85話 物量作戦 ~物量に押される側の話1~
……やれやれ。
俺の机の上には、またしても山のような書類ときた。
片付けても片付けても、減る気配がない。
むしろ、夜が明ければ倍になって積まれている。
まったくどういう職場なんだか。
六等平民の実態調査。
制度変更後、各商店の雇用状況。
さらには、農業改革によるサンドレアム内の収穫高の比較。
やることが多すぎる……。
そんな中、トバルから「偽造貨幣発見」の報告書が舞い込んできた。
偽金貨。
領内の信用を、根底から揺るがす代物だ。
書類の山よりも、よっぽど重い。
そして――案の定、呼び出された。
わかってはいた……こうなるってさ。
「トラン、サンドレアム内のすべての商店を確認せよ」
そう告げたのは、我らが所長殿。
あの冷たい紫の瞳で淡々と言われたら、誰が拒否できるっていうんだ。
無理だ。
拒否なんてできやしない。
した瞬間、俺の首が飛ぶか、紙束の山に埋もれて死ぬかの二択だ。
つまり、死に方が違うだけさ。
結局、部下を総動員して街中を走り回る羽目になった。
商店の帳簿を片っ端から開き、ひとつ残らず調べ上げる。
正直、街中で意識が飛びそうになった。
部下の何人かは、声を殺し本気で泣いてた。
――それでも、やるしかなかった。
店という店に顔を出し、帳簿を洗い、怪しい金の出入りがないかを調べる。
金貸しに睨まれ、商人に舌打ちされ、露店にまで足を運ぶ。
この二日間で、俺と部下の足は棒になった。
けれど、所長の命令に「無理でした」は通じない。
俺たちは、今日もひたすら商店の扉を叩き続ける。
◇ ◆ ◇
「……あとは、どこが残ってる?」
「次が最後です」
俺の問いに、部下が答える。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥からこみ上げるものがあった。
長い長い苦労の果てに、やっと光が見えた気がしたからだ。
「よし! いくぞ!」
俺が声を張り上げると、部下たちの顔にもぱっと明るい色が差す。
死んだ魚のようだった目が、少しだけ生気を取り戻したようだ。
……ああ、ようやく終わるぞ。
商談中の戸を叩き、怪しい取引がないかを問いただす。
商談を邪魔され、不機嫌な店主。
冷たい視線に、渋々差し出される帳簿。
……もう慣れたさ。
この二日間で、俺たちは商人に嫌われる才能だけは開花したと思う。
そして――ついに最後の商店を調べ終え、俺は深く息を吐いた。
今後の段取りを考えながら、役所へ戻る。
とはいえ、疲れ切った頭じゃ、何も浮かばないんだが……。
事務室に入るなり、報告書を仕上げる。
「これで全部か?」
念を押して確認する。
「はいっ! 全ての書類を確認しました。抜けはありません」
その言葉が部屋に響くと、部下たちの表情が一気に緩む。
疲労困憊だったが、つられて俺も笑みがこぼれそうになった。
ようやく終わったんだと、皆と顔を見合わせたその時、静かに事務室の扉が開いた。
「宿屋と食堂はどうした?」
氷のような声が背筋を貫いた。
部下たちの顔から、みるみるうちに希望が消えていく。
振り返った俺も、おそらく同じ顔をしていただろう。
「――すぐに向かいますっ!!」
疲労と諦めを混ぜ込んだ声が、俺たちの口から見事に揃って出た。
街へ再び繰り出したものの、何件か巡った頃には、すでに足取りはふらついていた。
俺だけじゃない、部下たちも皆、魂が抜けたみたいな顔をしている。
「……次は宿屋だな」
そう口にしながら最後に辿り着いたのは、街角にある宿屋兼食堂。
ここは飯が美味いと評判で、俺も何度か立ち寄ったことがある。
「ちょうどいい。少し腹ごしらえといこう」
「……は、はい」
所長の命令は絶対だが、命令に従うための体力がなければ動けやしない。
休憩の言い訳を考えながら扉を開けると、店内から明るい声が響いた。
「いらっしゃぁ~い!」
出迎えたのは、見覚えのある恰幅の良い少年――確か、名前はマルコだったか。
……そういえば、この子はお嬢ちゃんの知り合いだった気がする。
「注文は?」
「なんか、おすすめあるかい?」
そう聞くと、マルコがにんまり笑った。
「あるよぉ~」
疲れ切った頭で、あれこれ考える余裕はない。
「じゃあ、お任せで」
「は~い!」
軽快な返事を背に、俺たちは席についた。
椅子に腰を下ろした瞬間、どっと疲れが増す。
まるで、足に鉛の重りがついたようだった。
もう、立ち上がりたくない。
しばらくすると、香ばしい匂いと一緒に料理が運ばれてきた。
「お待ちどう!」
皿に盛られていたのは、見覚えのある鳥料理。
だが、上に添えられているものに思わず首を傾げる。
……白くふわりとしたそれは、カブか? 大根か?
心の中で呟きながら、突き匙を取る。
「恵に感謝を、いただくよ」
一口食べた瞬間、爽やかな辛味と鳥肉の旨味が口いっぱいに広がった。
疲れた体に染み渡る。
……うん、悪くない。いや、むしろ最高だ。
部下たちの手も止まらない。
俺も腹が満たされていくにつれ、体の芯までじんわり温まっていく。
……あぁ、美味い飯ってのは、魂に効くんだな。
「どうだった?」
マルコが顔を覗き込むようにして聞いてきた。
正直なところ、今の俺なら何を食っても美味いと感じただろう。
それでも、この鳥料理の爽やかさと力強さは、本物だ。
「……お世辞抜きで、うまかった」
素直に感想を伝えると、マルコがにかっと笑った。
「感想ありがと~。大銅貨一枚分、おまけしとくよぉ~」
内心、苦笑する。
……随分と上手い商売の仕方をするじゃないか。
客に気持ちよく払わせて、さらに得をした気分にさせる。
商人の器量ってやつだな。
「ああ、ありがとさん」
席を立ちながらそう告げると、少しだけ体が軽くなった気がした。
腹も満ち、ようやく人心地がついたところで、帳簿の確認を済ませた。
これで西区の宿屋と食堂の分も終わり……のはずだが。
残りの調査対象を確認して、肩を落とす。
嫌な現実は、なるべく見たくないもんだ。
数は多くない。
だが、問題は場所だ。
なにせ、西区と南区。
西区から南区までは距離がある。
歩くだけで、体力を削られることは間違いない。
「でも、やるしかないか」
自分に言い聞かせ、腰を上げた。
部下たちもげんなりした顔をしながら、それでも黙ってついてくる。
……ああ、ほんとにみんなよくやってくれてるよ。
やたら遠く感じた道のりが終わりを迎えようとした頃には、空はすっかり茜から群青へと変わっていた。
街灯に火が入り、屋台から漂う甘く香ばしい匂いが余計に腹を刺激する。
全ての確認は終わったが、まだやることはある。
「も、もう歩けねぇ……俺を置いて先に行ってくれ」
「バカヤローっ! 何言ってんだ。置いて行けるわけないだろう」
部下たちの会話が聞こえる。
一見、綺麗な台詞に聞こえるが、実のところお前だけ休むんじゃねぇ、だ。
手に取るようにわかるさ。
俺も、前はそうだったから。
……耐えろ。あと少しだ。
事務室に戻り、最後の帳簿に判を押し、報告書をまとめあげる。
震える指先で紙束を整えたとき、胸の奥からこみ上げる安堵は言葉にならなかった。
「……終わった」
誰にともなく漏らした言葉に、部下たちがぼんやりと頷く。
疲労で目は落ちくぼみ、足取りはおぼつかない。
だが、やり切ったという達成感だけは皆から感じる。
束ねた報告書を抱え、執務室へと足を運んだ。
扉を叩くと、中から冷静な声が返ってくる。
「入れ」
扉を開けると、我らが長――所長殿が机に向かっていた。
紫の瞳がこちらに向けられた瞬間、背筋が自然と伸びる。
「サンドレアム内の商店、宿屋、食堂……すべて確認いたしました」
机の上に報告書を置き、深々と頭を下げた。
その瞬間、肩にのしかかっていた重みが、ようやく半分だけ軽くなった気がした。
所長が視線を報告書に落とすと、俺たちは姿勢を正したまま、次の言葉を待つ。
部屋の中に響くのは、紙をめくる音のみ。
その静寂の中では、一秒がやけに長く感じられた。
やがて、所長が小さく頷いた。
「……よし」
その一言に、肺の奥の空気が一気に抜けた気がした。
肩の力が抜け、安堵が全身を包む。
ようやく終わった――そう思った瞬間。
「明日から、鍛冶場すべての鋳型を確認せよ」
「――っ!」
頭の中が真っ白になる。
だが、口は条件反射で動いていた。
「承知しましたっ!!」
返事だけは、威勢よく部屋中に響く。
しかし、心の中では俺も後ろに立つ部下たちも、同じことを思っていただろう。
これは死ぬな、と。




