(アグネーゼの視点)結婚について
「ブレンダ姉上、何か考えごと?」さっきからスープ皿をかき回し続けているブレンダに私は問いかける。
「え? いや、そんなことはないぞ」明らかに何か考え込んでいたブレンダが、慌ててスプーンを落としそうになる。「おっと、そう言えば、エーレンスとの会談日程が決まったよ」とブレンダは二十日ほど後の日程を告げる。
「ブレンダ姉様も行かれるのですか?」と尋ねるターニャ。
「ああ。騎士団長代行として国王陛下の護衛だ。五日ほど学校は休むことになりそうだ」
「まぁ、遠いのですか?」
「国境の町アルテルスだ。馬車で二日ほど掛かるな」
「ということは、エイナル地方を通過するのですね。危険ではありませんか?」ケイティが心配そうにブレンダを見る。
エイナル地方で内乱があったのは五、六年前のことだ。制圧したとはいえ、きな臭さが残っていて、住民も王族に好意的とは言えない。
「エイナルには泊まらず、通過するだけだから、心配は要らないよ」
「十分にお気を付けてくださいね」ターニャも心配そうに言う。
エーレンスとの会談でテオドーラの剣を返却することになるのだろう。ブレンダは動いてみると言っていたけど、おそらく難しいのだと思う。
そうすると何か攻撃手段が必要なわけだが、それ以前に足止めや攻撃をしたところで、最終的にどうするのかを考えなければならない。力を失いかけているベアトリーチェに再封印ができるのだろうか? それとも、ヴィットリーオの力を借りるのだろうか? ベアトリーチェに聞いてみる必要がある。
私がそんなことを考えていると、ブレンダが珍しい話題を振ってきた。
「そう言えば、最近ウェンディに縁談の話が多くて、なかなか大変なのだ」
「まぁ、良い話ではないですか」とケイティが微笑む。
ターニャも興味深そうにブレンダとその後ろに立っているウェンディを見つめる。「ウェンディの器量なら当然でしょうね。射止める男性は幸せでしょうね。良い人はいましたか?」ターニャはこういう話題が好きそうだ。
ウェンディはちょっと照れたように、「いえ、なかなか……。それに私は結婚するつもりはありませんし」と言う。
ウェンディはブレンダの二つ年上だ。当然先に成人を迎えるわけだけど、このような状況で、結婚して護衛を辞めるというわけにはいかないだろう。クラインヴァインの件を片付ける必要があるし、次期王についても何も決まっていない、宙ぶらりな状況だ。
「この状況じゃ難しいわよね。早くクラインヴァインの件は片付けないとね」と私は言う。
「でも、私たちもそろそろ結婚について考えるべき年頃だろう? 皆は結婚についてどう考えているのだ?」とブレンダは私たちの顔を見回す。
「私は考えていません」とケイティ。「好きな相手を選べる立場でもありませんし」
「ケイティはどんなタイプが好きなのだ?」
ブレンダがこんなに恋バナに食いつくタイプとは思わなかった。意外である。
「好きなタイプですか……。考えたこともありませんね」ケイティは首を捻る。
「私はヴィーシュでお爺さまから紹介された人と結婚するつもりです」とターニャが言う。
「ほう、もう紹介されているのか? どんな人だ?」とブレンダが身を乗り出す。
「いえ、女学校を卒業したら良い相手を紹介すると言われています。帰って結婚して、そのままヴィーシュで暮らすつもりですよ」
「どんな相手か分からないのに、その通りに結婚するのか?」
「はい。お爺さまが変な人を私に紹介するはずありません」ターニャはドヤ顔だ。よっぽどヴィーシュ侯を信頼しているのだろう。
「な、なるほど。アグネーゼはどうなのだ?」ブレンダが私のほうを見ながら言った。
その瞬間、私の後ろに立つエレノアにちょっと緊張が走ったのが分かった。ケイティや他の護衛たちも息を詰めて私のほうを見る。ブレンダとターニャはにこやかに私を見ている。
私の場合、皆と違って結婚は難しいだろう。私には罪はないとされたけど、母の件があったのに、私と結婚しようという物好きな貴族はいない。というのが本当のところだが、馬鹿正直にそんなことを言って、ブレンダとターニャを凍らせる必要はない。
「私はね、女学校を卒業したら、旅に出ようと思ってるの」
「旅?」と驚くブレンダ。ケイティもターニャも驚いているようだ。
「そう、世界を回ってみたいの。そのために色々準備してるわ」
行政管理局で積極的に平民と話をするのも、弓を練習するのも、旅の役に立つ日が来るだろうと思っている。もっとたくさん学ぶことはあるけど、あと二年掛けて、色々学んでいくつもりだ。
「アグネーゼ姉様、他国への旅行でしたら、国王陛下にお願いすれば普通に行けるのではありませんか?」とターニャが心配そうに聞く。
「それじゃダメなのよ。私がしたいのは冒険の旅なんだから」私はターニャにニッと微笑む。
「冒険ですか……。止めても無駄と思いますけど、危険なことはダメですよ、アグネーゼ姉様」ターニャが諦め混じりに言う。
悪魔がいるようなところは嫌だが、世界にはまだ誰も足を踏み入れていない迷宮や秘境がたくさんあるはずだ。そういうところを冒険してみたいというのが私の夢だ。多少危険でも諦めないよ。
「そう聞くと私も行きたくなってきた」
「アグネーゼらしくて良いと思いますよ」
ブレンダもケイティも賛成してくれて良かった。きっと国王陛下も賛成してくれると思う。
なんとなく場が明るくなったところで、ターニャが思い出したようにブレンダの方を向いて、問いかける。「そう言えば、ブレンダ姉様はどうなのですか? どういう方と結婚されたいのですか?」
「私はそういうのは特にないな」
「えっ! ズルいです、ブレンダ姉様!」とターニャの目が輝く。これから始まる好奇に満ちたターニャの追求からはブレンダも逃げられないだろう。
不得手な恋バナも頑張るブレンダでした。




