11話 風邪?
「くぅぅ~」
相変わらず水が冷たい。
本当に、冬の洗濯は苦行である。冷たいを通り越して、もう痛みの領域に入っている。
だいぶ回数をこなしてはいるものの、まるで慣れる気配がない。きっと何度やっても、この冷たさには慣れないと思う。
しかし、今日は秘密兵器を持って来た。さっさとこの苦行を終わらせてやるのだ。
……かかってこいっ! 重労働!
◇ ◆ ◇
ニの鐘が鳴った頃、ノックスが持ち帰った洗濯板を試すため、エステラと一緒に洗濯場へ来ていた。
今回は、洗剤の代わりとして、水で薄めたぬか石鹸を瓶に詰め持って来た。これで汚れが目立つ雑巾類を、洗濯板を使って洗ってみる。
準備をしている時に思い付いたことで、これなら貴族の目を気にしなくて良さそうだからだ。石鹸としてじゃなく、洗剤として売っちゃえということである。
汚れも落ちて、お金も稼げる。まさに一石二鳥なのだ。
……わたし頭良いかも~。
「エステラちゃん、これ良いわね」
「ほんと、よく汚れが落ちるわぁ」
そのまま洗うよりも、汚れの落ちはいいようだ。
洗濯場に来ていた近所の方々にも、少しばかり洗剤を分けて、使用感を聞いてみたところ、評判はかなり良かった。
肝心の洗濯板はというと、こちらも使った感じは悪くない。
水の冷たさで手が痛くなってきたが、ガシガシと雑巾を洗う。
布同士を擦り合わせるよりも、断然汚れの落ちが良く、洗剤と合わせて使うことで短時間で洗濯が完了した。
……見たかっ! 秘密兵器の力。
もう少し凹凸に丸みを加え、上から下へ角度を付けたほうが、よりスムーズに作業が出来るかもしれない。ここは今後の改善点だろう。
「桶はこっちで持って行くから、洗濯板は、お願いね」
「わかったお姉ちゃん」
わたしは洗い終わった雑巾をエステラに手渡すと、洗濯板を脇に抱えながら置いてあった瓶を持ち、小走りでエステラの後を追う。
……成果は上々。これなら大丈夫そうだね。
家に戻る途中、わたしが考え事をしていたのが悪かった。
背を向けてしゃがみ込んでいた人影に気付くのが遅れて、ぶつかりそうになった。
「おぉっ――とっ!」
わたしは慌てて脇に避けようとするが、所々、凍った地面にズルッと足を滑らせた。
「うわぁっ」
「何だっ! おわぁっ――!」
盛大にすっ転ぶと、衝撃と同時にパキンッ! と高い音が響いた。
……あちゃ~、洗剤の瓶が割れちゃったかな?
「イタタッ、大丈夫か?」
転んだと思ったら、見知らぬ人の膝の上だった。
顔を上げれば、焦った表情で尻もちをついている男性と目が合った。
無精髭を生やした中年ぐらいの男性だ。どうやら、この人が咄嗟に抱えて助けてくれたようだ。
「うぅ……あっ、大丈夫です……ありがとうございます」
……良かった。瓶は割れてない。ひびも入ってなさそうだ。
わたしは支えられながら立ち上がると、男に頭を下げ、地面に転がった瓶を拾い上げる。
大きな声がしてびっくりしたのか、前を歩いていたエステラが振り返り、駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「お姉ちゃん、大丈夫だよ。ちょっと滑っちゃった」
わたしの無事を確認すると、エステラが男の方に向き直り頭を下げた。
「うちの妹がすみませんでした。怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫。大丈夫だ……」
男は軽く腕をさすりながら皮袋を拾い上げ「大丈夫だ」と答えたが、表情は冴えない。顔も青ざめているように見える。
ふと、赤い色が目に入る。男の腕や肘の部分が血で滲んでいた。支えてくれた時だろうか。
わたしが抱えていた洗濯板で、擦ってしまったのかもしれない。
「あっ、血が」
「うん? ……ああ、これか。たぶん持っていた果実が潰れたんだよ。ごめんな、お嬢ちゃんの服も少し汚しちまったな」
よく見ると、男性の脇から腹にかけても果実の汁で汚してしまったようだ。本当に怪我じゃなくてよかった。
……ふぅ、びっくりした。
男はごそごそと皮袋の中から少し潰れた赤い果実を取り出し「余り物なんだ。気にしなくていいぞ。いっぱいあるしな」と、アピールするかのように赤い果実にかぶりついた。
……美味しそう。トマトっぽいけど。
「それ、なんていう果実なんですか?」
「これはトマトって言うんだ。水の月から火の月が旬なんだけどな」
この果実は、何度か見たことはあった。しかし、名前は確認していなかったので念のためだ。
男は美味しそうに頬張りながら地面に置いた皮袋へと手を伸ばし、潰れていないトマトを二個ほど分けてくれた。
……なんて良い人だ。助けてもらったうえにトマトまで。
男は肩から掛けていた鞄の位置を直すと、わたしの服を指差して言った。
「その服は早めに洗った方がいいぞ。トマト臭くなっちまう」
それだけ言うと、トマトの入った皮袋を背負い直して、お礼も聞かず足早に去っていった。きっと、急いでいたのかもしれない。
「とりあえず帰るよ。その服も洗わないとね」
「だね」
肩から背中にかけて、ちょっと冷たい。たぶん、支えてもらった時だ。あの男と同じ様に、潰れたトマトの果汁が付いたようだ。
わたしは味が気になって、ちょっとだけ肩の辺りを指でなぞり、ぺろっと舐めてみた。
……苦っ! これは……控えめに言っても美味しくない。
正直、想像していたトマトの味には程遠く、べーっと舌を出して顔をしかめる程に不味い。それを見ていたエステラが「もうっ、何してんの」と、呆れた顔をして頭を掻いた。
◇ ◆ ◇
わたしは着替えを終えると、昼食の準備に取り掛かる。
エステラは浸け置きしておいた物を、再び井戸まで濯ぎに向かった。わたしが汚した服もついでに洗ってくれるようだ。
……お姉ちゃん、ありがとうね。
前掛けをして台所の扉を開けると、お母さんが肉の下ごしらえを済ませたらしく、今度は袋から野菜を取り出し刻み始めていた。
「あら、早かったのね。洗濯は順調に終わったようね」
「うん。あとね、帰り道でこれ貰ったの」
わたしは貰ったトマトを二つ、お母さんに手渡す。
「あら、トマトじゃない。この時期に珍しいわね」
「そうなの?」
聞けば、冬のトマトは甘みが少なく、あまり好まれないらしい。
あの男は袋に結構な量を持っていたけれど、まぁ、余り物と言っていたので、売れ残りだろう。つまり、処分品。
「そういえば、そのお肉は何の肉なの?」
「これは豚よ。この前も食べたでしょ? ほら、誕生日に」
……あれ、豚肉だったんだ。
何度か肉料理は口にしたが、ポリニーの件以降、素材まで聞いたことはなかった。最近になって、その都度、聞いておくべきだったと後悔している。
……元から美味しいと、食べるのに夢中になっちゃうんだよね。
「最近は豚肉の値段も高くなったから、この前の誕生日の祝で実家から分けてもらった物を、氷室で保存しておいたのよ」
「あっ、この前の荷物?」
「そう。お店の氷室で保存してあるの。魔獣化してない普通のお肉だから、悪くなる前に食べないとね」
「へぇ~……んっ?」
今、すごい内容をさらっと言われた気がした。
……魔獣化って、なんでしょうか? ん? 魔獣化してる肉もあるってこと?
「お母さん、魔獣化って?」
お母さんは、小首を傾げて不思議そうにわたしを見た。
「獣が魔獣になったものよ。魔獣化した獣の肉の方が傷み難いの。お肉はルルーナもよく食べてるでしょ。ポリニーとか」
……ああ、ポリニーね…………。
「えっ――はぁぁぁっ?」
……わたし、魔獣を食べてたの?
あまりにもびっくりしたので、大声を上げてしまった。
びっくりしたのはお母さんも同様のようで、野菜を刻む手がピタリと止まっている。
「あら、ノックスもエステラも知ってるはずだけど……言ってなかったのね」
……今、知りました。
「う、うん。あれって魔獣だったんだ」
「そうよ。普通の獣が魔素の影響を受けると魔獣になるの」
「魔素……?」
「空気の中にある成分のことよ。強く取り込むと獣が変わるの。小さな猪なら、魔獣ポリニーになるのよ」
……なるほどぉ。でも、食べる時に思い出したら、ちょっと怖いかも。
「へぇ……じゃあ、猪とは違うんだ?」
「そうねぇ。例外や味の変化はあったりするけど、食べられる部位はあまり変わらないわね。むしろ魔獣の肉は傷みにくくて便利なのよ」
「ふーん……」
……魔獣化して、猪肉が鶏肉っぽくなるわけね。
お母さんの目がちょっとだけ細まり、「ただし」と続けた。
「放っておくと魔素を溜め込みすぎて魔物に変わってしまうの。そうなったら危険だから、騎士団が討伐するの」
……へぇ、騎士団かぁ。
「がおぉぉ~」
「お……おぉ?」
わたしを怖がらせるため、魔物の真似でもしたのだろうか。ちっとも怖くない。
「怖かった?」
「ちょっと……だけ」
……ごめん。全然怖くないよ。ちょっと驚いたけど……。
満面の笑みで鼻歌を歌い始めたお母さんはご機嫌だ。
そんなお母さんの顔を見ながら、わたしは話を戻す。
「じゃぁ、魔獣と魔物って別なんだねぇ」
わたしが理解したのを確認すると、お母さんが微笑んだ。
「そうね。だから狩人たちも、魔物になる前に魔獣を優先して狩るのよ」
「……じゃあ、普通の動物のお肉は?」
「狩られる数が減って少なくなったの。そのせいで値段が上がっているのよ」
「なるほどねぇ~」
豚肉の値上がりについてもちゃんと理由があった。
市場に出回る数が少ないなら、たしかに値上がりはしょうがない。
……そりゃ、魔獣が変異する前に排除したいよね。
「お金目当てで、動物ばかり狩りそうなものだけど……」
「そうね。でも、狩人も馬鹿じゃないわ。魔獣を放置して、自分の狩り場が危険になったら、元も子もないでしょう?」
「あっ、そっかぁ」
……確かにそうだね。考えてるなぁ~狩人さん。
「それとね、魔獣化した動物は、普通の動物に比べて警戒心が薄いのよ。人を見ても逃げないの。狩人にしてみれば、小型なら魔獣の方が狩り易いって利点もあるわね」
「ほぇ~」
……逃げないんだ。でも、わたしには小型も無理そう。
お母さんは、わたしが軽く頷き納得したのを確認すると、トマトを手に取り切り始めた。
頭の中は魔獣のことでいっぱいだったが、トマトを見た途端、先程の味を思い出して慌てて止める。
「お母さん、それ苦くて美味しくないよ?」
「えっ? トマトが?」
切り分けたトマトを「どれどれ」と、お母さんは一切れ摘んで口に入れた。
「甘みは少ないけど、普通のトマトよ?」
なんでもない顔をしてお母さんが言うので、わたしも一口食べてみる。
「あれ? トマトっぽいね」
ちょっとだけ味覚が鈍感になっている気もするが、特に不味くもなく、普通のトマトだった。さっきは外の寒さで舌が麻痺でもしていたのだろうか。それとも……。
……体がちょっとだるい感じ……わたし、風邪ひいた?
「ルルーナ、お湯を用意して。エステラが戻ったら、お茶を作って昼食にしましょ」
「うん。わかった」
ちなみに、味音痴なわたしでもわかるほど、豚肉はめちゃくちゃ美味しかった。
◇ ◆ ◇
わたしは昼食を済ませると、エステラと一緒に洗濯板や洗剤の報告も兼ねて、ノックスの待つ商会の倉庫へ向かった。
「薄めて洗剤に……」
洗濯板の報告を終え、洗剤の話をしたところ、肌を洗う物で衣類を洗うとは予想外だったらしく、ノックスに大きく驚かれた。
かなりの衝撃だったようで、いつもの暴走も忘れるほど、微動だにしなかった。
現在、ぬか石鹸の商品化は保留になっており、使い道がなかったので商会としても万々歳だろう。洗濯板と違って、見ただけでは真似出来ないため、金額の方も期待できそうである。
「書類は用意してあるから。アイナ、あとは頼むね」
「あぁ、うん。わかった……」
何か閃いたようで、自信有りげな顔つきに変わったノックスは他の説明をアイナに任せ、足早に倉庫から出ていった。すぐにでも、会長に掛け合うつもりなのだろう。
ノックスの後ろ姿を見送ったアイナが小さく頭を振り、エステラと顔を見合わせて溜息をついた。
「ああなると止まらないね……エステラ、わたしたちも行こっか」
「兄さん、工房へ行くの忘れなきゃいいけど……」
多少の懸念を残しつつも、わたしたちは鍛冶場を訪ねることにした。
何か思い付いた様子だったが、ノックスのことなので心配しなくても大丈夫だろう。
わたしは自分の発案で迷惑をかけていないかと商会の様子が気になったので、アイナの話を聞きながら、鍛冶場を目指して路地裏を進む。
案の定、立て続けに商品の発案が重なり、かなり忙しいようで、ほとんど仕事の割合を占めているのが材料の確保らしい。
らしいというのも、アイナがまだ深く商会の仕事に関わっているわけではないため、あくまでノックスの傍で見ていた感想だ。
わたしの心配は杞憂だったようで、確実に言えるのは、忙しそうだが笑顔と活気が店全体に溢れているということだった。
あくまで自分のために考えた商品だったが、こうして周りの人たちの反応を聞くと、わたしもちょっぴり嬉しく思った。
……料理もそうだけど、やっぱり周りが笑顔になるっていいよね。
鍛冶場へ向かって歩いていると、三馬鹿の路地に差し掛かった辺りでラウルに出会った。やはり、この路地は遭遇率がやたらと高い。
今回は鍛冶場に用事があるので、ラウルに出会ったのは運が良い。
背負った袋から木材が顔を出しているところを見ると、工房へ立ち寄った帰りだろうか。
わたしたちに軽く手を上げ「よう、あまり見ない組み合わせだな」と、ラウルが珍しい物でも見た顔で挨拶してきた。
エステラが手を上げて応じ「鍛冶場に用があるの。アンタも一緒に来て」と、手招きすると、「俺も?」と自身を指差し、ラウルが首を傾げた。
「そう、アンタも。仕事の依頼よ」
エステラがそう告げると、アイナが鞄から書類を取り出し、ラウルに見せる。
「レント商会からの書類もあるんだよ。丁度いいから、親方に取り次いでくれないかな?」
エステラとアイナにそう言われたラウルは「なんだ。そういう事か」と、納得した様子で頷いが、少し間があって申し訳なさそうに口を開いた
「親方さ、屋根の修理に行っちまっててよ。少し時間がかかるかもしれないぞ」
「あ~、雪に備えてかぁ。そんな時期だもんね……」
困り顔で「参ったなぁ~」と、エステラが頭を掻いた。
どうやら親方は留守らしい。
この時期は雪に備えて、屋根の点検や修理で忙しいようだ。
「二人はどうする? どっちにしろ、この書類も渡さないといけないし、ラウルに説明しながら待とうか?」
アイナの提案にエステラが頷く。わたしも賛成だ。ここで引き返してもしょうがないので、鍛冶場で親方を待つことになった。
ラウルの案内で、路地から馬車がすれ違える程の通りに出た。その通りを北門の方へ進むと、黒く薄汚れた煙突から、灰色の煙をモクモクと吐き出している鍛冶場らしき建物が見えてきた。
……あれかな? いかにも鍛冶場って感じだね。温かい場所だといいけど――さっきから寒気がするんだよね。本当に風邪引いたかも。
なんとなく頭もぼーっとする。
昨晩、普段よりも長く窓を開けていたせいだろうか。これは本格的に風邪を引いてしまったかもしれない。今日は帰宅したら、薬を飲んで休んだ方が良いだろう。
そういえば、病院のような施設はあるのだろうか。
今まで、重い病気や怪我はしてこなかったので、確認はしていない。機会があれば、確認しておこう。
……さてと、今は大体どの辺かな?
確か、ポールの工房は路地から西側へ向かったので、三馬鹿の路地を中心に考えると、丁度反対側辺り。歩いた時間から計算して同じぐらいの距離だろう。
……家の北側辺りかぁ。お店に行くより近いかも。
途中で行商に声をかけられたり、三人の世間話に耳を傾けながら、テキトーに相槌を打っていると三人の歩みが止まった。どうやら到着したようだ。
近くで見ると、かなり大きく感じる。大きな煙突に石造りの立派な建物だ。
「お茶でも用意すっから、とりあえず、中で待っててくれよ」
燃え難いようにと鉄板を打ち付けた木製の扉を開けて中へ入ると、大きな火を扱っているせいか、もわっとした空気が顔を包んだ。
煙が充満しているわけではないが、多少の息苦しさを感じる。
周りを見渡せば、石造りの炉の隣で鋳型に金属を流し込む職人や、桶に張った水の中に赤々と熱せられたスプーン程の大きさの金属を突っ込み、焼入れをしているのが見える。
カンカンと音の響く方に目をやると、砥石や革砥を使って包丁や小ぶりのナイフを砥いだり、ハンマーで鍋のへこみを直したりと様々な加工や修復を行っていた。
……おぉ~、手作業の加工ってカッコイィ~。
あのような作業を見ると、わたしは前世で見ていた金属加工の動画を思い出す。知識があるわけではないが、金属がツルツル、ピカピカと手作業で研磨されていく様子を見ているのも好きだったのだ。
そんな光景を目の前で見て、若干興奮気味だったわたしを疑問に思ったのか、アイナが声をかけてきた。
「ああいうのが好きなの?」
「うん。結構、好き……かも」
「へぇ~、もっと女の子っぽいのが好きなのかと思った。これじゃ、エステラそっくりじゃない」
アイナはエステラの方へと顔を向けて「妹ちゃん、エステラにそっくりね」と、笑った。
……金属の加工って、やっぱり男の子っぽいのかな? これぞ職人技って感じで良いと思うんだけど……。
だが、悪い気はしない。ノックスにも似て、エステラにも似て、やっぱり兄妹、姉妹なんだなって思うと嬉しくなってくる。
◇ ◆ ◇
ラウルに案内され、加工場の隣にあった商談用と思われる小さな部屋に通された。
わたしたちは「ほらよ」と、用意された熱いお茶を飲みつつ、ラウルに試作品の用途の説明をしながら、親方の帰り待つ。
「それを使って新しい料理ねぇ」
「何が出来るかは、料理人次第ってとこね」
「ふ~ん……まぁ、仕事だからな。んで、持ち手はどういう形にする?」
ラウルの表情が徐々に真剣さを増し、エステラの説明に聞き入っている。
ポールもそうだったが、仕事の話になると顔つきが変わるラウルも、立派な職人だなと思う。
アイナが言うには、洗礼が終わると職人の家では修行が始まるそうで、成人するまでは見習いという立場だが、やっていることは一般の職人と大差がないらしい。もちろん、難しい加工等は熟練の職人が担当するが、一般的な職人の仕事は、一通り経験済みなようだ。
……六歳からやってたら、もう六年目。そりゃ、技術面なら一人前にもなるかぁ。
「料理なら、マルコがいいかもな。あいつの舌は一流だぞ。伊達に食ってねぇ」
「マルコって、料理できるの?」
マルコが料理を担当していることには、エステラは初耳だったらしく、目を瞬かせて聞き返していた。アイナも同様のようで「あのマルコが……」と、驚いている。
「あの宿屋の味付けは、ほとんどマルコが担当だぞ」
マルコの父親が経営する宿屋の料理は元々美味いと評判だが、近年は食べやすい、味が良くなったなどと耳にする機会が住民の間でも増え、食事を目的に来る客も増えたようだ。
最近は宿屋というよりも、もう食堂のような状態らしい。それもこれも、マルコが店の料理に口を出し始めてからだという。
……マルコって、食べてるだけじゃなかったんだね。
マルコの評価を上方修正すると同時に、なかなか良い情報を得られた。おろし金を試してもらう料理人に、マルコも追加すべきだろう。
「ところでよ、ちっこいの。顔色わりぃぞ。大丈夫か?」
マルコの話をしながら図面を作成していたラウルが、突然そんなことを言ってきた。隣にいたアイナもわたしの顔を覗き込んで「ほんとだ。妹ちゃん大丈夫」と、心配そうだ。
……見て分かる程、わたしの顔色って悪いのかな?
確かに、どんどん体調は悪くなっている気がする。
座っている分には少し頭がぐらぐらする程度だが、立って歩くとなると、ちょっとしんどいかもしれない。
「もぉ~、夜中に窓開けてニヤニヤしてるから、風邪でもひいたんじゃない?」
……バレてるぅ~。
夜中に窓を開けていることはエステラにバレていたようで、寒い思いをさせてしまったと、ばつが悪い。しかも、ニヤけた顔まで見られていたようだ。
申し訳なさと恥ずかしさで、複雑な心境だ。そんなわたしの額に、エステラがそっと手を当て熱を診る。
「ちょっと……熱あるかも」
「エステラどうする? 四の鐘も鳴って結構経つし、戻ろうか?」
五の鐘がなる頃には、辺りはだいぶ暗くなっているだろう。今、親方が戻って来ても、大した話はできない。体調のこともあるし、今日はもう引き上げた方が良いかもしれない。
「親方には俺の方で話しておくよ。ちっこいのも無理すんな」
「……うん」
ラウルにも、これ以上、気を遣わせてしまっても悪い。
わたしは机に手をついて「よいしょ」と立ち上がり、そのまま一歩踏み出そうとした瞬間、力が抜けて足元がふらついた。
「大丈夫? 無理してたんじゃないの?」
アイナの顔は本当に心配そうだ。
自分でも無理をしてる自覚が多少はあったが、周りの反応を見ると相当に無理をしているように見えるようだ。
わたし的にはまだ平気なのだが、わたしはまだ五歳の子供だ。
周りから心配されて当然かもしれない。ここは、これ以上心配させないためにも、笑顔で大丈夫とアピールすべきだろう。
「えへへっ……大丈夫だよ」
「笑って誤魔化しても駄目! もうっ!」
……駄目だった。
エステラの目は誤魔化せなかった。足元がおぼつかないわたしの手をぎゅっと握り、連れ立って部屋を出る。
ラウルに説明をしている間、わたしに無理をさせてしまったんじゃないかと、自分を責めていなければいいが……。
工房を出ると、辺りは随分と日も落ち暗くなっている。
ラウルも「もう、暗いからな」と、北門に続く大通りまで送ってくれるようだ。目つきは悪いが、なんだかんだと気遣いができる男ラウルである。
わたしは、ちょこちょこ聞こえる三人の会話に耳を傾けながら、見やすくなった星空を見上げて手を引かれるまま歩く。
「……にしても、ノックスもすげえなぁ。その洗濯板ってのも」
「兄さんも、日頃から色々と考えてるからねぇ……」
「そうね。今日もノックスは商会の中をひっきりなしに動いてたわね。好きでやってるから、止める気にもならないけど……」
……お兄ちゃんの忙しさは、わたしのせいなんだけどね。
聞こえてくる会話に少し罪悪感を覚えた頃、遠くからガタガタと車輪の音が近付いて来る。急いでいるのか、動物の蹄の音も忙しなく聞こえる。
……馬車を牽引してるのって、タルタニしか見たことないなぁ。
気になったので振り返ると、そこにはタルタニではなく、がっしりとした軍馬のように大きな馬が、雨避け付きの荷馬車を引いていた。
……うわぁ~、あれは大きいなぁ~……つか、スピード出し過ぎじゃない? 危ないよね。
馬車がすれ違える幅があるとはいえ、かなりの速度が出ている。一歩間違えれば大事故に繋がるだろう。
近付いてくる荷馬車を見ながら、どこの大馬鹿者だろうと御者台を見れば、二人の人影が見える。
目を凝らすと、手綱を握っている者とは別の者が、前方を指差しているのが分かった。進路の先に人がいることに気付いたのだろうか。先程よりも馬車の速度が落ちたようだ。
……そうそう、人がいるんだから、ゆっくりお願いします。
寒風が吹き抜けた道の先にある、街の灯りが微かに揺らめく大通りを見て思う。
……初日以外は大通りを歩いていないなぁ。
裏道を覚えるために、倉庫への行き帰りも裏道だ。
そっちの方が近道なのもあるが、今後は大通りも歩いてみても良いかもしれない。色々と新しい発見に出会える可能性が大きいはずだ。
ぼぉーっとした頭で考えていると、馬車の車輪の音が近くから聞こえてきた。先程の馬車だろう。
馬車は街の見慣れた風景の一部として、わたしたちの近くを通り過ぎるはずだった。しかし、馬の前足が跳ね上がり、わたしたちの目の前で馬車は突如として急停止した。
「えっ――何っ――!」
バンッと馬車後部の扉が勢いよく開き、その中から男が飛び出してきた。
「きゃっ、痛ったぁ~」
ドンッと鈍い音とともに、わたしの後ろを歩いていたアイナを突き飛ばし、わたしの腕をギィッと力強く掴んだ。
「なんなの――痛っ!」
男はグッとわたしの腕を引っ張りエステラから引き離すと、そのまま抱き上げた。わたしは乱雑な動きと急な浮遊感のせいで、目眩と吐き気が酷い。
ジェットコースターよりもひどい揺れと、ぐるぐると回る視界のおかげで、色々とヤバい状況だ。
……うぅ、吐きそう。
「アンタらなんなのよっ!」
「おいっ! 道の往来でよくもまぁ、堂々とっ!」
エステラとラウルが激昂し、男に掴みかかろうと腕を伸ばすが、男は片手で払い除ける。
男は二人の抵抗を邪魔に思ったのだろう。マントで隠れていた剣の柄に手を添えるのが、わたしには見えた。
……斬るつもりなの? ――こんな往来でっ!?
「だめぇぇぇ~!」
わたしは意識が朦朧としている中で精一杯大きく叫ぶと、再度飛び掛かろうとしていた二人の動きが止まった。
男も耳元で騒がれたせいで一瞬たじろぐ。だが、すぐに持ち直し、わたしを馬車の中にポンッと放り込むと、ピューっと口笛を吹いた。
その口笛に呼応するように鞭を打つ音と馬の嘶きが聞こえ、馬車が急発進した。
……痛っいなぁ! くぅぅ~、頭がガンガンする。
強く側頭部を打ったせいか耳鳴りも酷い。
顔を上げて見渡せば、男が扉を開けて後方を気にしている。そのおかげで、僅かに大通りの街灯の灯りが差し込んでいる。それを頼りに、わたしは何か使えそうな物を必死に探す。
……よく見えないなぁ。
「チッ、しつこいな」
どうやら馬車の外では、エステラたちが追いかけているようで、ラウルの「人攫いだぁ~」という大声に、苛立った男の舌打ちが聞こえた。
わたしは男の後ろ姿を見ながら、ガタガタと揺れる車内でどうしたらよいかと混乱して、考えがまとまらない。
ふらつく足で立ち上がろうとした時、ガンッという何かを引っ掛ける硬質な音と同時に「ルルっ!」と、エステラの切羽詰まる声が聞こえた。なんと、馬車に追いついたようだ。
……はぁっ!? ――馬車に追いついたの?
「なっ――」
「妹を返せぇぇぇっ!」
「ガキがっ!」
慌てた男は、荷台に手を掛けて這い上がろうとするエステラを、声を荒らげて蹴り飛ばした。
ドスッ!という鈍い衝撃音がして、肩に蹴りを受けたエステラは、速度を上げて走る馬車から宙に勢いよく放り出された。
……だれかっ! お姉ちゃんをっ!
視界が霞む中、意識が飛びそうなのをグッとこらえ、声にならない叫びを上げた時、誰かがエステラを抱き留めたのが見えた。
……ふぅ、ラウル! ナイスキャッチ!!
願いが通じたらしい。地面ギリギリ。間一髪でラウルが間に合ったようだ。
わたしは安堵すると、ふっと気が抜け意識はそこで途絶えた。
ここまで拙い文を読んでいただきありがとうございます!
ついに、11話に突入し、物語が少し動き始めてきました。
次回は「出会いはいつも突然に」です。お楽しみに!
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