(アグネーゼの視点)邂逅 その1
休日の朝、朝食の席でターニャから、ついにクラインヴァインが見付かったと聞いた。とりあえず、朝食後すぐに国王陛下へ報告に行くとのことなので、庭園見物は午後からにすることにした。
「眠いならまた後日でもいいわよ?」ちょっと眠そうに見えたので私はターニャに言ったが、
「いえ、大丈夫ですよ。私も庭園には興味があるのです。報告はそれほど掛からないと思いますので、待っててください」と言ってターニャはヴィットリーオを連れて王宮に向かった。ちなみに、ルフィーナは朝からケイティと聖堂に行っている。
「いよいよ、クラインヴァインとの対決も現実味を増してきましたね」エレノアの声には緊張感がある。
「見付かったとは言っても、迂闊にはこちらから手を出せないし、そんなにすぐ状況は動かないと思うわ」
他国の魔術士団長をいきなり封印したら国際問題だし、それが王子の婚約者なら戦争になってもおかしくない。短気だが賢いらしいので、そう簡単には尻尾は出さないような気がする。
「とりあえずは、テオドーラの剣も手に入ったことだし、色んなパターンを想定して、足止めから封印の訓練を続けるしかないでしょうね」
「そうですね。ルフィーナ殿が神聖魔術を使えるようになると、さらに取れる作戦が増えますね」
そんな話をしながら、庭園を見に行く準備をしつつ、ターニャが戻るのを待つ。昼過ぎには戻るだろうと思って居間でノンビリしていたら、ターニャは昼前には帰ってきた。
「おかえり、ターニャ。結構早かったのね」
「ただいま帰りました、アグネーゼ姉様。報告しただけですので、すぐですよ。後のことは、国王陛下とガブリエラやブレンダ姉様が考えると言っていました」
「じゃ、昼食を摂ったら行きましょうか」
「いえ、昼食は庭園でいただきましょう」と言って、ターニャはルチアに弁当の支度を頼む。「私もすぐ支度しますので、ちょっと待ってくださいね」
ターニャが部屋に走っていき、ヴィットリーオも支度のために部屋に下がっていった。
もともと山茶花離宮は貴族街の中にあった。取り壊すことが決まった時には分割して貴族の宅地にするなどの案もあったようだけど、せっかく緑も多いので庭園に作り替えられることになった。
睡蓮御苑と名付けたのは私だ。国王陛下から名付けて欲しいと頼まれたので、離宮の池にたくさんの睡蓮の花が咲いて綺麗だったことを思い出して名付けた。深い意味はない。
「綺麗な庭園ですねぇ」ターニャが周囲を見回しながら感嘆の声をあげた。
山茶花離宮時代の二つの池はそのままに、木々の配置が見直されて、遊歩道も造り直されている。建物は取り壊されていて、四阿がいくつか配置され、訪れた人がひと休みできるようになっている。まだ花が咲くには早い時期だが、芽吹いたばかりの緑が美しい。
できたばかりだし、休日ということもあるのだろう、結構見物客が歩いている。みな美しさに目を見張っているようだ。
「ずいぶん広い離宮だったのですね」ターニャが遊歩道を歩きながら私に尋ねる。
「そんなことはないんだけど、きっと庭園の設計者が上手なんでしょう」
「あっ! 池に睡蓮がたくさんありますね」池のほとりへ駆けていくターニャ。「花は咲いてないみたいですね」
「睡蓮の花が咲くのはもうちょっと暖かくなってからね」毎年、春の終わりくらいになると一斉に花を付けていた。
しばらく遊歩道を進むと、四阿が見えてきた。「あそこで昼食を摂りましょうか」
四本の太い柱に八角形の屋根。テーブルと長椅子があるだけの簡素な四阿だが、ちょうど目の前の池に眺望が開けていて、花が咲くと綺麗だろうと思った。
「さぁ、いただきましょう」ターニャと私、エレノア、ヴィットリーオの四人でルチアが用意してくれたお弁当をつつく。悪魔はとくに食べ物を必要としないらしいので、ヴィットリーオはお茶だけ飲んでいる。
「平和ですねぇ」ターニャが口をモグモグさせながらしみじみ言う。「悪魔がいるなんて信じられないですね」
「ここにおりますよ」ヴィットリーオがすかさず突っ込んだ。
「忘れていました」と言ってターニャは笑った。
悪魔は天に帰らなかった神、と言っていたけど、実際こうして私たちと普通に接している姿を見ると、ヴィットリーオはまったく悪魔には見えない。神にも見えないけど。
「牢の封印が解けたらすぐに大変なことになるかと思ってたけど、そんな単純なことでもなかったわね」
「封印されていたのが知能を持たない怪物なら、すぐに暴れ出しでもしたのでしょうが、我らには知恵も感情もありますので」ヴィットリーオはニヤッと笑う。「もっとも、それ故にクラインヴァインがどう動くのかを計りかねているわけですが」
「そうよねぇ」
エーレンスを掌握して戦争を始めるつもりなのかもしれない、という予想は聞いたけど、すでにエーレンスは隣国アルントと戦争状態だし、他の隣国ともあまり関係が良いとは言えない。つまり、戦争が激しくなったとしても、それがクラインヴァインの仕掛けなのかどうか分からないということだ。
「二千年経って、クラインヴァインが丸くなったということはありえないかしら?」
「さぁ、どうでしょう?」ヴィットリーオが首を捻る。「たった二千年で性格が変わることはまずないと思います」
私たちからすれば二千年は気が遠くなるような長い期間だが、永遠を生きている彼らにとっては大した長さではないのだろうか。
そんな話をしながら昼食を摂っていると、ふと隣に気配を感じた。そちらに目をやると、幼女が私の上着の端をちょこんとつまんで引っ張っている。「ねぇねぇ、お姉ちゃん」と私に呼びかける幼女。
「お、お姉ちゃん? どこから来たのかな? お母さんは?」私は幼女の方を向いて、問いかけた。
「お母さんはいないよ。ねぇねぇ、そのおいしそうなパンをちょうだい」幼女は私の服を引っ張りながら、もう片方の手でテーブルの上のパンを指差した。
私はパンをすこしちぎって、「はい、どうぞ」と、幼女にあげた。小さな女の子は嬉しそうに私の手からパンを受け取ると、ハムハムと食べ始めた。歳はまだ四歳か五歳くらいだろうか。綺麗な黒い髪で、くりっとした目の黒い瞳をキラキラさせながら、パンをおいしそうに食べている。え、黒い髪に黒い瞳……!?
ヴィットリーオはすでに気付いていたようで、幼女からターニャを隠すように立ち上がっている。エレノアも立ち上がって、腰の剣に手を掛けている。私はどうするべきか考えながら、パンを食べる幼女を見ている。予感はしているが、私は幼女に問いかけることにした。「お嬢ちゃん、お名前は?」
「わたしの名前? 知ってるでしょ?」幼女はニコッと笑って言った。「クラインヴァインだよ」
ついに出会いました。




