(ブレンダの視点)奇異な運命の女神
昨夜は早めに床に就いたはずなのだが、なかなか寝付けず、なんだか寝不足なような気がする。
「おはようございます、ブレンダ様」
「おはよう、ウェンディ」
ウェンディが入れてくれたお茶を飲みながら、今日すべきことを思い起こす。午前中にはケイティとターニャがやってきて、今後の打ち合わせだ。とはいっても、昨日一昨日のうちに国王陛下と話をしてあって、その話を二人に伝えるのが主な目的だ。午後にはガブリエラが転移魔術で戻ってくることになっているので、その受け入れと、国王陛下を交えた会議だ。
「使いの者はアグネーゼに追い付いただろうか?」
「どうでしょう? 馬を飛ばしてもそう簡単には追い付かない距離ですね」
エーレンス王死去のニュースが飛び込んできてすぐにアグネーゼに使者を送ったのだが、ウェンディの言う通り、まだ追い付いていないはいないだろう。事態が動きそうなので一刻も早くアグネーゼには戻って欲しいところだ。
「ネーフェはエーレンス王が亡くなられた情報をすでに掴んでいるでしょうから、遅くともネーフェ王にお会いすれば、アグネーゼ様にも伝わるでしょう」
「そうだな……」
だが、ベルタでその報を聞いて、それからフィルネツィアに戻るとなると、そこから三泊、縮めても二泊は掛かる。三日後には国王陛下と私はエーレンスの首都ラインラントに向けて出発するので、入れ違いになる可能性もある。
「ケイティとターニャのように転移魔術で戻れると良いのだけど、そういうわけにもいかないだろうな」
「そうですね」
いかにアグネーゼがネーフェ王の孫とは言っても、さすがに転移魔術で送ってくれるようなことはないだろう。そこまで期待するのは無理だ。
「待つしかないな」
なんにしても、待つしかないのが歯がゆいところだ。
「ブレンダ姉様、ヴィーシュのお土産です」
ターニャが持ってきてくれたのは、りんごの入ったクッキーのようなお菓子だった。ヴィーシュの名物らしい。さっくりとした食感が珍しくて美味しかった。
「久しぶりのヴィーシュはどうだった?」
「楽しかったですよ。もうちょっとゆっくりできればさらに良かったのですけど」私の問いに少し残念そうな表情を浮かべるターニャ。たった二泊で王都に帰されたことが不満のようだが、こればかりは仕方ない。
「ケイティはどうだった? お祈りは無事済んだか?」
「無事……とは言えないかもしれませんが、とりあえず終わりました」思わせぶりにターニャを見ながら微笑むケイティ。
「何かあったのか?」
「何かと言うほどのことでは……」ちょっと戸惑ったような顔でターニャが続ける。「お祈りをしたら、女神様に会ったのです」
「女神?」私はマジマジとターニャを見つめた。どうやら冗談ではないようだ。
「ええ、祈ったら頭の中に現れたのです。加護の女神様だそうです」
「そうなのか? ケイティ」私はケイティに確認する。
「私は見られなかったのですが、ターニャには見えたようですね。加護の女神アレクシウスだそうですよ」
「なるほど……」
その時、私の頭に浮かんだのは、ある言葉だった。私はターニャの後ろで控えているヴィットリーオに尋ねてみることにした。
「ヴィットリーオ、ダンジョンでアグネーゼに言ったことを覚えているか? 私たちが奇異な運命の女神に魅入られていると言ったそうだが、女神とはもしかしてそのアレクシウスのことなのか?」
「ほう」ヴィットリーオが意外だと言いたそうに微笑んだ。「よく覚えてらっしゃいますね」
「このおかしな状況もその女神のせいなのか?」
「正確には少し違いますね」ヴィットリーオは言葉を選ぶように話を続ける。「アレクシウスとクラインヴァインは地上にいた頃から、よく衝突していました」
「衝突?」
「はい、考え方が正反対でしたので。そもそもクラインヴァインが天に上らなかったのも、アレクシウスが上るからという理由でした」
いわゆる犬猿の仲ということか。私は頷いて、ヴィットリーオに先を促す。
「そして、クラインヴァインが人間を滅ぼしかけたときにも、アレクシウスは天からベアトリーチェに力を貸し、我らを封印させたのです」
「なるほど」ただの人間であるベアトリーチェが五人の悪魔を封印できたのはそういう理由だったのか。
「それで、奇異な運命とは?」
「あなた方四姉妹はアレクシウスに選ばれたのです。目を見れば分かります。四人とも金色の瞳の奥に神の力を宿しています」
「神の力?」そのようなものがあるのだろうか? ケイティとターニャも疑わしそうにヴィットリーオの話の続きを待っている。
「そうです。加護の力を得ているのです。気付きませんでしたか? その力がなければ、ベアトリーチェの魔導書の力を得た者を倒すことはできません」
「……」エヴェリーナの件を思い出すと今でも心が痛む。
「それに今回の件にしても、上手く進みすぎていると感じませんか?」
「上手く……、まさかアレクシウスのシナリオ通りに進まされている、ということか?」
「いえ、そうではありません。アレクシウスの加護は運命を好転させるのです」
「たしかに今のところ上手く進んでいるとは思うけど……」
クラインヴァインの動きが見えないところはあるが、対策も進んでいるし、このままいけば上手く封印までいけるのではないかと思っている。言うほど幸運とは思えないが、たしかに上手く進んでいる。
「もちろん、皆さんの努力の成果でもあるのですが、アレクシウスから与えられた幸運もあるのです」
「なるほど。アレクシウスは幸運の女神でもあるわけだな。それだけなら奇異とは言えまい?」
ヴィットリーオの返事を待っていると、ターニャが話に割り込んできた。「もしかして、私が魔導書を見付けたのもアレクシウスの力なのですか?」振り返ってヴィットリーオを見つめる目がうっすらと怒りに燃えているように見える。
「……そこまでは分かりません。ただ、ターニャ様が祠の魔導書を見つけてしまったことはおそらく偶然でしょう。そしてエヴェリーナが魔導書の力を望んだのは本人の意志でしょう。女神もそこまでは操れません」
「そうですか」ターニャの目から怒りの色が消えたようだ。良かった。アグネーゼの母であるエヴェリーナを倒さなくてはならなかったことを、ターニャは今でも苦々しい記憶としているようだ。それが女神のシナリオだったとしたら、ターニャがどんなに怒るか想像に難くない。
「そして、ベアトリーチェの封印が消えたこと、ベアトリーチェがターニャ様に宿ったことまでは自然な流れでしょう。ですが、そこからクラインヴァインの暴走を止める流れは、アレクシウスが望んでいることです。その運命に巻き込まれていることを奇異と申したのです」ヴィットリーオは肩をすくめた。「私も巻き込まれてしまいましたが」
「そうか、分かったような分からないような話だな。聞いておいて悪いが、幸運が付いているのであれば、それは私たちには言わない方が良かったのではないか?」
「そうですね。ですが、上手くいきすぎると足元をすくわれるものです。アレクシウスの力だけではクラインヴァインを止めることはできません。皆さんとその周囲の力が不可欠です」
「……そうだな」
気を引き締めるべきだとヴィットリーオは言いたいのだろう。たしかに少し楽観的になっているところもあった。姉妹の気持ちを引き締めて、慎重に対処していくよう導くのは私の役割だ。
エーレンスの第一王子とクラインヴァインの婚姻の儀が行われるであろう夏には、すべての片を付けなくてはならない。気持ちを新たに進んでいこう。
アグネーゼはまだネーフェにいますが、いったん王都のブレンダです。
次回はまたアグネーゼ視点になります。




