カレー好き刑事の華麗な推理
桐生がどうしてもコンビニに寄ってほしいというので、警部は途中でコンビニに立ち寄った。桐生のお目当てはおでんだった。定番の大根や厚揚げ、たまごなどは買わずに、こんにゃくとしらたきを大量に買った。警部は『おまえは女子かよ』とつっこみを入れたが、桐生は『ぼくは男子です』とユーモアのかけらもない返答をして車に乗りこむ。
桐生はそれらをたいらげると一服してから、彼の推理を語りだした。
「まず最初に言っときますけど、この事件の犯人はぼくたちが話を聞いた3人、田伏、野口、須藤の誰かです。理由は、事件のあった時間に5号棟の2階よりも上の階にいて、そこからエレベーターで降りてきて、1階のカメラに映っていたのはあの3人だけだからです。5号棟は改修工事をするために、3階よりも上には行けないし、非常階段とかは使えない状態だったから犯人が正面入り口以外のところから出て行くことはできません」
「やっぱりあの3人の誰かか」
「はい、それから被害者の指ですけど、あれはやっぱり何かを指さしていました。つまりダイイングメッセージだったんです。あの指ははっきりと人差し指を突き出していました。あれが例えば、犯人に抵抗した際に偶然にできた形とは考えられません。それで、楠さんとぼくは被害者の指さしていた方向にあるものを調べてみましたが、特に犯人につながるものはみつけられませんでした。それもそのはずで、被害者の倒れていた場所が違っていたからです。倒れていた場所が違えば、当然、指さしていたところも違います。ついさっき、被害者が本当に倒れていた場所を知りました。そこから指さす方をたどっていくと、そこは窓の方向ではなく、奥の壁の方向でした。その壁にはテープの跡があり、そこには事件当時、ポスターが貼ってありました。被害者は死ぬ間際にそのポスターを指さしてたんです」桐生はそう言って、今度は巨大なプリンを食べ始めた。
「オレもさっき、ポスターを見たけど、犯人を示すようなものなんかなかったぞ。まさかあのバンドのメンバーの誰かが犯人なんていうんじゃないよな」
「いえ、彼らはこの事件とは無関係です」
「じゃあ被害者はあのポスターを指さして、何を言おうとしたんだ?」
「それはもちろん犯人は誰かってことです。それじゃあ、ポスターには何が書いてあったか考えてみましょう。まずポスターには学園祭の名前の『桃色祭り』と書いてありました。被害者は学園祭自体を示したかったんでしょうか。これは違います。容疑者の3人ともこの大学に関係してるからです。学園祭の名前の桃色という言葉を示そうとしたんでしょうか。3人の名前で桃という言葉が使われている者はいません。また事件当時、ピンクの服装をしていた者もいません。そうすると桃色という言葉に注意を向けたかったわけではなさそうです。これと同じ理由で『パープルストーン』のパープル、つまり紫色を示していたのでもないです。ではストーン、つまり石という言葉でしょうか。これも違います。石という言葉で連想する人物はいません。『パープルストーン』は4人組みのバンドなので、4という数字を示したかったのでしょうか。でも、4という数字も3人の誰も連想させません。それでは、学園祭の開催日を示したかったのでしょうか。数字によってある人物を示そうとするとき、まっさきに思いつくのはその人物の誕生日です。さっき、綾瀬さんに、3人の誕生日を聞いたら、誰も該当する人はいませんでした。なので開催日でもないです」ここで桐生は一息ついた。
「あとあのポスターには何が書いてあったかな。今おまえが言ったことくらいだろ」
「そうです、書いてあったのは今言った事です。そして今言った事のいずれでもないとすると、考えられるのは1つしかありません。ぱっと見てすぐに注目してしまう『パープルストーン』の奇抜なファッションです。彼らは服を後ろ前に着ていました。被害者はその後ろ前を示したかったんです」
警部はそれを聞いてはっとした。
「犯人は服を後ろ前に着てたのか」
「そうです」
警部はカメラの映像を思い出した。3人のうち誰か服を後ろ前に着ていたやつがいたか。
「うーん、オレの記憶だと3人とも後ろ前に着てたやつはいなかったな。いれば、あの時に気づいたはずだもんな」
「そうですね、いませんでした」
警部は桐生の発言に首を傾げながら、
「じゃあやっぱり被害者は、服の後ろ前を示したんじゃないじゃないか」
「いえ、やっぱり被害者は服の後ろ前を示していたのは間違ってないと思います。でも、カメラの映像には3人の誰も後ろ前には着ていなかった。そうすると、こういう結論が導かれます。つまり、犯人は犯行後に服を着替えなおしたということです」
「着替えなおしたのか」
「はい、着替えなおしたのですから、犯人は自分が後ろ前に着ていることに気づいたんです。犯人は自然と気づいたんでしょうか。ぼくは何かきっかけがあったと思うんです。要約しますと、犯人は服を後ろ前に着ていたことに気づいた人物ということになります。1人ずつ検討してみましょう。まず、田伏ですが、彼はボーダー柄のシャツを着ていました。ボーダー柄のデザインは後ろも前も似たようなもので、自分が服を後ろ前に着てたかどうか、たとえ何かのきっかけがあったとしても気づくのは難しいでしょうね。それに、被害者の瀬戸さんもボーダー柄ではそれが後ろ前かどうか分からなかっただろうし、そんな分かりにくいことをダイイングメッセージとして示すとも考えにくい。実際にはメッセージを残してるので、これらのことから田伏は犯人ではありません」
「そうすると、成瀬さんは間違ってたのか」警部がつぶやく。
「ぼくの推理だとそうなりますね。次に、須藤さんですけど、彼は茶色のジャケットにグレーのシャツを着ていました。ジャケットはどう間違えても後ろ前に着てしまうことはないでしょうから、シャツを後ろ前に着ていたのかもしれない。カメラの映像を見ると、彼はエレベーター横の階段から降りて行きました。ぼくたちも階段で降りましたけど、電気が薄暗くて、とても自分が着ている服の状態を確認するのは困難です。それに階段を降りながら着替えるのは大変です。そうすると、須藤さんも服は後ろ前ではなかったと考えていいと思います。最後に野口さんですけど、彼は1階に降りるのに左側にあるエレベーターを使いました。そのエレベーターには何がありましたか?」
「何があったかって、えーと、そうだ、鏡があった」警部は桐生が寝ぐせを直す姿を思い出した。
「自分の姿を確認するには鏡ほど適したものはありません。このエレベーターに乗って、鏡で自分の様子を見ることができた野口さんが自分が後ろ前であるのに気づいて着替えなおしたんです。着替えなおしたんですから、彼はそれまで後ろ前だったわけで、被害者は後ろ前の人物をダイイングメッセージとして残したのですから、野口さんが犯人です」
「野口か」警部が忌々しそうに言うと、ナビの音声が『目的地周辺です』とつげた。2人の目の前に10階建て以上あると思われるマンションが現れた。警部は車を駐車場に停めた。マンションの入り口まで来て警部が、
「相棒の推理は理解したが、それじゃあ野口がやったっていう証拠がないんだよな」
「ぼくも何か証拠がないか考えてたんです。そういえば、須藤さんが、犯人と被害者は何かもめてたって言ってましたよね。あれを詳しく聞いてみましょう」そう言うと、桐生はスマホで須藤にメッセージを送った。まもなく須藤から返信があった。桐生はすぐにメッセージに目を通す。内容は要約すると、野口も瀬戸と同じように小説を書いていて、ある賞に応募したこともあるという。言い争いはなにか小説に関することのようだと書かれていた。
桐生はそのメッセージについて少し考えた後、スマホを使ってウェブ検索を始めた。桐生は、しばらく画面を眺めていたが、「うーん」とうなってから、
「イチかバチかやってみようかな」と言ってスマホをしまった。
2人は野口と表札の出ているドアの前まで来た。インターフォンを押すと、まもなく野口本人がドアごしに顔を覗かせた。警部は、桐生の推理の結果を話して聞かせた。野口は一瞬、狼狽したような表情をしたが、すぐに反論した。
「そんなのはただの状況証拠じゃないですか。オレがやったっていう物証はあるんですか?」
「野口さんの言う通り、証拠はありません。でも動機ならありました」桐生は探りを入れるような目を野口に向ける。
桐生の発言を聞いて、野口は顔がこわばった。
「ど、動機って何です?」
桐生はスマホで見た情報を話した。
「あなたは、ある新人賞に応募しましたね。そして見事に最終審査まで残った」
「それがどうかしましたか」
「もちろん、新人賞に応募することはなにも問題ではありません。その小説を本当にあなたが書いたのなら。でも、他人が書いたとなると問題ですね。たとえば瀬戸さんとか」桐生は自信たっぷりな口振りで言った。
それを聞いて、野口は歯ぎしりするようなしぐさをした。
「彼女のパソコンを調べたんですか?」
「はい、調べました」桐生はうそをついた。
野口はその場にひざから倒れ込んだ。
「瀬戸さんもオレも趣味で小説を書いてたんです。瀬戸さんは賞に応募したりとかは考えてなかったみたいだけど、オレはいくつかの賞に自分の作品を出したんです。でも一次も通らなくて。そんな時、彼女の小説を読ませてもらって面白くて、これならどこかの新人賞に応募できるんじゃないかって思ったんです。彼女にその話をしたんだけど、応募するつもりはないって言われて、その時に、これをオレの作品として出しちゃおうって考えが浮かんだんです。基本的なプロットなんかはそのままで少し表現を変えたりして応募しました。実際に応募してみると、最終まで残って、審査員特別賞の候補にもなりました。瀬戸さんはその賞のことをネットかなにかで知ったんでしょう。自分の作品が出ているってオレに詰め寄ってきました。オレは、いやあれはオレのオリジナルだって言い張ったんですけど、彼女は賞の主催者に話すって聞かなかったんです。オレはかっとなって頭を殴り、それからコンビニで買ったばかりのタオルで彼女の首をしめてしまいました。服を後ろ前に着てたっていうのは、刑事さんの言う通りです。まさかあんなことで犯行がばれるとは思わなかったな。さあ逮捕してください」
警部は野口の手に手錠をかけた。警部はマンションの入口まで野口を連れて行きながら、
「おまえがオレの部屋にへんな機械を取りつけて、オレの記憶を消すように細工したのか?」と聞いた。
野口はキョトンとした表情で警部を見つめる。
「え?それは何の話ですか?」
警部は細かく事情を話した。
「いえ、オレはそんなことはしてませんよ」
「本当か、おまえじゃないとすると誰がやるんだ」
「楠さん、それについてはぼくに考えがあるんですが…」桐生がそう言おうとした時に、警部の携帯が鳴った。K警察署からだった。電話に出た警部の顔色はみるみる青くなっていった。電話を切った警部はしばらく、放心状態で目の焦点が合っていないようだった。やがて、桐生にタブレットの電源を入れるように指示した。桐生は言われるままにした。電源を入れると、すぐに警察署からメールが届いた。文面は次の通りだった。
「無実の人間を逮捕するのは、やっぱり自分の良心が許さなかった。それに君たちがあの事件を極秘に捜査しているっていうことを小耳にはさんで、これはもう隠してはおけないと思い、これを書き記すことにした。楠くん、きみの部屋に記憶改変装置を取りつけるように指示を出したのは私だ。私はきみが引っ越すというのを聞いて、引っ越し業者の1人を買収して、装置を取り付けさせた。きみの記憶を消すという試みはうまくいった。きみはあの事件をきれいに忘れてくれた。なぜ私がそんなことをしたのか。それは事件の容疑者の中に私の甥がいたからだ。容疑者は3人いたが、誰が犯人かは分からなかった。甥が犯人かもしれないし、違うかもしれない。甥に話を聞いてみたが自分ではないという。しかし、もし私ではない者が捜査を担当したら、甥が逮捕されてしまうかもしれない。私の中に甥を守りたいという感情が現れた。当初は楠くんの担当だったが、これを私の担当にすることにして、同時に楠くんの記憶を消す必要があった。そこであの装置を使うのを思いついた。でも、きみたちは記憶改変装置の存在に気づいてしまった。そうなれば、私のやったことだというのがばれるのは時間の問題だ。それで私の方から打ち明けてしまおうと思ったのだ。これが真相だ。最後に謝罪させてくれ。すまなかった」
「成瀬さんはさっき辞表を提出したらしい」
「やっぱり成瀬さんでしたか」
「おじさんは警察を辞めたんですか?」野口が遠慮がちに聞いた。
「ああ、少し頭を整理してから、自分の罪を償うって。おまえは成瀬さんの甥っ子だったんだな」
「はい、いきなり現場にやってきた時はびっくりしました」
「成瀬さんは、おまえをかばおうとして田伏を逮捕しようとしたのか」
3人は車に乗り込みキャンパスを出ようとした。車の前に、どこかの掲示板からはがれたらしい学園祭のポスターが落ちているのが見えた。