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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
四章   新しい風が呼び込んだもの

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83話  過保護な人たち ~嫌な報せ~


 馬車に揺られながら、わたしは窓の外をぼんやりと眺めていた。


 車内にいるのは、わたしとロエナ、それから無言で座るエルネストだけ。

 第一隊の部下たちは馬車の周囲に散り、警戒しながら追従している。


 現場の後始末をマテオたちに任せ、わたしたちだけがトバルへ帰還の途についていた。


 初めての実戦。

 そして、魔獣との死闘。


 まだ胸の鼓動は早く、まったく落ち着かない。

 目を閉じても、さっきまで目の前にあった光景が次々と浮かんでくる。


 牙を剥き出しにした恐ろしい風貌。

 森が揺らぐほどの、圧倒的な威圧感。

 魔獣に、怯まず立ち向かっていった部下たちの姿。


 そして、初めて目にした本格的な魔法。


 マテオが張った風の防壁。

 エルネストの呼び出した巨大な植物。

 どれも現実とは思えないほど鮮烈で、瞼の裏に焼き付いて離れない。


 どれをとっても初めての体験で、まだ頭の整理も追いついていなかった。


 ちらりと、隣に座るロエナを見る。

 こちらも、まだ青ざめた顔をしていた。


 腰が抜けて、そのまま抱えられるように馬車へ乗せられたのだ。

 今も緊張の余韻が残っているのか、肩が小さく震えている。


「怖かったぁ……」


 ロエナの小さな声がぽつりと漏れる。

 わたしが顔を向けると、ロエナは情けない笑みを浮かべて、胸に手を当てていた。


「足が、まだ震えてます……」


 その言葉に、わたしはふと自分の膝へ目をやった。

 さっきよりは落ち着いたけれど、やっぱり少し震えている。


「……わたしも」


 小さく答えると、二人で目が合って、ふっと笑ってしまった。

 緊張の糸が少しだけほぐれ、馬車の中にやわらかな空気が広がった。


 そんなやり取りを横で聞いていたはずなのに、エルネストはまったく表情を変えなかった。


 窓の外に視線を向けたまま、馬車の動きに合わせてわずかに身体を揺らし、ただ静かに座っている。


 無言。


 でも、その沈黙が不思議と頼もしくもあった。

 魔獣を前にしても動じず、ただ必要なときだけ刃を振るう――先程の勇姿が脳裏に浮かぶ。


 わたしがまだ震えているのとは、まるで正反対だ。


 ……どうして、あんなに落ち着いていられるんだろう……?


 気になってしょうがないわたしは、口を開いた。


「ねえ、エルネストは……怖くなかったの?」


 エルネストが、ゆっくりとこちらに顔を向ける。


「よくわかりません」


 淡々とした低い声。


「えっと……じゃあ、初めて魔獣に会った時とかは? どうだったの?」


 少し考えるように目を伏せ、それから短く答えた。


「憶えていません」

「……えっ?」


 あまりに素っ気ない返事に、わたしは思わず瞬きをした。

 隣で聞いていたロエナが、くすっと笑いを漏らす。


 ……やはり手強い。



 馬車がトバルの邸に入ると、張っていた気がふっと緩んだ。

 長いようで短かった馬車での移動を終え、わたしはロエナとエルネストを伴って、執務室へ向かう。


 ロエナが執務室の扉を開けると、机に向かっていたアゼレアが顔を上げた。


「ただいま」

「戻ったか。無事でなによりだ」


 わずかに目元を緩め、アゼレアが微笑んだ。

 その表情を見ただけで、肩の力が抜けた気がした。


「報告はマテオが戻ってから聞こう」

「……うん」


 わたしが頷くと、アゼレアは少し身を乗り出して問いかけてきた。


「どうだった?」

「……怖かった」

「だろうな」


 静かに頷く。

 その眼差しに責める色はなく、ただ受け止めるような温かさがあった。


「でも……部下のみんなも、エルネストも、すごかったの」


 わたしの言葉に、アゼレアは再びゆっくりと頷いた。

 顔を上げたアゼレアは、視線をエルネストへ向ける。


「ルルーナはどうだった?」


 その問いに、エルネストは即座に答えた。


「お見事でした」


 それを聞いたアゼレアは、納得したように表情を和らげる。


「そうか」


 頷くその姿を見て、わたしは内心で呟いた。


 ……なんで今のでわかるの?



 ◇ ◆ ◇



 遅くなった昼食を終えて再び執務室に戻ると、アゼレアが資料を整えていた。


 わたしも席につき、帳簿を開く。


 まだ指先に震えがある。

 うまく紙をめくれない。

 戦いの余韻が、まだ抜けきっていないようだ。


 そこへ、扉が叩かれる音がした。


「失礼いたします」


 入ってきたのはマテオだった。

 昼食を終える頃には現場から戻ってきているだろうとは思っていたけれど、その姿を見て安堵した。


「戻りました」


 深く頭を下げ、机の上に報告書を差し出す。

 その表情は疲れを帯びていたが、きびきびとした動きに乱れはない。


「ご苦労だった……それで?」


 アゼレアの問いに、マテオは一歩前へ進み、簡潔に言葉を重ねていった。


「討伐数、ウルフイーター三体。ロングホーン二体。いずれも討伐を確認済み。被害報告なし。討伐証明の部位も回収済みです」


 アゼレアが小さく頷く。

 それを確認したマテオが続けた。


「目撃地より南の集落の被害も、ほぼありませんでした」

「……ほぼ?」


 わたしの言葉に、マテオは姿勢を正して答えた。


「はい。家畜の柵が壊されたり、狩猟に使う罠が壊されたという報告がありました。しかし、こちらはすでに追い払われております。おそらく魔獣ではなく、ただの獣の仕業でしょう」

「そういうことかぁ」


 胸の奥につかえていたものが、すっと軽くなった。

 魔獣の被害ではないとわかっただけで、これほど安心できるのかと、自分でも驚いてしまう。


「よし、それなら被害は抑えられているな」


 アゼレアが静かに評価する。

 その言葉に、わたしも大きく頷いた。


 安心と誇らしさが、胸の奥にじんわり広がる。

 マテオも一歩下がり、深く頷いた。


 だが、すぐに顔を上げると、マテオが少し表情を引き締めた。


「――もう一つ、ご報告がございます」


 その声音に、空気が変わったのを感じた。

 アゼレアの目が細められ、室内の雰囲気がピンと張る。


 わたしも慌てて、背筋を伸ばす。


 マテオの雰囲気が、先ほどまでと違う。

 嫌な予感が、胸の奥をひやりと撫でた。


「他に変わったことはないかと、村長に話を聞いたところ……収穫祭からすぐの頃、旅商人が村に立ち寄ったそうです」


 マテオの声が、いつもより低く感じる。


「なんでも、商売を終えて帰るところだったようで、食料が尽きたので譲ってほしいと」

「……それで?」


 アゼレアが先を促す。


「旅商人はトバルで物品は売り払った後なので、貨幣しか持ち合わせていなかったようです。そのため、村長は交換はできないと断ったそうなんですが――」

「交換?」


 思わず口を挟むと、アゼレアが頷いて答える。


「ああ、村や集落では等価交換が基本だ。貨幣よりも、直接、品と品をやり取りする方が早いし確実だからな」

「そうなんだ……」


 マテオは、わたしの顔を見て軽く頷くと、報告を続けた。


「価値的には大銀貨三枚ほどだったそうです。ところがその商人は、これでなんとかと――金貨を差し出したそうです」


 わたしは、金貨という言葉に、はっとしてアゼレアを見た。


「金貨、だと?」


 同じことを思ったのか、アゼレアの目が鋭くなった。


「村長も、食料が尽きたのなら貨幣より食料だと納得し、損にはならないだろうと交換に応じたそうです。珍しい事だったので憶えていたとか」

「その金貨はどうした?」


 アゼレアの問いに、マテオが静かに答える。


「こちらに……」


 マテオが懐から小袋を取り出し、机の上に置いた。

 中から硬貨を取り出して並べると、金色の輝きがわずかに鈍く見える。


「これか……」


 アゼレアがひとつを手に取り、指先で軽く弾いた。

 澄んだ音は響かず、どこか濁っている。


「偽金貨か……他には?」

「はい」


 ……ここにも、偽金貨。


 マテオは一呼吸置いて、さらに報告を続けた。


「その旅商人は、ロッタへの帰り道だと言ったそうです。そして――名を、ダズマと」

「なにっ!?」


 アゼレアの目が見開かれ、室内に緊張が走った。


 ……なんで、あの奴隷商が。


 聞き覚えのある名前に、わたしも息を呑む。

 その横で、お茶の用意をしていたロエナの手が止まった。

 湯気の立つ急須を持ったまま、目を丸くしている。


「ダズマは……一年前に処刑されたはずだ」


 アゼレアの声が、重く執務室に響いた。

 同時に、わたしの背筋を冷たいものが駆け上がる。


「マテオ、他にわかったことは?」

「いえ、以上です」


 マテオが頭を下げる。

 アゼレアは顎に手を当て、深く思案しているように見える。


 ……ダズマは死んだはず。


 わたしは頭の中でその名前がぐるぐる回り、まだ整理がつかない。


「村はないだろうと思ってはいたが、外れたな……マテオ、すぐにトバル近郊の集落の調査を開始しろ。収穫祭の前後に重点を置け」

「はっ」


 短く答えると、マテオは退出していった。


 その背中を見送ったあと、ロエナが改めてお茶を配る。


「お嬢様、アゼレア様、どうぞ」

「ロエナ、ありがとう」


 湯気の立つ湯呑を手に取り、一口含むと胸の奥のざわめきが少し落ち着いた。


「……なんで、ダズマが生きてるの?」


 疑問を口にすると、アゼレアは静かに首を横に振る。


「死んだのは、間違いないはずだ」

「じゃあ、同名?」


 一拍置いてアゼレアが答えた。


「同名は珍しくない。だが、こんなに近くで、しかも同じ商人だ……何かあるぞ」


 それからアゼレアはしばらく黙り込み、机に置いた偽金貨を見つめていた。


「……情報が足りないな」


 アゼレアは低く呟いた。


「確かに……それにしてもダズマかぁ」


 わたしも頷くしかない。

 頭の中で考えようとしても、まだダズマという名前に囚われていて、結論など出せそうにない。


 偽金貨に、死んだはずの奴隷商人の名前。

 わたしの知らない場所で、何かか蠢いている。

 そんな気がしてならなかった……。






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