(ケイティの視点)始動
話が進んだからには行きたいところもあるのだが、こうなるとロザリアがいないと困るのでとりあえずフィルネツィアに帰ることにした。
コルヴタール、エレノアとしばらくエーレンスに残ることになったアグネーゼから手紙を預かり、コルヴタールの転移魔術でブレンダのもとに送ってもらった。
「ただいま帰りました、ブレンダお姉様」
「おかえり、ケイティ。ターニャも目を覚ましたよ」
ブレンダは朝食中だったようで、私が現れたのは食堂だった。
「そうですか、それは良かったです。まだ離宮に?」
「ああ、マリアベーラ様がヴィーシュから来ているんだ。しばらくは離宮で暮らすことになるだろう」
「ターニャに面会はできるのですか?」
「できるぞ。今週は学校を休むと言っていたので、会うなら離宮だな」
そういえば今日は学校がある日だった。よく考えてみると先週はほとんど登校できていない。どうしようかなと考えていると、扉が大きな音を立てて開いた。
「ケイティお嬢様!」飛び込んできたのはロザリアだ。
「ただいま、ロザリア。部屋に入る時はノックをしなくてはダメよ」
「……良かった……ご無事で……」ロザリアはボロボロと泣き出した。
「心配掛けてごめんなさい。私は大丈夫です」私はハンカチをロザリアに渡しながら言った。
「はい……。もう置いていかないでください、ケイティお嬢様……」拭いても拭いても涙が止まらないようだ。
「分かりました。約束します」
まだロザリアはエグエグしているが、私の顔を見てホッとしてくれたようだ。逆にロザリアに愛想を尽かされなくて良かった。しばらくしたらかなり危険なところに一緒に行ってもらわないとならないのだし。
「ブレンダお姉様」私は振り返って、ブレンダに言う。「クラインヴァインと話をしてきました。その話をしても良いですか?」
「ああ、聞こう。今日は学校は休むしかないかな?」
「手短にお話しします」
私はエーレンスでの出来事をブレンダに話す。ロザリアとウェンディにも聞いておいて欲しいので二人も一緒だ。アグネーゼがすっかり完治したこと、コルヴタールは意外と落ち着いていたこと、でもエレノアも含めて三人はしばらくエーレンスに留まること、そしてクラインヴァインが夏までの猶予をくれたことも話した。アグネーゼからの手紙をブレンダに渡したが、同じようなことが書いてあると思う。
「クラインヴァインはそんなに話せる相手だったのか」
ブレンダが驚くのも無理はない。私もこれほど普通に話せるとは思っていなかった。だからこそ万一を考えてロザリアは置いていったのだ。
「ええ、ただし納得させられるだけの提案ができなければ、周辺国に攻め込むと言われました」
「なるほど、難題だな。どうするべきかな?」
「考えはあります」私は真剣にブレンダの目を見つめる。「でも、その前にブレンダお姉様にお聞きしたいことがあるのです」
「うん? なんだ改まって」
「ブレンダお姉様は次期王になるおつもりはありますよね?」
「次期王か……」
「はい。色々ありすぎて、あまり考えられないかもしれませんが、ブレンダお姉様しかいません」
「ケイティがそう言ってくれると素直に嬉しいよ」ブレンダは少し笑って言った。「心構えはできているつもりだ」
「良かった」私はちょっと息を吐いた。「ブレンダお姉様、私たちはこれから危険なところにも行かなくてはならないことも多いと思うのです。それは場所的な危険であったり、相手的な危険でもあるかもしれません」
「うん」
「そうした危険は、私とアグネーゼに任せてください。ブレンダお姉様はフィルネツィアにいて欲しいのです」
「……時期王として、か……」私も行くと拒否されるかもと思っていたのだが、ブレンダは意外に冷静だ。「寂しい気もするが、そうした役割が必要なことは理解できる」
ブレンダも改まって私の目を見つめる。「私がフィルネツィアにいることで、二人が安心して動けるのであれば、ここで留守を守ろう」
「ありがとうございます。フィルネツィアを、そして、ターニャをよろしくお願いします」
「分かった。それで、具体的に次に行くところは決まっているのか?」
「はい。アレクシウスをおびき出せるのか、別の世界とかやらを見てきます」
「こことも天とも違う世界か。大丈夫なのか?」
「コルヴタールとパーヴェルホルトを連れて行きます。まだ、パーヴェルホルトには話していないのですが」でも了承はしてくれると思う。
「そうか、その二人が味方になってくれるのなら、危険も少ないかもしれないな。すぐに行くつもりか?」
「いえ、準備も必要なので週末まではフィルネツィアにいます。ゼーネハイトでアグネーゼたちと合流して向かいます」
「分かった。私は私が為すべきことをしよう。ただ、情報はしっかり共有して欲しい」
「もちろんです。ありがとうございます、ブレンダお姉様」
学校は休むことにして、馬車に乗って桔梗離宮に向かう。
「ケイティお嬢様、その、別の世界というのはどういうところなのでしょう?」
「よく分からないのです。パーヴェルホルトもコルヴタールもあまり覚えていないらしく、曖昧な情報しか得れていません」
「あの二人は行ったことがあるのですね?」
「ええ、彼らが行ったり来たりすることはそれほど難しくはないそうです」
そもそも私たちがいるこの世界も、アレクシウスたちが上った天も、そして私たちが行こうとしている別の世界というのも、並列の関係であって違いはほとんどなくて、目に見えていないだけなのだという。
「曖昧でよく分からないので、一度見に行こうという話になったのです」
「……アグネーゼ様の発案ですね?」
「フフフ、彼女らしいでしょ」
実際はフィルネツィアに帰ってきた後すぐに行くつもりだったらしい。槍に貫かれて遅れたけど、彼女からすれば予定通りなのだそうだ。
「三人だけで行くより、私とロザリア、それにパーヴェルホルトも行った方が安全ですし、アレクシウスをおびき寄せるにも良い考えが浮かぶのではないかと思って一緒に行くことにしたのです」
「分かりました。全力でお守りします」
馬車が桔梗離宮に着くと、側仕えらしき女性がターニャの部屋まで案内してくれた。
「ケイティ姉様! 来てくれたのですね。この間は危険な目にあわせてしまって、申し訳ございませんでした」
部屋に入ると早々にターニャが謝罪してきた。でも、ターニャの責任でないことは最初から分かっている。
「ターニャの責任ではないでしょう? もう体は良いのですか?」
「はい、もう元気いっぱいです」いつもの笑顔だ。
部屋にはターニャのほかに、いつものルフィーナ、それに女性が一人いる。この人がマリアベーラ王妃なのだとすぐに分かった。
「マリアベーラ王妃、初めまして、ケイティ・フィルネツィアです」
「初めまして、ケイティ王女。いつもターニャのことをありがとうございます」
そう言ってマリアベーラはニコッと笑った。目元がターニャにそっくりだと思った。
「お茶を用意します」と言ってルフィーナが部屋を出た。マリアベーラに勧められて私はソファーに腰を下ろした。
「マリアベーラ様、お身体はよろしいのですか?」身体が弱くてヴィーシュから出れないと聞いていた。
「ええ、大丈夫です。ですが、ヴィーシュから魔術士が来たら、転移魔術で帰るつもりです」
マリアベーラを転移させるためにヴィーシュから魔術士が移動中らしい。最近良く利用していたので忘れかけていたが、転移魔術はそんなに簡単に使えるものではないのだ。
「週末には帰るつもりですので、またターニャをお願いしますね」
「もちろんです」と言っても私はまたフィルネツィアを出てしまうわけだが、ブレンダがいれば大丈夫だ。
ルフィーナがお茶を出してくれて、私はひと口飲んで話を続ける。
「ターニャ、ベアトリーチェとは話しましたか?」
「いえ、それが……」ちょっと困ったようにターニャが眉を寄せる。「夢の中でいくら呼びかけても出てきてくれないのです」
「そうですか……。いなくなってしまったわけではないですよね?」
「どうなのでしょう? そのあたりは良く分からないのです」
まぁ、それはそうだろう。魂が身体に宿っていると言われても、実際どこにいるのかなんて分かるはずがない。
「ターニャ、もし良ければなのですが、ターニャが眠った後に私が呼びかけてみたいのですが、どうでしょう?」私は考えていたことを提案してみた。ターニャには会いづらくても、他の人間なら接触できるかもしれない。
「なるほど、それは良い考えかもしれません。ではお願いいたします。できれば、なぜコルヴタールを撃ったのか、聞いてほしいのです」
「そうですね。あの場でコルヴタールを封印しても意味がありませんよね」
「そうなんです。そもそも槍を撃つかどうかは私に任されていたはずなのですけど……」
「任されていた、のですか? あの魔術はベアトリーチェのものではないのですか?」
「はい」きょとんとした顔でターニャが答えた。「あの魔術はアレクシウス様から授かったものなのです」
「そうだったのですね」
ヴィーシュでの祈りの際にアレクシウスを見たとは聞いていたが、その後もアレクシウスに会っていたとは思わなかった。
「あっ!」ターニャが素っ頓狂な声を上げた。「そういえば、魔術のことは内緒にしなさいとアレクシウス様に言われていたのでした……」
「内緒と言っても、もうベアトリーチェが使ってしまったのですから、大丈夫ではありませんか?」
「そうですよね」ちょっとホッとしたようにはにかむターニャ。
「アレクシウスとは夢の中で会ったのですか?」
「はい。いつもはモヤの中でベアトリーチェと会っているのですが、ベアトリーチェに連れられてアレクシウス様にお会いしました」
「どのようなところでしたか?」
「どのような……、草原みたいなところでした。見たことのない花も咲いていました。ベアトリーチェはたしか、こことは違う世界だと言っていました」
草原だとすれば、ここと似たような世界なのかもしれない。それはともかく、ベアトリーチェが別の世界に移動できるのだとすれば、すでにターニャの中にはいない可能性もありそうだ。
「分かりました。では、ひとまずお暇して、また夜に参りますね。マリアベーラ様、お騒がせして申し訳ございません」
「良いのですよ」
「そうだ、ケイティ姉様。もしよければ夕食をこちらで食べませんか? ヴィーシュ料理をご用意しますので」
「ええ、ではご相伴にあずかります」ターニャのキラキラした目を見ては断れない。
夕食前にまた来ることを約束して、私とロザリアは桔梗離宮を後にした。
ブレンダは次期王になる心構えができています。




