(ケイティの視点)私の望み
「おはようございます、ケイティ様」
「おはようございます、アシュリン」
私が笑顔で挨拶を返すと、挨拶をした女生徒は笑顔で校舎の方に駈けていった。下駄箱のある校舎の玄関まで着くと、私の後ろをついてきていたロザリアが下駄箱から上履きを出してくれる。「どうぞ、ケイティお嬢様」
私が上履きに履き替えると、ロザリアも自分の上履きに履き替え、二人で教室に向かう。
「おはようございます」と私たちが教室に入ると、クラスメイトたちもにこやかに挨拶を返してくれる。
……これが日常ですよね。
席に着きながらつくづく思う。非日常が続きすぎて、最近はちょっと疲れ気味だ。学校生活を楽しんでいる余裕はないが、学校に来ないわけにもいかず、疲れが溜まる一方だ。
ふと窓の外を見ると、白い猫が俊敏な動きで上の方に飛んでいった。ヴィットリーオだ。ターニャの教室はちょうどこの上なので、いつものように窓の外でターニャを見守るのだろう。
そういえば、ヴィットリーオは天に昇らなかった元神なんですよね。神のことも良く知っているのかしら?
私はふと思い立ち、席を立って、前の席の女生徒に話しかける。「スミマセンが、この後のホームルームと一限の授業を欠席しますので、先生に伝えてもらえますか、クラリーチェ?」
「は、はい! 伝えますわ、ケイティ様」前の席の女生徒はちょっと驚きつつも承知した。
「行きますよ、ロザリア」
「はい? どちらへですか?」ロザリアも目を丸くして、驚いているようだ。
「付いてきてください」
間もなくホームルームが始まる時間なので、当然ではあるが、屋上には誰もいない。好都合だ。
「ロザリア、この真下に猫のヴィットリーオがいるはずなんですが、呼びかけられますか?」と私は手すりから身を乗り出して、下を見ようとする。
「危ないのでおやめください、ケイティお嬢様」
ロザリアはパッと身を翻すと、手すりをこえて下を覗き込む。猫のヴィットリーオを見つけたようだ。「ここに呼ぶのですか?」
「ええ、来てもらってください」
ロザリアが小声で下の方へ声を掛けると、白い猫が手すりの外側のパラペットの上に現れた。
「耳が良いのですね、ヴィットリーオ」
「耳が悪くては、窓が閉まった教室の様子が分からぬではありませんか」ちょっと自慢げに猫が答える。「それで、何の御用でしょう? ケイティ様」
私は手すりにもたれながら、ヴィットリーオに言う。「そこにいれば、ターニャに何かあってもすぐに分かるでしょう? ちょっと話に付き合ってもらえますか?」
「この姿のままでよろしければ」
「神について聞きたいのです」
猫のヴィットリーオは顔をちょっとこちらに向け、興味深そうに私を見つめる。「なるほど、何を知りたいのですか?」
「あなたは悪魔のことを、天に上らなかった神だと言いました。ということは、今でも神は天の上にいるということですか?」
「そういうことになりますかね」
「天の上などというものがあるのですか? 空には何も見えませんけど」
「天の上とは言っても、空高くにいるわけではありません。説明が難しいですが、別の世界と言っても良いでしょう。世界はここだけではありませんので」
なるほど、といってもよく分からないが、とにかくいるということだろうか。
「では、私たちの祈りは神々に届いているのですか?」
「祈りが届くことによって、魔術が発動するのでしょう?」
「そうですが、魔術自体には神の存在を感じません」
「……なるほど」と言って、猫のヴィットリーオはクククと笑った。クククと笑う猫なんてどうなのだろう。
「つまり、神は今も本当にいるのか、そして人間を救ってくれているのか、ということですね?」
「ええ、聖堂に連なる者として、ぜひ聞いておきたいのです」
猫のヴィットリーオは前脚を突っ張り、背中を伸ばすようなポーズを取って、丸くなった。
「ケイティ様、お止めなさい。聞かないほうが良い」
「なぜです?」意外な返答をしたヴィットリーオに私は尋ねる。「聞いては良くないのですか?」
「神がいるとしてもいないとしても、救いがあるとしてもないとしても、聖堂の“あるべき姿”は変わらないのではないですか?」
あるべき姿――。
そう言われて、私はハッとした。もし神はいないと言われたら、あるいは、いると言われたら私はどうするつもりなのか。興味本位で聞いてはみたものの、回答に対する覚悟を持っていない。でも、ヴィットリーオは、そんなことは関係なく、聖堂や教会は何をするべきなのかを考えろと言うのだ。まさにその通りだ。
「……そうですね。今の聖堂や教会は、あるべき姿を見失っています。そこに神や救いの存否という要素が加わったら、聖堂も教会も崩壊しかねません」
「長く栄えた組織は必ず綻びを見せます。聖堂や教会もそうなのでしょう?」
「ええ、苦しむのは常に民ばかりです」
「ケイティ様、あなたなら進むべき道を示すことができるのでは? いえ、示したいのでしょう?」
私は猫のヴィットリーオを見つめる。なんと鋭い猫、いや、悪魔だろう。たったこれだけの話で、誰にも言ったことのない私の望みを引き出してしまうとは。
「フフフ、あなたは賢い猫ですね」
「だてに長く生きていませんので。次期王は目指されないのですか?」
「次期王にはブレンダお姉様が相応しいですよ。アグネーゼは何か別の目標ができたようですし、ターニャはヴィーシュに帰りたいでしょう。私は私の道を進みたいのです」
「なるほど。聖堂や教会を立て直されるのですね」
「あり方を見つめ直すべきだと思うのです」
隣にいるロザリアがなんとも言えない顔をしている。ロザリアにも話していなかったことだ。後でちゃんと説明しよう。
「もっとも、クラインヴァインの件が解決しなければ、何ごとも進みません。これからも協力をお願いしますね」と私はヴィットリーオに言う。
「もちろんだにゃあ」と言って、猫のヴィットリーオはターニャの護衛に戻っていった。にゃあ?
次話は明日予定です。




