(アグネーゼの視点)猶予
ケイティがやってきて二日が経過し、私の体はもうほとんど良くなった。ベッドに起き上がっても痛みを感じることもない。私の体を案じてか、ケイティはこれからどうする的な話を全然振ってこなかったけど、そろそろ真剣に話をすべき時だろう。
「ケイティ姉上、この辺でいったん状況を整理した方が良いんじゃないかと思うんだけど、どうかな?」
「そうですね」ケイティは読んでいた本をテーブルに置くと、私のほうに向き直った。「もう体の方はすっかり大丈夫なようですね」
「ええ、もう万全よ」
コルヴタールはエレノアとエーレンス見物に出掛けていて、部屋には私とケイティしかいない。ちなみにコルヴタールもエレノアも、魔術で別人のように変装して、しかも魔術士団長レナータの屋敷の使用人として出かけたので、問題が起きることはないだろう。
「まず、クラインヴァインについてね」最大のポイントだ。「傲慢で怒りっぽくて、嫉妬深い魔女、というベアトリーチェの評価は正しくないようね」
「冷静でとても賢い、という部分は正しいとも言えますね。でも、ベアトリーチェとヴィットリーオが私たちに植え付けたイメージは、アレクシウスに都合の良いイメージなのだと思います」
「うん。善悪はさておき、クラインヴァインとアレクシウスがお互いに憎み合っているとすれば、片方からの見え方だけで判断したのは私たちの間違いだったわ」
とにかくクラインヴァインを封印しなければいけない、という考えの基盤がすでに正しくなかったのだ。
「でも、クラインヴァインは人間を滅ぼすとたしかに言った。私たちがそう考えるのも無理はなかったと思うわ」
「理由を考えるべきでしたね。私たちは少し浅慮だったと思います。……これは私情ですが、人間を道具にするアレクシウスに私は賛成できません」
聖堂と繋がりが深いケイティからすれば、こんな身勝手な神は許せないということだろう。信仰心のない私には分からない感情だが、理解はできる。
「でも、私たちはアレクシウスに選ばれてしまったわ。私たちがやらないなら、クラインヴァインはいずれ、アレクシウスの道具である人間を滅ぼすでしょう」
「私は一昨日クラインヴァインと初めて会ったのですが、彼女とは話し合えるのではないですか?」
「それは私もそう思うわ。でも、どう話すかは慎重に考えないとダメね」
ただ話しても解決にはならない。クラインヴァインを納得させる提案が必要だ。
「それが、先日アグネーゼが言っていた案なのですね。一対一で戦わせると」
「うん。クラインヴァインにもメリットはあると思うの。人間を滅ぼすだけでは、クラインヴァインにとって対処療法に過ぎないわ。アレクシウスをなんとかできるのであれば、原因を絶つこともできるし」
「でもヴィットリーオは、アレクシウスは罠に掛からないだろうと言っていました。方法が難しいのではないですか?」
「そこが問題なのよねぇ」天、つまりこことは別の世界がどのようなところなのかをよく知らないと作戦の立てようがない。
「ヴィットリーオは、五人とも天に上った方が良いと言っていました」
「五人とも? たしかにそれなら人間は迷惑を被らないけど、それこそそんなことできるのかな?」
「ヴィットリーオと話すことも必要ですね。ただし、彼が本音で話してくれるかどうかが問題ですけど」
ヴィットリーオは極めて本音の見えにくいタイプなので、話してもかえって混乱するだけのような気もする。
「それから、私たち姉妹にとって一番の問題はターニャです」
「……そうね」
「このままではアグネーゼもフィルネツィアに帰れませんよね」
もうコルヴタールとターニャ、いやベアトリーチェを会わせるわけにはいかない。
コルヴタールをここに置いて帰る手もあるが、できれば手の内に入れておきたい。
「フフフ、そうは言っても、コルちゃんのことをずいぶん気に入っているのですね」ケイティにはお見通しのようだ。
「本当に良い子なのよ。裏表もないし、思いやりもあるし。ヴィットリーオも少しは見習ってほしいわ」
別れ難いのは事実だが、私はいつまでもエーレンスに留まっているわけにはいかない。本当にどうしたものか。
「あまり気分の良い話ではありませんが、クラインヴァインとの話がまとまれば、ベアトリーチェを封印してしまうのも手ですね」
「そうね……」
ケイティはクラインヴァインから封印の魔術を教えてもらったそうだ。たしかにベアトリーチェを封印すれば、ターニャとコルヴタールが会っても問題はない。
「でも、ベアトリーチェの力を失うのはあまり得策とは言えない気がするのよね」
「封印して厳重に保管しておけば、万一の時には私たちでも使えるのではないですか?」
魔導書に封じられたベアトリーチェの力を使った母のことを思い出す。あのような悲劇は二度と見たくない。
「ごめんなさい、嫌なことを思い出させてしまったかしら」俯く私を気遣ってケイティが言う。「でも、私たちさえ気持ちを強く、正しく持っていれば大丈夫なのだと思いますよ」
「うん。ありがとう」
ちょっと話が煮詰まったようだ。ここはブレンダやターニャの意見も聞きたいところだが、今は四姉妹が集まることも難しい状況だ。
ケイティも何やら考え込んでいて、二人で思考の海に沈んでいると、扉を開いてクラインヴァインが入ってきた。
「ずいぶん暗いのね。何か悩みごと?」
「悩みごとばかりね」
悩んでいないことの方が少ないくらいだ。クラインヴァインはベッドの側の椅子に腰掛けた。
「どうするのかは決まったの?」
「いいえ、決まりません」ケイティが答えた。
「では、参考までに私の話をしましょうか」
クラインヴァインは静かに話し始めた。
「色々考えているようだけど、話はとても簡単なのよ。アレクシウスは私が憎い、私もアレクシウスが憎い。だから、戦うしかないの。そして、アレクシウスが人間を使って私たちを封じようというなら、私は人間と戦うしかない」
「なら、人間すべてではなくて、アレクシウスに選ばれた私たちとだけ戦えばいいんじゃないの?」できれば戦いたくはないけど。
「あなたたちを倒しても、また別の人間が選ばれるだけだわ。切りがないでしよ」
ケイティの表情が一段と沈んだように見える。
「なら、直接戦えば良いんじゃないの? 回りくどくなくてシンプルだわ」
「それができればね」
「天には上れないの?」
「あの世界はアレクシウスのフィールドよ。封印されに行くようなものだわ」フッと苦笑してクラインヴァインは言葉を続ける。「それに、あっちで封印されたらもう二度と出れないわ。人間の世界なら今回のようなイレギュラーで封印が解けることはあり得るけど、アレクシウスは人間のように死なないからね」
なるほど、たしかにそうだ。それこそアレクシウスの思う壺だ。ヴィットリーオが五人で天に上った方が良いと言ったのは、アレクシウスの罠ではないだろうか? ケイティの方を見ると彼女もそう思ったようで目があった。ならば、別の世界ならどうなのだろうか? 考えはまとまり切っていないが、話すなら今しかない。
「別の世界はいくつもあるんでしょ? そのどこかにアレクシウスをおびき寄せられれば話は違ってこない?」
「アレクシウスも知らない場所なら五分五分ね。でも、あのアレクシウスが罠に掛かるとは思えないわ」
「私たちが動けば、やりようはありませんか?」ケイティが意を決したように言う。「アレクシウスは人間を道具くらいにしか思っていないのでしょう? であれば、私たちの行動には油断しませんか?」
ケイティの言葉にクラインヴァインは少し考え込んだ。「たしかに、アレクシウスは人間が動いても気には止めないでしょう。でも、だからといって罠に掛かるかどうかは別ね。とても用心深い奴なのよ」
「クラインヴァイン」ケイティが居住まいを正してクラインヴァインに向き合った。「お願いがあるのです。少し時間をもらえませんか? あなたにとって悪くない提案を必ず考えてみせます」
「あら? 私を封印するのではないの?」クラインヴァインがちょっと意地悪そうな目をして笑った。
「そのつもりでした。でも今はそれが最善とは思っていません」
「なるほど」と言って、クラインヴァインは私のほうを向いた。「アグネーゼはどう思うの?」
「あなたを封印すれば、ひとまずこの騒ぎは終わると思うけど、でもそれはあんまり後味の良い話じゃないわね。それに、あなたは簡単には封印させてくれないでしょ?」
「フフフ、それはそうね」
クラインヴァインは席を立って、私たちの方を見た。「いいわ、少しだけ待ってあげる。でもそれは私がエーレンスの王妃になるまでよ。私が王妃になったらエーレンスはフィルネツィア以外の周辺国に戦争を仕掛けるわ。滅びの始まりってやつね」
あと三カ月弱というわけか。それまでに誰もが納得できる策を考え出さねば。
少しだけ猶予ができました。




