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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
四章   新しい風が呼び込んだもの

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87話  静かな帰還 ~本当は嬉しいはずなのに1~



 昼食を終え、再び執務室で対策を練る。


「まずは、打てる手から打つぞ」


 アゼレアがそう告げたとき、わたしはただ頷くしかなかった。


「マテオ、警備体制を見直せ。これ以上、人数は裂けん。配置で補え」

「はっ」


 アゼレアのまとう空気に、マテオの鋭く低い返事。

 そのやりとりに、どうにも落ち着かない。


「それと調査隊からエルネストを戻し、ルルーナの護衛に当たらせろ」

「はい」


 あの男――レックナートのことを思い出す。

 剣を喉元に突きつけられた感覚は、いまだに消えない。


 戦えないわたしが狙われたら、次は本当に命を落とすかもしれない。

 そんな想像が頭を離れなかった。


「ルルーナ」


 名前を呼ばれ、わたしは顔を上げる。

 アゼレアの琥珀色の瞳が、まっすぐにわたしを見据えていた。


「サンドレアムに書状で確認する。レックナートという徴税官が存在するのかを」


 あの男が本当に存在しているのか、それとも……。


 わたしは頷いた。

 すぐにロエナが紙と筆を整え、静かな筆音が部屋に響き始める。


 筆音が響く中、胸の奥で静かに冷たいものが広がっていった。



 ◇ ◆ ◇



 あれから数日、目立った事件は起きなかった。

 ただ、邸の空気はどこか張りつめていて、ちょっとした物音にも心臓が跳ねる。


 あの記憶がまだ鮮明に残っているせいか、精神的にじわじわと疲れていく毎日だった。


 そんなある日、執務室に届けられた一通の書状。

 封蝋には、見慣れない紋章。


「マーキス・グラベルからです」


 マテオの声に、思わず姿勢を正す。


「調査結果かな?」


 わたしの言葉に、アゼレアは黙って頷き、マテオが封を切って読み上げた。


「……マーキス・グラベルからの要請に応じ、サンドレアムにて行われる審問会へ出席されたし」


 空気が一瞬で冷え込んだ。

 アゼレアの瞳が細まり、険しい光を帯びる。


「本来なら無視してもいい。しかし……マーキスからの要請だ。応じなければなるまい」


 アゼレアの言葉に、マテオの顔も厳しさを増し、口元が固く結ばれる。

 なにか、とんでもなく重たいことが動き出したのを肌で感じた。


「……審問会って?」


 口を開いたわたしの声は、かすかに震えていた。

 マテオが心配そうな眼差しで、こちらを見る。


「領地やアードに対する疑義、問題があるとされた場合、周辺のアードたちが集まって議論し、説明を求める場です。罪を問う裁判ではありませんが……事実上の裁きと同じ意味を持ちます」

「わたしが責められるの?」


 気づけば声が漏れていた。

 裁きという言葉に、膝が震えそうになる。


 マテオが一拍置いて、いつもの口調で答えた。


「……おそらくは。しかし、証拠があるわけではありません。罪に問われることはないでしょう」


 マテオの気遣い。

 わたしを安心させるための言葉だとわかっていても、霧のような不安は晴れない。


 アゼレアが頷き、すぐに言葉を継いだ。


「ルルーナ。審問会は厳しい場だ。反領主派の連中は、あられもない理由で罵声を浴びせ、言葉で潰そうとしてくる」


 その琥珀色の瞳が、わたしをまっすぐ射抜く。

 わたしは小さく俯いた。


 ……怖い。


 心臓が握り潰されそう。


「耐えられるか? 代わりに私が――」


 アゼレアの声を遮るように、口が動いていた。


「わたしが行く」


 唇が乾いて、声はかすれていたけど、それでもはっきり言った。


 ……だめ。これは、アゼレアに背負わせちゃだめ。


 足が震えそうなくらい怖い。

 けれど――剣を交えるわけじゃない。

 命のやりとりじゃない。


 言葉で責められるくらいなら、わたしでも……できるから。


 ぎゅっと拳を握りしめ、顔を上げた。


 マテオは険しい表情のまま、眉間に皺を刻んでいる。

 ロエナは辛そうに唇を噛みしめていた。


 そして、アゼレアは――まっすぐわたしの目を見て、ふっと笑った。


「……では、決まりだな」


 わたしはアゼレアの目を見て、深く頷く。

 アゼレアが頷き返すと、彼女の声が執務室に響いた。


「書記官にマテオ。側使えにロエナ。護衛は私とエルネストだ」

「はっ」

「はい!」


 それぞれが返事を返す。

 空気がきりりと引き締まった。


「マテオ、準備と引継ぎを急げ。道中の護衛の数を見繕え。最低でも十人は連れて行く」

「十人ですか?」


 驚いたように目を見開くマテオに、アゼレアは表情を変えず言葉を重ねる。


「道中の襲撃がないとも限らん。もし、本当にレックナートが敵側であるなら……それでも足りんくらいだ」


 アゼレアの言葉を受け、マテオが神妙に頷いた。


「……わかりました」


 あの圧を放ってきた男を思い出し、肩がぶるりと震えた。


 そんなわたしの様子に、気づけば精霊たちが足元に集まってきていた。

 わたしにすり寄り、必死に励ましてくれる。


 ……大丈夫よ。みんなもいるから。



 ◇ ◆ ◇



 翌朝早く、出発の準備を終えた頃、サンドレアムからの返答が届いた。

 封を切ったマテオが静かに読み上げる。


「徴税官の名簿に、レックナートという名は見当たらず」


 短い一文なのに、その場の空気が一気に重くなる。


 あの男は何者で、一体、どこから来たのか。

 これが何を意味するのか、今はまだわからない。


 でも――


 わたしはぎゅっと唇を結んだ。

 ここで考え込んでも答えは出ない。

 やるべきことは、ただひとつ。


 準備を終え、馬車の前に立つ。


「行ってきます」


 見送りに出てきた人々が頭を下げる。

 みんな政務で忙しいはずなのに、揃って見送りに来ていた。


 元メネズ派の政務官のひとりが、気遣うように言葉をかけてくれる。


「代理殿、どうかお気をつけて」


 皆の顔を見渡す。


 ……ありがとう。みんな。


 胸に温かさと重みを同時に覚えながら、わたしは笑みをつくった。


「みなさん、あとのことは、お願いします」


 返事を待たず振り返り、馬車に乗り込む。

 車輪がゆっくりと回り始め、石畳を踏みしめる音が響いた。






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