(アグネーゼの視点)アグネーゼの訓練
「本当になくなっちゃってるのね」
「もともと何もなかったかのようですね」エレノアが頷く。
ブートリア近郊のダンジョンがあった場所だ。自分が出たことによってダンジョンは消えるとヴィットリーオは言っていたが、たしかに消えてしまっている。草木の生え方を見ても、ここにダンジョンの入り口があったようには見えない。
「まぁいいわ。別にダンジョンに用事があるわけでもないし。じゃあ、始めましょうか、エレノア」
「はい、アグネーゼ様」
私はエレノアから弓と矢を受け取り、いつでも射れるような体勢をとって、森の奥へ進んでいく。この森の奥の方では小型、中型の魔物が出る。鳥型のモゴルゴや動物型のファリト、他に虫型の魔物なんかもいるそうだ。
「アグネーゼ様、あの木の上にモゴルゴがいます」とエレノアが前方の木の枝を指差す。
「おう」モゴルゴを確認した私は、弓をつがえ、狙いを定めて、矢をはなつ。矢は一直線に向かっていくが、当たる直前でモゴルゴは危険を察知したか、サッと飛んで逃げてしまった。
「あ、逃げられたわ」
「惜しかったです。モゴルゴは警戒心の強い魔物ですから、当てるのはなかなか難しいですね」とエレノアが慰めてくれる。気を取り直し、私たちは魔物を求めて、さらに奥へと進む。
休日の今日、ターニャからは魔術の話をしたいと誘われたけど、それは断って、弓矢の練習をするためにブートリア近郊の森までやってきた。
私が弓を練習し始めたのは年明けからだ。女学校に入ってから何度か戦闘の場に出たことがあったわけだけど、実際私はほとんど役に立たなかった。ブレンダ姉上は剣を、ケイティ姉上とターニャが魔術を使うけど、私は剣も魔術も大して得意とは言えない。何か練習しようと思って始めたのが弓だ。
弓を選んだことに大した意味はない。色々武器を触ってみて、これならできそうと思ったのが弓だっただけだ。最初はまったく思い通りにいかず、的にも全然当たらなかったけど、時間を見つけては練習を続けたおかげで、そこそこ狙いも付けられるようになってきた。
そして、ブートリアのダンジョンに初めて行った時に、実戦の場で初めて弓を使って、それなりに魔物に当てることができた。
「アグネーゼ様は弓の才能があるのかもしれませんね」とエレノアは持ち上げてくれたけど、別に才能があるとは思っていない。でも、この先を考えると、武器が使えることはマイナスにはならないだろう、くらいに思っていた。
だが、ダンジョンで悪魔と遭遇するという、想像もしなかった状況に巻き込まれ、さらにこの先も戦わなくてはならない可能性がグンと高くなってきた。そういうわけで、もっと練習しておかなくてはと、わざわざ森までやってきたのだ。
「ファリトです」前を歩いていたエレノアが先の方を指す。三匹のファリトが固まっている。こちらにはまだ気付いていないようだ。
私は矢を二本同時につがえ、引き絞る。「いくわよ」と放つと、二本の矢がファリト目掛けて飛んでいき、二匹のファリトの頭に命中した。
「残りが来ます! ご注意を」エレノアが剣を抜き、襲い掛かってくるファリトを一刀で真っ二つにした。
「二本同時撃ちもなかなか当たるようになってきたわ」
「お見事でした、アグネーゼ様」
「でも三匹以上の時はどうしても撃ち漏らしてしまうわね」
「そのために私がいます」とエレノアが微笑む。
魔物を倒しながら奥に進んでいくと、ちょっと開けた野原に出た。そろそろお昼だし、昼食を摂ることにする。
「動いている魔物に当てるのはなかなか難しわね」エレノアが淹れてくれたお茶を飲みながら私は言う。「誰か弓矢の達人でもいれば、教われるんだけどね」
「そうですね。騎士はたいてい剣技を学びますので、弓を使うのは一般兵がほとんどですね」
「一般兵の管轄は騎士団長だから、今はブレンダ姉上ね。今度聞いてもらおうかな」
最近はずいぶんと暖かくなってきた。草木も芽吹き始めている。ターニャが言うには、まだヴィーシュには雪が残っている時期だそうで、フィルネツィアのなかで王都はかなり過ごしやすい気候の地域なのだそうだ。
「食べたらちょっと眠くなってきたわ」私は野原にゴロッと寝そべった。
「暖かくはなってきましたが、このようなところで昼寝されたら風邪をひきますよ」
なにか時の流れさえ穏やかに感じる。悪魔が世に解き放たれたなんて、信じられない気分だ。
「……ねぇ、エレノア。私がブートリアのダンジョンに行こうなんて言わなければ、こんなことにはならなかったのかな?」
「いえ、アグネーゼ様たちがダンジョンに行かなくても、いずれ封印は解けていました。その場合、知らぬ間に悪魔が世に出てきてしまうことになったでしょう」エレノアは続ける。「図らずも、危険な悪魔の存在を知り、ヴィットリーオの協力を得られるようにもなったのですから、逆に大手柄と言っても良いと思いますよ」
「ターニャはあまり嬉しくなさそうだけどね」私は、ターニャの嫌そうな顔を思い出して苦笑する。「でもクラインヴァインから守るためには仕方ないわよね」
「はい、ターニャ様を守るためにも、フィルネツィアを守るためにもベストな方向だと思います」
今まさにターニャたちは魔術でどこまで悪魔を抑えられるか話し合っているはずだ。ベアトリーチェから魔術を教わったとも言っていたので、ある程度は方向性も見えてくるだろう。
「私も何か力になれると良いんだけどな」
「もちろんなれますよ、アグネーゼ様。こうして弓も上達してきましたし、なにより──」とエレノアが言いかけたところで、ガサッという音ともに向こうの藪から魔物が飛び出してきた。数匹のガレスだ。
「私の後ろに」と言ってエレノアが剣を抜く。
私は横に置いていた弓を手に取り、こちらに向かってくる数匹のガレスに向けて二本同時撃ちを放つ。一本は命中したが、もう一本は外れ、残り四匹のガレスが私たちに迫る。
「たあ!」とエレノアが剣を振るうと、四匹のガレスは一瞬で引き裂かれて地に落ちた。
「エレノアは本当に強いわねぇ」
「いえ」エレノアは剣を振ってガレスの血を払う。「私はまだまだです。ルフィーナ殿の足元にも及びません」
「なにもルフィーナと比較しなくても……」ルフィーナの強さはちょっと異常だと思う。
「いえ、ターニャ様よりやんちゃなアグネーゼ様をお守りするには、私はルフィーナ殿より強くなくてはなりません」とエレノアは笑った。私も釣られて笑ってしまった。
「やんちゃは止めないので、これからも私を護ってね」
弓を訓練中のアグネーゼでした。




