(アグネーゼの視点)消えたターニャ その2
王都の門を抜けて、西に向かって三頭の馬が駆け抜けていく。すでに周囲は夜の帳が降りているが、月の光に照らされて、かろうじて街道は見える。
「ルフィーナ! 一人ではダメよ! 先に行きすぎないで!」
「はい!」と、私の言葉にルフィーナは返事をしたが、速度を緩める気配はない。エレノアはともかく、私は馬に慣れていないので、付いて行くのも大変だ。それでも、はやる気持ちも分かるので、頑張って追い掛けるしかない。
ブートリア近郊のダンジョンに着く頃にはすでに私はヘロヘロだった。ちなみに、ルフィーナもエレノアも息を乱す様子はない。本当に同じ人間なのかしら?
入り口を守る騎士に緊急事態であることだけ告げて、私たちはダンジョンの中に入っていく。
「じゃ、行くわよ。おそらく魔物はいないと思うけど、注意してね」
「はい、私が先行しますので、アグネーゼ様とエレノア殿は後ろを頼みます」
ルフィーナを先頭に三人で進む。魔物に遭遇することもなく、最奥の間の扉までやってこれた。ルフィーナが扉を開け、中に入ると、少女が床に倒れている。ターニャだ!
「ターニャ様!」ルフィーナが部屋に駆け込んでターニャを抱きかかえる。私たちも側に駆け寄る。目は閉じているが、どうやら怪我などはないようで、眠っているようだ。
「眠っているだけだ。案ずるでない」
牢からの声に私たちは振り返り、ヴィットリーオを見た。先日と変わらぬ服装で、身体を起こし、こちらを見ている。もしかして封印が解けて、その上でターニャを転移させたのかもしれないと思ったけど、牢の封印はそのままのようだ。
「あなたがターニャをここに呼んだの? ヴィットリーオ」
「ククク、この封印された牢の中で魔術を使えると思うか?」
「たしかにそうね。では誰が?」
それには答えず、ヴィットリーオは私を見つめて、問いかける。
「お前の名は?」
「私はアグネーゼ・フィルネツィア。ターニャの姉よ」
「そうか、王女というわけか。お前と会うのは三度目だな。まだ子供のようだが、大人のような目をしているな」と、興味深そうにヴィットリーオが私の目を見つめる。
「……どういう意味かしら?」
ヴィットリーオはまたクククと笑うと、言葉を続ける。
「察するに、最初に会った時の四人が姉妹なのだな。なかなか面白い四人ではないか」
「……面白いとはどういうこと?」
「言葉の通りだよ。お前たちは奇異な運命の女神に魅入られているようだな」
「……」
そう言えば、ヴィットリーオは人間に混じって多く暮らしてきたと言っていた。人を見る目があるということなのだろうか。だが、単なる戯れ言かもしれないし、今はそんな話をしている場合ではない。何があったのかを聞かなくてはならない。
「で、何があったの? あなたではなくて誰がターニャをここに転移させ、何をさせたの?」
「うむ。その説明には時間が掛かるし、その娘も一緒に聞くべき話だろう。元気になったら一緒にまた来るが良い。説明してやろう」
「……簡単にはできない話なのね?」
「簡単には信じられん話と言うべきかな。そうそう、あまり時間を置かずに来るのが良いと思うぞ」
「……分かったわ」
私たちはターニャを連れてダンジョンを後にし、とりあえずブートリアの町に移動した。行政官に簡単な事情を話し、宿に泊めてもらうことにする。用意してもらった部屋に入り、私はルフィーナとエレノアに指示を出す。
「ルフィーナはターニャをここに寝かせて、介抱してあげて。怪我はないようだけど、よく調べてね。身体も拭いてあげると良いわ」
「はい、分かりました」
「エレノアは、悪いけどこれから王都まで馬を走らせて、離宮と後宮に知らせをお願い。私はここに泊まるので、明日の朝、誰か向かいの側近を寄こして」
「かしこまりました。行きます。そして、明朝は私が参りますのでご安心を」
「え? エレノアもちょっとは休んだ方が――」
「いいえ、大丈夫です。では行って参ります」
にっこり笑ってエレノアは、王都に向かうために部屋を出て行く。この夜中に王都とブートリアを往復して、さらに明朝も来るというのは、どう考えても大変だが、来てくれるなら嬉しいので良しとしよう。私はベッドに横たわるターニャに目を移す。
「目を覚ます様子はないわね」
「はい、深く眠っているようです。でも、どこにも異常は無さそうで良かったです」
ターニャの身体を拭きながらルフィーナが答えた。その時、扉をノックする音が聞こえ、「ガブリエラよ、開けて」と声がしたので扉を開けてあげる。
「ガブリエラ、どうやってここへ?」
「あなたたちがダンジョンに向かったと聞いたので、魔術士団で転移魔術を展開させて、とりあえず私だけ来たのよ。ダンジョンの警備をしてる騎士団員に、あなたたちが入っていって、少女を抱えて出て行ったと聞いたので、町かなと思ってきてみたわけ。ターニャはダンジョンにいたのね? 様子はどう?」と言いながら、ガブリエラはターニャの側に来て、顔や身体を触ったり、脈などを診ている。医療の心得もあるのだろうか?
「怪我はないようね。良かったわ。ヴィットリーオはなんと言っていた?」
「改めてターニャと一緒に来いと言われたわ。転移魔術はヴィットリーオがやったわけではなさそうなので、他にも関係する者がいそうね」
「ええ。封印の中で魔術は使えないわ。では、ターニャが起きてから話を聞いてみなくては分からないわね。とりあえず、アグネーゼ様は朝までお休みなさい。ルフィーナはターニャに付いてる?」
「はい、目覚めるまで付いています」
「分かったわ。私も、アグネーゼ様の護衛も兼ねて、隣の部屋で朝までちょっと仮眠するわ。もしターニャが目覚めたら起こしてね」
「分かりました」
私とガブリエラは隣の部屋で朝まで仮眠を取ることにした。私もターニャに付いていてあげたかったけど、寝ているだけならとりあえずは心配なさそうなので、寝ることにした。
「なるほど、まったく覚えてないってことね」
翌朝、私が目覚めると間もなくターニャも目覚めたということで、さっそく昨日の話を聞いたわけだが、案の定、ターニャは何も覚えていなかった。
「なんで、私はこんなところにいるのですか? 離宮で寝ていたはずなのですけど……」
いつものようにベッドに入って寝ていたはずが、起きたら知らない部屋のベッドに寝ていて、なぜかルフィーナが「良かった」と安心している姿を見ても、ターニャとしては訳が分からない気持ちでいっぱいだろう。
私たちがヴィットリーオの牢で見たことを説明しても、ターニャとしては腑に落ちないようだ。
「まったく覚えていませんので何とも……」
「これではヴィットリーオに聞かないと、何のことなんだか分からないわ」
「……私も行かないとダメですか?」
「残念だけど、ヴィットリーオは“一緒に”と言っていたので、ターニャも行くしかないわね」
「……分かりました」
ターニャにとって実に気持ち悪い話だろうから、行きたくないというのも分かるけど、そういうわけにもいかない。ヴィットリーオか、あるいは、ターニャを転移させた他の誰かが何を考えているのかは知らなくてはならないことだ。ガブリエラも隣で頷く。
「私たちもしっかり護衛するから大丈夫よ。安心なさい」
「そうですか。よろしくお願いします」
なにも覚えていないターニャでした。




