王妃様は乞われる
「ねえ、ウル」
「はい、なんでございましょう?」
アルメニアは、背筋にぞわりと感じている。
「気配がするのよ」
「ほぉ、なんの気配でございましょうか?」
アルメニアは近づく気配に、気もそぞろだ。
「私、回を重ねるごとに……敏感になっているみたい」
「まあ、姫様は聖女であられますし、そういう感覚が開花するのも頷けますね」
ウルが冷静に返答した。
「なんで、落ち着いているのよ!?」
「もう、三度目だからでしょうか」
ウルの返答越しで、それが姿を現した。
アルメニアは、顔を真っ赤にして駆け出す。
どうしても、その存在に慣れないのだ。一目するだけで、全身が熱くなり、胸が一杯になる。
それはいとも簡単に、アルメニアの駆け足に追いついてしまう。
懸命に走るアルメニアの腰に腕が絡みついた。
「キャッ」
「捕まえた」
クランベルトがアルメニアを片腕で持ち上げた。
「下ろしてくださいまし!」
「ハハハ」
笑うだけのクランベルトに、アルメニアは口を尖らせた。
「今回はずいぶん遠くまできたものだな」
「へ、へへへ」
いつもの愛想笑いで、アルメニアも返す。もちろん、目は泳いでいる。
「脱走と捕獲を重ねること三度目ですから、姫様もなんとか陛下の鼻を明かしたかったのでしょう」
ウルがシレッと返答した。
「ち、違うわ! 散歩とお迎えだもの。ちょっとだけ足が伸びただけだし、ちょっとだけ隠れんぼ遊びを試した感じだし、それに陛下が……モニョモニョ」
アルメニアの言葉がどう続くのか、三度と続けば分かるものだ。
「私に迎えにきてほしいのだろ?」
クランベルトが言った。
「……はい」
アルメニアは恥ずかしそうに呟いた。
「あれ? そういえばあの者がいませんね?」
アルメニアはクランベルトの従者がいないことに気づく。
「ああ、ジェロか。巻いてきた」
「まあ! ウフフ、陛下もそういうのがお得意なのですね」
「姫には負けるがな」
アルメニアの脱走には、影武者のアルメニア人形があるため苦労しない。本人と瓜二つで生きているように動くのだから、質が悪い。
難なく離宮から脱走……散歩に出かかられるのだ。
流石に、三度も散歩を強行されれば、ベラクルスの離宮警護も強固になるのだが、アルメニアには敵わない。
「姫のおかげで、警護の隙が判明し対処することもできたし、安穏なベラクルスでは兵士や騎士らは緊張感がなかったから、良い刺激になった。今や、離宮は精鋭部隊のようだぞ」
クランベルトがそう言ってまた笑った。
「では、また脱走じゃなくて、散歩に挑戦しても良いのですね!」
アルメニアは、嬉しそうに言った。
「こら、そんなに嬉しそうに言うではない」
クランベルトがアルメニアの額をツンと押す。
「へ、へへへ」
「ゼッペルから連絡があったぞ。姫に贈る『薔薇』が完成した。クルツに行こう」
アルメニアは微笑む。
それは聖女としても笑みだ。クルツで明かした聖女の力で、村人達はアルメニアに恐れを抱いた。
「天真爛漫は、私だけに見せていればいい。私だけが特別だと実感するから、それでいい」
「ええ、もちろん。陛下だけ特別ですもの」
アルメニアは、クランベルトの胸に身を寄せた。
「ただいま」
そこは、アルメニアの戻る場所だ。
「お帰り」
クランベルトがアルメニアは抱き締める。
散歩すること三度目にして、二人の距離は段々と縮まっていた。
そういう進展もあっていいだろう。日がなベッタリ甘いだけが、二人の距離を縮めるのではないのだ。
アルメニアとクランベルトは、久しぶりにクルツに来た。
皆が、感極まって涙している。
「姫様……姫様……」
村民らは、悔恨の念をずっと抱いていたのだろう。
アルメニアは微笑む。それが、皆の心を癒やすのだと分かっているからだ。
「私、まだギルドの受付嬢をしていないのよね。せっかく制服まで作ったのに」
戯けて言うアルメニアに、村民らの笑顔が弾けた。
心の傷を、アルメニアは身を持って知っているからこそ、それを村民に向けたりはしない。
恐れられた心の傷に蓋をする。聖女とは……王妃とは、責任ある立場にある者とは、そういうものなのだ。
クランベルトが、アルメニアの手を力強く握っている。
アルメニアとクランベルトは、同じ立場である。同じ気持ちであり、同じ傷を持っているのだろう。
「我らは今、『デート』中なのだ」
クランベルトが、村民に言った。
「それも、忍んでここに来た」
茶目っ気溢れる言葉に、村民らがニマニマと頬を緩める。
「ごゆるりと」
村長が、頬を染めているアルメニアに言った。
村民らが散っていく。
皆、ニマニマ、ニヤリ、ニタリと笑っている。
本来なら、不敬かも知れないが、恋人に向けられるそれは、甘んじて受けるものだ。不敬ではなく祝福といった方がいいだろう。
「陛下ったら」
アルメニアは口を尖らせた。
「ハハハ」
クランベルトがアルメニアの手を引く。
「ゼッペルの所に行くぞ。姫に贈る『薔薇』を見に行こう」
「楽しみです」
まさに、デートのように二人は再生通りを歩く。
アルメニアは、あれこれと指差しながら、クルツでしたことをクランベルトに話した。
「以前も口にしたが、ゼッペルは私の姿絵を描いた張本人なのだ」
「あれが……」
アルメニアは、初めて見たクランベルトの姿絵に圧倒された時の事を思い出し、ポーッとなる。
「あれを見たから、ベラクルスに来ようと決心したのです。本当は……ラレーヌを出奔しようと思っていました。でも、会いたかったから」
アルメニアは、クランベルトを見つめた。
「会いたくて、来てしまいました」
クランベルトの顔が熱を帯びる。
「ああ、私も姫の姿絵に心動いた。他の誰にも見せたくはなくて、ずっと懐にしまっていた。……今も」
クランベルトが胸に手を当てた。そして、アルメニアの手を導く。
「ここにある」
ゴッホン
良い雰囲気の二人の邪魔をするように、咳払いがした。
「こんな道のど真ん中で、やるもんじゃないですぞ」
ゼッペルが言った。待ちくたびれて出てきたのだろうか。脇に絵を抱えている。
アルメニアとクランベルトは見つめ合って幸せそうに笑う。
「やってられませんな」
ゼッペルが肩を竦めた。
「『永遠の薔薇』をどうぞ」
アルメニアは、ゼッペルが披露した絵を見つめる。
込み上げるものが、涙となって溢れた。
「ゼッペル、感謝する」
クランベルトは、絵を受け取った。
大輪の薔薇の背景に透かし絵のアルメニアが描かれている特殊な絵だ。
だが、それだけに留まらない。そのアルメニアを後ろから抱き締める存在も描かれている。
「誓うよ。私達は、永遠にこの絵のように重なって生きていこう。姫は薔薇を求めてもいい。いつも私はそんな姫を迎えよう。この胸に」
クランベルトが薔薇を手に乞うたのだった。
ありがとうございました。




