(ターニャの視点)アレクシウスと私
「国王陛下とブレンダ姉様が無事戻って良かったですね」
「ええ、本当に」ルフィーナがお茶をいれてくれながら言った。「クラインヴァインとの接触はなかったのでしょうか?」
「どうでしょう?」私はちょっと首を傾げた。「何も仰らないということは、何もなかったのではないでしょうか。ヴィットリーオはどう思いますか?」
「葬儀の間はおそらくクラインヴァインも第一王子の婚約者として忙しかったのではないですか」
「そう思います」
ともかく無事戻って良かったと思う。襲撃があって、その後にクラインヴァインが何か仕掛けてきたのなら、何ごともなく戻れたか分からないだろう。
「あとは、アグネーゼ姉様の帰国を待つだけです」
「来週からは女学校が始まりますよ。予習しなくてはならない教科もあります」気を抜く私をルフィーナは見逃さなかった。
「うっ……」
来週からは、礼儀作法の実技が始まる。私がもっとも苦手とするところだ。その上、ルチアからは、王族が礼儀作法を知らないでどうしますか、と言われていて、ばっちり予習を見てくれることになっている。
「私だけ叱られるのは嫌なので、一日も早くアグネーゼ姉様に帰ってきて欲しいです」
「アグネーゼ様はしっかり礼儀作法をご存じですから、ルチアに叱られるのはターニャ様だけだと思いますが」
「うぅ」
たしかに、あのように見えてアグネーゼは礼儀作法やマナーなどもしっかり分かっている。子供の頃から教えられているからと言っていたけど、見かけによらないものである。
ブレンダも戻ったので、今日は三人で夕食をとった。夕食の席でもブレンダはとくにクラインヴァインの話をしなかったので、実際何もなかったのだろう。
夕食後は本を読んだりして過ごし、教会の鐘が夜九時を告げたので寝ることにした。「おやすみなさいませ、ターニャ様」と言ってルフィーナとヴィットリーオが下がり、私はすぐに眠りに落ちた。
私は白いモヤの中にいた。これはベアトリーチェが出てくるなと思ったら、案の上、モヤの向こうから金色の瞳の少女が現れた。
「こんにちは、ではなくて、こんばんわ、ベアトリーチェ」
「こんばんわ、ターニャ」
初めて会った時から何度かこうして夢の中で会っているけど、その姿は相変わらず少女のようだ。だが、纏っているオーラのようなものが、目に見えて大きくなっているような気がする。
「もしかして、ずいぶんと魔力が回復したのではありませんか?」
「分かる?」ベアトリーチェは微笑んだ。「もうクラインヴァインを封印できるくらいには魔力が戻ってきたわよ」
「それは良いニュースですね」
これならば、いつクラインヴァインと対峙しても大丈夫そうだ。早く封印して、普通の生活に戻りたいなと思っていると、ベアトリーチェが側までやってきて、私の手を取った。「今日はこれから案内したいところがあるのよ」
「案内ですか?」
「ええ、目を閉じてね」
ベアトリーチェはそう言うと私の手を取ったまま、空に浮かび始めた。空と言ってもそもそもモヤが掛かっていてよく見えないわけだが、浮いている感じはある。
「どこに行くのですか?」
「眩しいので目を閉じてね」再度私に目を閉じるように促すと、今度はすごい勢いで上昇し始め、それとともに眩しくて目を開けていられなくなってきた。
「わっ!」
「大丈夫、すぐ着くから」
さらに速度を上げたように感じたのも束の間、急にふわっと減速して、まぶしさも収まってきた。ふんわりと地面に足が着いた感触を得た私は目を開けた。
「ここはどこですか?」
見渡す限り広い草原のようなところに私とベアトリーチェは立っていた。あまりフィルネツィアでは見たこともない綺麗な花も咲いている。
「ここは、私たちが暮らしている世界とは違う世界よ」
「違う世界?」
「そう、別の世界」
あまり詳しく説明してくれるつもりはないみたいだけど、どうせ説明されても良く分からないに違いないので深くは聞かないことにする。でも、私をここに連れてきた理由があるはずだ。
「どうして私をここに?」
「もうすぐ来るわ」とベアトリーチェが言うと、目の前の空間がゆがんだように見えた。そして、そのゆがんだ空間から一人の女性が現れた。見覚えがある。ヴィーシュでのお祈りの時に私の頭の中に出てきた女神アレクシウスだ。
「ターニャよ、よく来ました」アレクシウスは微笑みをたたえながら私に話しかけた。
「女神アレクシウス様、なのですか?」
「そう、私がアレクシウスです」
私は咄嗟に跪こうと身をかがめようとしたが、それをアレクシウスが手で制した。
「礼は必要ありません。私が無理に呼んだのです。ベアトリーチェもご苦労でした」アレクシウスの言葉にベアトリーチェが頷いた。
「私に何か御用なのですか?」私は顔を上げてアレクシウスに尋ねた。
「ええ、間もなくフィルネツィアにクラインヴァインの仲間がやってきます」
「仲間? アグネーゼ姉様の手紙にあった、コルヴタールのことですか?」
「そうです。彼女はクラインヴァインととても親しく、今回もクラインヴァインを助け、人間を滅ぼす手伝いをするでしょう」
「そんな……、アグネーゼ姉様は無事なのですか?」
「今はまだ無事です。彼女はもうすぐフィルネツィアにやってきて、あなた方を惑わすでしょう」
「惑わす?」
「そうです」アレクシウスは眉を曇らせ、言葉を続ける。「彼女は人を騙す天性の才があるのです。話す者を信じさせ、味方に付けるのです」
「そうなのですか」そう言われてもよく分からない。
「話を聞いてみれば分かるでしょう。ですが、あなたは騙されてはなりません。ベアトリーチェを宿すあなたは、クラインヴァインを封印する鍵なのです」
騙されるなと言われても、私は自信がない。王都に行く前に、お爺さまとお母さまから「ターニャは騙されやすいから気を付けなさい」と何度も言われたことを思い出した。
「フフ、大丈夫ですよ。あなたには、この槍を授けましょう」アレクシウスがそう言うと、彼女の目の前に一本の槍を出現させた。木でできた、何の変哲もない槍に見える。
「槍……ですか? 私には使えないと思うのですが……」
「もちろんあなたに槍を振るえとは言いません」アレクシウスが少し手を動かしたかと思うと、槍の横に魔術陣を出した。「あなたにこの魔術を教えます。この魔術を唱えれば、コルヴタールを封じるこの槍を撃ち出すことができます」
ずいぶん物騒なものだなぁと思いつつも、そんな便利な魔術があるのならもっと使い道があるではないか。「それならば、これでクラインヴァインを封じられるのではないですか?」
「いえ、クラインヴァインには通じません。彼女は用心深く、常に結界を張っていますから、攻撃も魔術も通じないのです」
そうだったのか。でもコルヴタールには通じるのだろうか。
「大丈夫。コルヴタールは結界を張りません。そうですね、ベアトリーチェ?」
「はい」私の横でベアトリーチェが頷いた。「コルヴタールはクラインヴァインとは正反対で、常に油断していますから」
なるほど。では具体的にどうするのが良いのだろうか。やっぱり戻ったらルフィーナに相談しないといけないなと考えていると、その考えを遮ってアレクシウスが言った。
「他の者に明かしてはなりません。三日後の朝、コルヴタールは王都に到着します。そうしたらコルヴタールと話をしてごらんなさい。彼女の目に惹き込まれるとあなたが感じたら、その時はこの魔術を使うのです」
「なるほど」判断は私に任せてくれるのか。なんとなく安心した。
アレクシウスは目を細め、微笑みを深めて私に言った。「ターニャ、あなたが世界を救うのです。一時の感情に流され、それを忘れてはいけません。あなたが機会だと思ったら、必ず撃つのです。私もベアトリーチェも必ずあなたを守りますから」
アレクシウスが目の前から消えたと思うと、周りにモヤが立ちこめ始め、あっという間に何も見えなくなった。「おやすみ、ターニャ。もうすぐよ。もうすぐ平和が戻ってくるわ」というベアトリーチェの声を聞きながら私は眠りについた。
アレクシウスと会いました。
もうすぐ平和は戻ってくるのでしょうか?




