(ケイティの視点)ヴィーシュでのターニャ
ヴィーシュに向かうのは、私とターニャ、ルフィーナ、ロザリア、それにヴィットリーオも一緒だ。もっとも、ヴィットリーオはあまり表に出たくないということなので、猫になって、ルフィーナが持つバスケットに入っている。
「では、よろしくお願いします」とターニャが声を掛けると、私たちを取り囲んでいる魔術士たちが一斉に祈りを始める。
私たちの足下に魔術陣が現れ、光を帯び始めた。転移魔術だ。眩しい光に覆われたかと思うと、視界が急激に暗くなり、気が遠くなりかける。ギュッと目を瞑っていると、だんだんと閉じた瞼に光を感じ始めた。目を開くと、天井の高い広間に私たちはいた。目の前には、恰幅の良い男性の周りにたくさんの騎士やら側仕えやら、三十人ばかりはいるだろうか、みな目を輝かせてこちらを見ている。
「着きましたね」とルフィーナがヴィーシュへの到着を告げると、ヴィーシュ侯を中心とした出迎えの人々が口々に歓声を上げた。
「お爺さま、お母さま、ただいま帰りました」とターニャが礼をした。いつぞやはヴィーシュ侯に飛び付く姿を見たが、今日のターニャはずいぶんと落ち着いているようだ。
「うむ、お帰り、ターニャ」
「お帰りなさい、ターニャ」
ヴィーシュ侯は以前、王宮で見掛けたことがあるが、その隣に立つ女性は初めて見た。挨拶を交わしているところを見ると、ターニャの母、第四王妃マリアベーラなのだろう。
「お爺さま、お母さま、こちらが私の大切な姉上、ケイティ姉様です」とターニャが私を二人に紹介した。
「ケイティです。お世話になります」
「うむ、お務めご苦労様です、ケイティ王女。教会は明日お越しいただけるよう、準備を整えております」
「ありがとうございます、ヴィーシュ侯。お手数をお掛けします」
「ようこそヴィーシュへ、はじめまして、ケイティ様。何もないところですが、ヴィーシュにいる間は心安らかにお過ごしください」続いてマリアベーラが私に声を掛けた。
「ありがとうございます、初めてお目に掛かります、マリアベーラ様」
マリアベーラは体が弱いと聞いていたが、顔が少し上気して、健康そうに見える。久しぶりに娘に会えることで、少し興奮しているのかもしれない。
「立ち話もなんですので、まずはお部屋まで。荷物はお運びします」とヴィーシュ侯が言うと、周りにいた側仕えたちが、私たちの荷物を運び始めた。
ヴィーシュ侯とマリアベーラを先頭に、私たちもその後を付いていく。私の隣でターニャは、はち切れんばかりの笑顔だ。ヴィーシュに帰ったことがとてつもなく嬉しいのだろう。
「ターニャ」私は小さい声でターニャの耳元に呼びかけた。「私たちの目を気にせず、ヴィーシュ侯やお母さまに飛び付いても良いのですよ」
「うっ……。そんなことはしません」顔を赤くして、ちょっと頬を膨らませるターニャ。「私は成長した姿をお母さまとお爺さまに見せるのです」
転移した先はヴィーシュの城の中だったようで、広間を抜けて少し歩くと、間もなく居間に着いた。王宮や聖堂には荘厳さや重厚さを強調した装飾が多いけど、ここはもっとシンプルで、素朴な飾りっ気の無さに心が安らぐ。
「王都に比べるとヴィーシュは寒いでしょう」ヴィーシュ侯が私にお茶を勧める。「温かいお茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
ヴィーシュは王都の東に位置する。山が多く、標高の高いところに町があるため、王都よりも気温が低い。
「ようやく雪が解け、草木も芽吹いてきたところですのよ」マリアベーラがにこやかに微笑む。優しそうな目がターニャによく似ていると思った。
「この後、色々とご案内しますよ」とターニャ。
「うん、町も見ていただくといい。みなで守ってきた、自慢の町です」そう言ってヴィーシュ侯は微笑んだ。
みなで守ってきた、というヴィーシュ侯の言葉にヴィーシュの特徴が良く表れているのだろうと思う。フィルネツィア王国に属してはいるものの、守ってもらっているという意識はない。自らの力で土地を守ってきた自負の高さこそがヴィーシュの気質だ。神にすがらない、というのもそうした面が影響しているのだと思う。
「その前に、ターニャ。王都では色々と事が起きている様子ですが、大丈夫なのですか?」マリアベーラがターニャに問いかけた。
「大丈夫です、お母さま。なにか噂話でも耳にされたのですか?」
「大昔の悪魔が復活した、とか耳にしましたよ」と言ってマリアベーラがターニャの足下で丸まっている猫をちらっと見たような気がした。もしかしてすべて知っているのだろうか?
「えっ、そんな話が……」とターニャが言いにくそうに言葉を止めてしまったので、私が話を引き取る。
「マリアベーラ様、その話は半分本当ですが、もう半分は正しくありません。詳しくは王命によりお話しできませんが、ターニャのことは私たち姉妹が必ず守ります」と言って私は微笑む。これ以上は話せませんという目をしたつもりなので、マリアベーラにも伝わっただろう。
悪魔が復活したのは本当だ。だが、その悪魔は一般的にイメージされるような者ばかりではなかった。だから半分本当で半分は違うと言ったけど、嘘ではない。
「エヴェリーナの件もありましたので、ヴィーシュではみなターニャのことを心配しているのです」ヴィーシュ侯は心配そうにターニャを見た。
「あの時も戦いの場に出たと聞きました。そういうヤンチャなところが抜けない娘なので……」
「もう、やめてくださいませ、お母さま。もう私は子供ではありません」母の言葉にターニャはかぶりを振った。
たしかに見た目は四姉妹で飛び抜けて幼いけど、行動が幼いということはない。ブレンダやアグネーゼよりも落ち着いているくらいだ。ヴィーシュが絡まなければ、だけど。
「大丈夫ですよ、マリアベーラ様。私たちもいますし、何よりターニャにはルフィーナが常に付いているではありませんか」私の言葉にターニャの後ろで控えているルフィーナが少し頷いた。
「そうですね。ターニャ、どんな時もルフィーナを側から離してはいけませんよ。ルフィーナも、くれぐれもターニャのことを頼みますね」
「お任せ下さい」ルフィーナが頷いた。ターニャは子供扱いされてちょっと頬を膨らませたが、しぶしぶ頷いた。
「ヴィーシュのお城です。王宮に比べれば小さいですけど、頑丈な石造りで、どんな敵が来ても大丈夫ですよ」ターニャが城を見上げながら私に説明する。
城を出た私たちは、町の中央通りと言えそうな通りを下っていく。両側にはさまざまな店があって、なかなか活気もある。
通りをしばらく進むと大きな広場に出た。中央には大きな噴水もあって、多くの人々が思い思いに寛いでいるようだ。
「中央広場です。夏になると噴水で子供たちが水遊びをする姿も見られますが、まだ飛び込むには寒いですね」
「ターニャも飛び込んだりしていたのですか?」
「はい、夏には毎日のようにずぶ濡れになって、マリアベーラ様に叱られていました」ターニャが何か返事をしかけたが、それを制するようにルフィーナが答えた。
「ルフィーナったら!」ターニャは頬を染めて膨らませだ。
友人たちと毎日遊び回っていた、という話を聞いた記憶がある。私は友人がいたことがないのでよく分からないけど、楽しく過ごしていたのだろうと想像はできる。
「あ、姫様だ!」
「ターニャ姫様だ!」
噴水の周りにいた幼い子供たちが一斉にターニャの方に駆け寄ってきた。「姫様、帰ってきたの?」「都はどうだった?」と口々に聞きながら、ターニャに飛びついてくる。
「元気だよ。みんなも元気そうだね」笑顔で応えるターニャ。とても嬉しそうな表情だ。
子供たちが集まってきたことで、周りの大人たちもターニャに気付いたようで、私たちの周りは人だかりになってしまった。
「ターニャ様はとても人気があるのですね」多くの笑顔に囲まれているターニャを見ながらロザリアが言った。
「そうですね。ちょっと羨ましいですね」
「ケイティお嬢様も聖堂の幼子たちには大人気ではありませんか」
たしかに私が聖堂の幼子舎に行くと子供たちが駆け寄ってくるけど、あれはお菓子目当てで、慕われているのとはちょっと違うと思う。まぁ、良いのですけど。
その後はターニャに色々な施設を案内してもらった。どの建物も王都とは異なり、石造りやレンガ造りで、冬の寒さが厳しいことをうかがわせた。
「そういえば、教会を見ていませんね? もしかして町中には無いのですか?」私はターニャに聞いてみた。
「ちょっと外れたところなのです。明日、朝食を摂ったら一緒に行きましょう」
「ええ、お願いしますね」
ケイティとターニャがヴィーシュに来ました。
次話は明後日予定です。




