(ブレンダの視点)エーレンス王との会談 その1
エイナル地方はフィルネツィア王国の北側に位置する。もともと農作物の育ちにくい土地で、民も裕福ではなかった。隣国エーレンスへの街道が通っているものの、中継地としての役割は国境の町であるアルテルスが担っていて、エイナルの町に立ち寄る旅人は少ない。
そんなエイナルで内乱が起きたのは、凶作が続いたことが原因だった。ただでさえ少ない収穫がさらに少なくなり、民は窮乏に陥った。もちろん王都から援助はあったが、他の地域でも同じように凶作が続いたため、援助は充分とはいかなかった。
内乱は自然発生的に起きた。エイナルのほぼすべての民が立ち上がったと言ってもいい。エイナルの城に民衆が押し寄せて、城を占拠した。城を守っていた兵も、もともと皆エイナルの民だったので、城を守るのではなく、民衆とともに立ち上がった。
エイナルの民は王都に対して、窮乏を救うよう要望を突きつけた。できないのなら王都に攻め込むと脅しを付けて。そして、その先には悲劇しかなかった。
民衆で構成されたエイナル軍は、王都から派遣された鎮圧軍に簡単に蹴散らされた。首謀者と見なされた者は処刑され、民は武器となるものを没収された上、解散させられた。元に戻ったというより、さらに状況は悪くなったと言って良い。その年の冬、エイナルでは多くの餓死者が出たと聞いた――。
この時の父の苦悩した姿を私はよく覚えている。父だって、本当は救えるものなら救いたかったに違いない。でも、状況がそれを許さなかった。その年、凶作に襲われた土地はエイナルだけではなく、王都でさえ食料が不足していたのだ。
あれからまだ五年。王都を恨むエイナル民はまだまだ多い。だから今回の道のりも、手前のベーアシュミーデの町で一泊した上で、エイナル地方は通過して、アルテルスまで一気に行くことになっている。
ベーアシュミーデの町まで来た私たち、国王陛下一行は城に入った。連れてきた騎士団員たちの配置や不寝番の割り振りを終えると、もうすでに外は暗くなりかけていた。夕食は国王陛下と一緒に摂ることになっている。私は食堂へと急いだ。
「遅くなりました」もうすでに席に着いている国王陛下とガブリエラに詫びながら私も席に着く。
「いや、今来たばかりだ。騎士の配置は完了したか?」国王陛下が私に尋ねる。
「はい。何も問題ありません」
夕食を摂りながら、話すのは明日のことだ。いよいよエイナルを越えることになる。
「いよいよ明日ですが、いつでも防御魔術を展開できるよう隊列を組んでいますので、万一なにかあっても対処可能です」ガブリエラが言う。国王陛下の馬車を取り巻くように魔術士を配置して進み、なにかあった際にはすぐに馬車ごと守れる態勢にしているという。
「騎士団も周囲を警戒しつつ進みますので、不審な者が近づくことはありません」私も警護態勢を報告する。騎士団は周囲に偵察を出して、なにか発見したらすぐに対応できるようになっている。問題はないだろう。
「うむ」国王陛下が頷く。「明日もよろしく頼む」
食事はあまり明るい雰囲気とは言えない。一日馬車で移動した疲れもあるだろうし、明日のことを考えると浮かれている場合でもない。
「ところで、ブレンダ。例の件だが」国王陛下が私を見る。縁談の件だ。
「はい、ケイティにその気はなく、ターニャは輪を掛けてその気はないそうです」周りには騎士もいるので、私はちょっと内容をにごして報告した。国王陛下には分かると思う。
「難しそうだな?」
「はい。私も反対です」
「そうか。なんとかしよう」国王陛下は返事を分かっていたようだ。
エーレンスから申し入れられる縁談を断るのはなかなか難しいだろう。でもきっと父上なら何とかしてくれる。私はそう信じている。
翌朝早く、アルテルスへの隊列はベーアシュミーデの城を出発した。総勢百名ほどの騎士、魔術士が警戒しながらの物々しい隊列だ。町の人々も遠目で見守り、近づく者もいない。
町を出てしばらく北上を続けると、だんだん土地が荒れてきたように見える。騎士が一人馬車に近づいてきて、「まもなくエイナル地方に入ります」と教えてくれた。馬車の中は国王陛下と私、ガブリエラにウェンディの四人だけだが、ちょっと緊張が走る。
「警戒は怠りませんが、何ごともないと思いますよ。さすがにこれ以上、国王陛下に叛意を示しては、エイナルは生きていけません」ガブリエラが緊張をほぐすように言う。
「うむ。……だが、恨みというのは簡単には消えぬものだ」国王陛下は黙祷するように目を閉じた。「家族や友を亡くした者たちの悲しみは簡単には癒えぬ」
だが、いつまでも恨んだり、悲しんだりしていては先に進めない。私はゼーネハイトとの戦争で兄上を亡くしたが、恨みはすでにない。たまに悲しみがよみがえってくるけど、私が悲しむことを兄上は望まないだろうから、すぐ立ち直るように努めている。
「ここ二年ほどは収穫も安定しているはずです。豊か、とまではいかなくても、普通に暮らしていれば、やがて恨みも薄れましょう」ガブリエラの言い方はまるで自分に言い聞かせるかのようだ。彼女もエイナル鎮圧軍に同行した一人だ。嫌な記憶もあるだろう。
「左手にエイナルの城です。行政官らが門前で我らを見送っています」と馬車の側の騎士が声を掛けてきた。
少し遠いが、小さな城門の前に行政官らしき人の群れが見える。エイナル常駐の騎士や魔術士たちの姿も見える。国王陛下が窓から少し手を振ると、城門の前の人たちが一斉に敬礼した。エイナルの城にいるのは王都から派遣された行政官や騎士、魔術士だけだ。民は城近辺にはいないのだろうか?
「城の周りに町はないのですか?」私はガブリエラに尋ねる。
「以前はあったのです」そう言うとガブリエラは悲しそうに目を閉じた。
一行は城を素通りしてそのまま北上を続ける。しばらく進むと、前方から騎士が下がってきて報告を始める。
「ブレンダ団長、右手前方の小高い丘に若い男女が立っているようです」
「何かしているのか?」私は騎士に訊ねる。
「いえ、何も持たず、ただこちらの方を見ているようです」
「どういうことだ?」もしかすると、私たちが通りかかったら襲ってこようというつもりかもしれない。私は騎士に注意を促す。「警戒は怠るな」
武器も持たない民を騎士が蹴散らすわけにもいかない。私たちは警戒しながら丘の前を通過していく。丘にいるのは、貧しい身なりの若い男と女だ。エイナルの民なのだろうか。もしかすると、内乱で家族や友を失ったのかもしれない。
二人は身動きもせず、喋ることもなく、ただ立ちすくんで通過する隊列を見ている。表情までは読み取れないが、どんな想いでこちらを見つめているのだろう。
「止めよ」突然国王陛下が馬車を止めさせた。そして、扉を自ら開け、降りようとする。私とガブリエラは慌てて陛下を止める。
「何をなさるおつもりですか? 国王陛下」さすがのガブリエラも慌てている。「危険です」
「良いのだ」国王陛下は馬車を降り、丘の方に体を向け、目をやる。私たちは国王陛下を守るようにその前に立つ。
すると国王陛下は立ったまま、少し俯いて目を閉じた。黙祷なのだろうか。
丘の二人は身じろぎもせず、黙祷する国王陛下を見つめている。言葉も発しない。
しばらくすると国王陛下は目を開き、一瞬丘のほうに目を移して、そして馬車に乗り込んだ。私たちも馬車に戻り、隊列は再び北を目指して進んでいく。
長くなったので分割です。
その2は明日上げます。




