(アグネーゼの視点)旅立ち
「思い出した! アルヴァルドの槍よ!」
「――! なんですか? アグネーゼ様?」突然大声を出した私に驚くエレノア。
「ネーフェに伝わる、悪魔を封じる槍の名前よ!」思い出せたことが嬉しくてつい声が大きくなってしまっているが、嬉しいのだから仕方ない。
「そのように都合の良いものが、本当にあるのですか?」
「どうかしら?」本当にあるかは分からない。ずいぶん前におとぎ話として母から聞いただけだ。「本当にあるという保証はないわね」
だが、ベアトリーチェの魔導書やテオドーラの剣のような、おとぎ話としか思えないものも本当にあったのだ。アルヴァルドの槍があっても良いではないか。
「それに、もしあるのだとしても、今フィルネツィアとネーフェの関係はあまり良好ではありませんよね?」
エレノアの言う通りで、母の件があって、母が連れてきた側近たちは全員ネーフェに戻された。同盟の解消とまでには至っていないが、このままならそう遠くない日に断交ということになりそうな状況だ。
「エレノア、王宮に行くわよ」
「え? 王宮ですか? 国王陛下にお話しされるのですか?」エレノアは突然の私の宣言に面食らったようだ。
「うん。ちょっと思い付いたことがあるのよ」
「……なんですか?」不安げな表情を浮かべるエレノア。
「春の休暇期間にネーフェに行きましょう」
「え!?」と言って、エレノアは絶句してしまった。
「よく来た、アグネーゼ」突然の来訪にも関わらず、国王陛下は笑顔で私を迎えてくれた。「他の姉妹は一緒ではないのだな」
「はい、私とエレノアだけです。内密でご相談したいことがあるのです」と私が言うと、国王陛下は目配せして周囲の側近たちを退出させた。これで部屋には国王陛下と私、エレノアの三人だけだ。
「ネーフェのことなのです」
「……ネーフェか」国王陛下は軽く目を閉じた。
「悪魔の件で忙しい時にあまり考えたくない話題かと思いますが、このままではフィルネツィアとネーフェは遠からず断交です」
「そうだな……」もちろん国王陛下も分かってはいるだろう。
「クラインヴァインが世界を滅ぼすつもりであることが分かった今、我が国の敵はできるだけ少ないほうが良いと思います」
「……うむ」
クラインヴァインがどうやって世界中を戦争に巻き込むつもりなのかは分からないが、敵が多ければ多いほど簡単に巻き込まれてしまうだろう。周りはみな味方にしておいた方が良い。
「春の休暇期間にネーフェに行きたいと考えています」
「なに?」思いもしていなかったようで、国王陛下は目を丸くした。「アグネーゼがか?」
「はい。ただ、正式に訪問するのは時期的にも難しいと思いますので、私とエレノアの二人で行きます」
「……密使というわけか」
正式に一国の王女が他国を訪問するのであれば、人数を揃えて、入念に準備しなくてはならない。それは相手も同じで、受け入れにも準備がいる。
密使として行けば、そうした手間が省ける。国王陛下に密書、この場合は親書ということになるが、を書いてもらえば済む。
「二人で危険はないか?」
「ネーフェは治安も安定していますし、大丈夫と思います」
「……うむ、分かった」しばらく目を閉じて考えた後、国王陛下は頷いた。「では、アグネーゼ。改めて頼む。ネーフェ王に会い、事の次第を話し、これからの協力を取り付けよ」
「はい、かしこまりました」
フィルネツィアに比べればネーフェははるかに小国だ。ネーフェからすればエヴェリーナの件は想定外で、本当はフィルネツィアとは親しくしていたいはずだ。ただ、エヴェリーナ付きの側近たちが戻された以上、ネーフェから歩み寄るわけにはいかないだろう。
そこで、密使とはいえ、フィルネツィアの王女がみずから出向けばネーフェ王の顔も立つはずだ。しかも孫である私が行けば、それも友好の印となる。
「では、親書は用意しておく。何か書き添えておくことはあるか?」
「いえ、平和のために手を取り合えるよう、しっかり話をしてきます」
「うむ。……くれぐれも気を付けてな」
学校の春季休暇期間は来週から始まるので、それに合わせて行くことにし、この件については姉妹以外には内密で進めることとなった。
桔梗離宮に戻る馬車の中、エレノアが怪訝そうに私に尋ねる。「アグネーゼ様、槍の件はよろしいのですか?」
「いいのよ。あるかどうかも分からないし。行ってから考えることにするわ」
「……そうですね。あちらに行けば、以前の側近たちとも会えるでしょうから、情報も集めやすいですね」
「そういうことよ」
そして、槍のこともあるが、それ以外にも目的はある。これを機に、ネーフェが世界中に持っている情報網をなんとか使えないか、ネーフェ王に話してみるつもりだ。
情報収集や諜報能力の高さはネーフェの生命線だ。容易に他国に漏らせるものではないのは分かっている。だが、これからのことを考えれば、フィルネツィアも世界のことをもっと知る必要がある。まだ悪魔は二人しか見つかっていないのだ。
「ネーフェの諜報網をフィルネツィアでも使えるようにできると良いんだけど」
「たしかに情報は大切ですね。ヴィットリーオとクラインヴァイン以外の悪魔がどう動くかが、これから大きく影響してきそうです」
「ええ。ネーフェ行きの目的は三つよ。まず友好回復。それから槍の情報を得て、あるならば手に入れること。最後に諜報の協力を得ることね」
友好は難なく回復できるだろう。後の二つは運と、私の話に掛かっていると思う。
「出発まで一週間しかないわ。急いで準備しましょう」
学校に行きながら準備をしていると、あっという間に一週間が経ち、出発の日となった。
なんと、ターニャとケイティも同じ日にヴィーシュに向かうとのことで、一人で王都に留守番が決まったブレンダが盛大に頬を膨らませていたが、やはり他国へ向かう私のことが随分と心配なようで、朝からわざわざ見送りに来てくれた。
「充分に気を付けてな、アグネーゼ」ブレンダは馬車に乗り込んだ私に声を掛ける。「何かあったらすぐに駆け付けるからな」
「大丈夫よ、ブレンダ姉上。ありがとう。行ってきます」
馬車は南に向けて走り出した。ネーフェまでは四日ほど、国境越えの旅になる。
初めて行く母の故郷にちょっとワクワクしつつ、目的を必ず果たさなければという使命感を持って、私とエレノアは王都を後にした。
アグネーゼがネーフェに行くことになりました。




