(アグネーゼの視点)邂逅 その2
「そうでしょうね」すごく驚いたが、驚く前に彼女がフィルネツィアに現れた真意を問わなければならない。「何かご用かしら?」
「そこのおじちゃんに会いに来たのよ」クラインヴァインは笑顔でヴィットリーオを指差した。
「久しぶりだな、クラインヴァイン。隣の国にいると聞いたが、我になにか用か?」ヴィットリーオはたいして表情を変えずに言った。
「誰かお仲間がいるんだろうなと思ったのよ」クラインヴァインはここに来た理由を説明する。「私を見て、顔色を変えた魔術士がいたので、きっと私のことを話した誰かがいると思って来たわけ。この町まで来たら案の上あなたの気配がしたので、すぐに分かったわ」
会談の際にウェンディの顔色を読み取ったようだ。さすがに悪魔を前にして顔色を変えないのは難しいので、彼女を責めるわけにはいかない。
「我は我で、久しぶりの人間世界を楽しく過ごしているよ」
「まぁ、相変わらずね」クラインヴァインはクスッと笑った。「私もちょっと真似してみたんだけど、人間の世界は回りくどくて面倒ね」
「退屈を紛らわせるにはいいだろう」
「フフフ、そうね」
ただ会いに来たわけではないだろう。ここでぶつかるようなことがあれば、何ができるだろうか? ここにはケイティもウェンディもガブリエラもいない。足止めの魔術が使えるのはターニャだけだ。あれ? ターニャが起きてるということは、ベアトリーチェは出てこれないのかしら?
ここは穏便に帰ってもらうのがベストだけど……。
私がそんなことを思っていると、ヴィットリーオが核心に迫る。「で、私に会ってどうしようというのだ?」
「まぁ、そんなに急かさないで。お茶をいただけるかしら?」と言って、クラインヴァインはピョンと椅子に座った。「パンを食べたら喉が渇いちゃったわ」
エレノアが新しいカップにお茶を注いで、クラインヴァインに差し出す。その様子を見て、ヴィットリーオとターニャも席に着き直した。
「おいしいお茶ね。フィルネツィアのお茶なの?」お茶をひと飲みしてクラインヴァインが言った。
「いえ、これは南の隣国ネーフェ産のものよ」
「ネーフェか……。ちょっと遠いわね」
近ければ攻めるつもりだったのだろうか……。なんにしてもクラインヴァインの話を聞かなければならない。私はヴィットリーオを見る。ヴィットリーオは分かっているとばかりに話を切り出す。
「なぜ、幼女の姿なのだ? クラインヴァイン」どうやら遠回りに話を進めていくつもりのようだ。
「これ、かわいいでしょ? というか、エーレンス魔術士団の衣装では来れないでしょ?」
「それもそうだな。だが、回りくどくてお前らしくないな」ヴィットリーオが面白くなさそうに言う。
「あら、状況を楽しむのが面白いんだ、と言っていたのはあなたでしょう? ヴィットリーオ」
「あぁ、そういえば昔、そのようなことも言ったな」
「それで、封印が解けた時に思ったのよ。またただ暴れるだけじゃつまらないわ」クラインヴァインが幼女に似合わぬ、ニヤッとした笑いを見せる。「状況を楽しみながら、じっくり世界を滅ぼそうとね」
背筋がゾッとした。幼女の戯言ではない。本当に世界を滅ぼす力を持った悪魔の言葉なのだ。クラインヴァインは笑っているだけなのに、ここから逃げ出したくなるような恐怖を感じた。ターニャの方を見ると、彼女もちょっと俯いている。恐怖に耐えているのだろうか?
「ねぇ、ヴィットリーオ。今回は協力してとは言わないわ。あなたはあなたで楽しんでいるようですし。でもね」クラインヴァインはそこで言葉を切って、笑顔を深めて言葉を付け加えた。「私の邪魔をするなら許さないわよ」
「邪魔?」肩をすくめるヴィットリーオ。「我は我の思う通りにやるだけだ。お前こそ我の邪魔はしないでくれよ」
「そう。じゃあいいわ。フィルネツィアは最後まで残してあげる。それからのことはその時また考えましょう」
「……」ヴィットリーオは無言で少し頷いた。
クラインヴァインは椅子の上に立ち上がった。手を少し動かして何かの魔術陣を展開すると、「じゃ、私は帰るわ。お邪魔をしたわね、王女様方。おいしいお茶とパン、ご馳走様」と言って、クラインヴァインは笑顔のままその場で消え失せた。
残った私たち四人はしばらく口を開けずにいた。ヴィットリーオも何やら考え込んでいる。会話の口火を切ったのは、なぜかちょっと笑顔のターニャだった。
「かわいい幼女でしたねぇ」
「外見はね」
「あんな妹が欲しいです」
「妹はもう無理でしょ」
「では、かわいい女の子を産むことにします」と言ってターニャはお茶に口を付けた。「もう冷めちゃいましたね」
ターニャの言葉にエレノアがお茶を入れ直す。私たちの会話を聞いていたヴィットリーオが、少し呆れた表情でターニャに尋ねる。
「クラインヴァインとの初遭遇のご感想が、かわいい、ですか?」
「かわいかったでしょ?」
「人間のかわいさの基準は分かりませんが、そういうものなのですか?」
「怖さに俯いているのかと思ったけど、怖くはなかったの?」私は先ほどのターニャを思い出しながら尋ねた。
「怖くはありませんでしたよ。正視すると顔がニヤけてしまいそうだったので、俯いてました」
そんな理由だったのか……。でも今は、かわいさについて語り合っている場合ではない。
「ねぇ、ヴィットリーオ。クラインヴァインは、ただあなたに釘を刺しに来ただけなのかしら?」
「そうですね」ヴィットリーオは顎にちょっと手をやって、言葉を続ける。「他にも理由は考えられます。何かあればすぐにフィルネツィアに来られることを見せるため、というのもあるかもしれません」
「簡単に滅ぼせる、ということね」
「ええ。王都を人質に取ったようなものでしょう」
何か気に食わないことが起きれば、フィルネツィアを滅ぼすぞという意思表示の意味もあるのかもしれない。
「フィルネツィアは最後まで残すとは言っていましたが、どのみち、世界を滅ぼそうとしているのは間違いないでしょう」ヴィットリーオもお茶をひと口飲んでそう言った。
「そうね……」たしかに滅ぼすと言っていた。彼女を止められるだろうか?
「クラインヴァインに、封印される前と何か変わったところはあった?」
「魔力の強さは相変わらずでした。ターニャ様も感じたでしょう?」とヴィットリーオはターニャを見た。
「そうですね。でも、ウェンディが言っていたような、嫌な感じではありませんでしたよ。外見に騙されたのでしょうか?」と言って、ターニャは首を傾げた。
「そうかもね」私は苦笑した。「そう言えば、さっきみたいな状況で、ターニャの目が覚めているときに、ベアトリーチェを呼び出すことはできるの?」
「ええ、できます」会話を引き取ってヴィットリーオが説明する。「私がベアトリーチェを起こすことになっています。ただ、先ほどはその機ではありませんでした」
ということは、ターニャとヴィットリーオは常にセットでなければいけないのか。それで側近になったわけねと今更ながらに納得した。
「ターニャの中にベアトリーチェの魂がいることは気付かれなかったかしら?」
「まだベアトリーチェの魔力は回復途中です。気取られることはなかったでしょう。もし奴が気付いていたら、今頃ここは戦場でしたよ」
とにかく、ここで起きたことを情報共有しておく必要がある。先にエレノアに王宮に走ってもらい、私たちも向かうことにする。
「アグネーゼ姉様」立ち上がったターニャが私に呼びかけた。
「なに?」
「睡蓮の花が咲いたら、また来ましょうね」
……心が強いのか、何も考えてないのか、よく分からないけど、こんな時だからこそターニャの笑顔には救われるわ。
クラインヴァインの目的が見えてきました。




