。
わたしたち家族がレント商会の関係者であるということは、初日の会話から確認済み。
そこから推測すれば、おおよその予想はつくだろう。
……まぁ、そこに辿り着くよね。
この場合、貴族からのお願いではなく命令だ。
仮に、企業秘密であっても答えなければならない。
知られたくないことを口にしては、絶対に駄目なのだ。
普通なら焦るところだが、ここまでは順調。こちらのシナリオ通りだ。
ここからの説明は、エステラの番。
「兄さん……いえ、レント商会で兄のノックスが開発していまして、わたしと妹で使用感を試している最中です」
「肌はわかりますが、髪もそれで?」
「いえ、髪用、体用とあります。わたしたちが使っているのは、その二つになります」
大まかにぬか石鹸の説明をして、フレデリカの反応を待つ。
「サルボのより、こっちの方がいいんじゃないかしら? 指通りもいいわね」
……サルボ? 産地か……いや、商会の名前だっけ?
フレデリカは、エステラの髪を何度も指ですいて感触を確かめている。
「フレデリカ様……」
エステラが顔を赤くして俯く。
「あら、可愛い」
わざとだろう。エステラの反応が可愛くて、いつもやることだ。
「フレデリカ様、よろしければ、お使いになられますか? 少量なら、明日には、お持ち出来ますが?」
「いいえ、それには及ばないわ」
……駄目だった?
フレデリカは、エステラの頬をぷにっとつまんで感触を楽しんでいる。
「それは二人が使いなさい。私は直接、商会の方にお願いしてみます」
「ふぁい」
……そういうことか。平民に気を遣うなんて、貴族としては変わり者の部類なんじゃ?
その後は、終始ご機嫌なフレデリカとお茶をして過ごした。
夕食後、ノックスにフレデリカの反応と近々接触があるかもしれないと伝える。
ここから先はノックスの出番だ。わたしが商品と直接関わってると知られるわけにはいかないのだから。
あくまで、試作品の実験として、兄妹のわたしたちが協力したという筋書きで進めることにした。
話し合いが終わり、わたしは寝台で横になると、大の字になって手足をぐぅ~っと広げて伸ばす。
ぬか石鹸の件を無事やりきり、やっと重かった肩の荷が降りた感じだ。
……それにしても、貴族の世界は好きになれそうにないなぁ。
わたしはフレデリカの姿を思い浮かべながら、今日の出来事を振り返る。
本当に貴族は厄介だった。
幼いわたしから秘密を聞き出し、詳しい事情を知っていそうなエステラに説明を求める。
あくまで、自然な流れで聞き出すのだ。
フレデリカ自身が興味を示し、より質の良い物なら尚更だ。
素直に何を使っているのかと、平民には聞けないのだろう。
教えなさいと命令をするのは簡単だが、自身も使いたいから、それを平民に教えろというのは貴族のプライドが邪魔をするようだ。
本当に貴族とは、面倒くさい生き物だ。
あの遠回しな質問もそうだ。
実に貴族らしく回りくどい。フレデリカも貴族なのだなと、改めて実感する。
所長から助言をもらっていなかったら、わたしは意図に気付かないまま、流れで素直に教えていたと思う。
その場合、あそこまでフレデリカの機嫌は良くならなかったはず。
フレデリカは狙った通り、上手く秘密を聞き出せたことに満足していたはずだ。
わたしたちはフレデリカに花を持たせつつ、こちらの思惑通りに事を進めることに成功したのだ。
きっと、所長はわかっていたのだろう。
わたしが気付いても、気付かなくてもいい。
どちらにせよ、フレデリカが興味を持った時点で、商会に引き合わせることは成功するのだと。
おそらく、わざとわたしにフレデリカの行動を教えた意味。
それはきっと、所長はわたしに見せたかったのだ。
貴族のやり方を。貴族の常識を。
……所長は、一体どこまで読んでたんだろう。
そこに至るまでの助言も的確すぎて、フレデリカに秘密をわざと漏らす時などは、所長の悪い笑顔を思い出して寒気を感じた程だった。
……筋書き通りすぎて、逆に緊張したなぁ。
今思えば、わたしの尋問の時も誘導されていたのだ。
冷静さを失わせるために、楽しんでいる反応を見せたのも、おそらくわざとだろう。
……自滅にみせかけて、誘導されてたわけだ。
わたしの頭脳で、所長から言い逃れようとは馬鹿らしいと。あの時の自分に言ってやりたいぐらいだ……。
そこまで考えて溜息をつくと、家の中だというのに吐く息が白いことに気付いた。
今日は一段と冷えるみたいだ。もう少し、なんとかならないものか。
このまま年々寒さが増したら、家に中に居ても命の危険を感じるだろう。
……所長が持ってた魔石使えば、案外コタツとか作れるんじゃ? 魔道具とかあるみたいだし。
だが、所長にお願いして、怒られるところまでを想像出来てしまう。
……こりゃ、駄目だ。
わたしは、温もりと安らぎを求めてエステラの布団に潜り込むと、ぬくぬくとした心地よさを感じながら眠りについた。
後日、「あの時は、うまく誘導されてたんですね」と所長に尋ねたら、「君のような者の行動が読めるはずがないだろう」と、呆れた顔で告げられた。
……なんか納得できません。
◇ ◆ ◇
あれから数日経ち、今日は闇の月、後節三十日。
新年が明日に迫ったその日は、街のあちらこちらで雪が降っているにもかかわらず、祝いの品が売られている。
ノックスたちは、今日も大忙しだ。
先日、追加注文のためにフレデリカの使いが再び来たらしく、朝早くから商会の倉庫へ出かけて行った。
商品を卸した翌日、講義中のフレデリカはご満悦の様子だったし、あちらも順調なようだった。
わたしたちはというと、役所へ向かう途中でチラチラと店先を覗いては、祝いの雰囲気を、お父さんとエステラの三人で味わっていた。
「街はこんな感じなんだね」
「そっか、初めてよね」
「よしっ! 欲しいのがあったら買ってやるぞ?」
お父さんが、興奮気味なわたしにプレゼントをしてくれるという。
……何にしよう?
飾りを付けた露天商の品を、あっちこっち覗いて、ふと店先に並んだキラリと光る石に目を奪われる。
「なかなか良い目してるね。お嬢ちゃん」
「これ、なんですか?」
「これはな、元リックナー領で取れた鉱石を削った物だ」
「希少なんですか?」
「価値は正直、未知数だ。魔素が濃くてな、鉱石が変異しちまったんだよ。危険な物じゃない」
「未知数なのに、この値段?」
……銀貨三枚。それなりの値段だけど。
「使い道が無くてね。装飾ぐらいにしか使えねぇんだ」
装飾に使うなら、もっと綺麗な発色の物を使うはず。
だから他の石よりも安値なのだろう。
「お父さん、これがいい」
「わたしはこれかなぁ」
エステラも、ちゃっかりおねだりしている。
「可愛い娘に免じて、もうちょい安くならないか?」
……娘の前で値切るとは。
商人は指を四本立てて、笑顔で応じた。
「いいぜ、毎度ありっ」
手に取って光に当てると、キラキラと淡い紫色に光る石。
なかなか綺麗だ。エステラも、淡い赤色が特徴的な石を選んで手に取った。
「お父さん、ありがとう」
「父さん、ありがとう」
「おう」
役所前に到着すると、お父さんと別れ講義室に向かう。
役所も新年を前に忙しいのか、受付には普段よりも人が多く、どこの部署も役人がバタバタと走り回っていた。
本日の講義も終了して、わたしは気になっていた石をゴソゴソと鞄から取り出して、所長に見せた。
「所長、この石って何かわかりますか?」
わたしは露天で買ってもらった石を見せる。
「変異しているな。これはどうした?」
石を光にかざしている所長に、わたしは露天で聞いた内容をそのまま伝える。
「エステラも、買ったのか?」
「はい。これです」
所長は、二つの石を見比べて考え込むと、やや間があって「私に一日預けてみないか?」と、提案してきた。
わたしたちはお互いの顔を見合わせて、首を傾げた。
大丈夫だとは思うが「壊さないで下さいね」と、念を押して所長に石を預けた。
「君じゃあるまいし……」
……そこで嫌そうな顔しないで下さい。
翌日、光の月、前節一日。新しい年が始まった。
毎年のことなのでわかってはいたが、正月なんてものは前世のみの風習で、こちらの世界では特に大きなお祭りはない。
新年よりも、春を迎える祭りの方が豪華だったりする。
今日も頑張って講義を終えると、所長が預かっていた石を取り出した。
「これを、できるだけ肌身放さず持っていなさい」
渡されたのは、一回り小さくなった石を金の装飾が施された金属の縁で覆い、ペンダントのような形に様変わりした物だった。
「おわぁ~」
「へぇ~、綺麗」
角度を変える度に宝石の様に輝く石に、わたしたちは感嘆して見惚れた。
「いいんですか? これ」
「かまわん。分析した駄賃のようなものだ」
「「ありがとうございます」」
二人で、互いの首に首飾りをかける。
気になる言葉を聞いた気がするが、気にしたら負けな気がする。
今は深く考えてもしょうがないので、素直に喜んでおこう。
所長も、新年を迎えて新たな気持で頑張れと、応援しているに違いない。
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