(ターニャの視点)ヴィットリーオとの再会
あれから二週間、私は再びブートリアのダンジョンにやってきた。ガブリエラにアグネーゼとエレノア、私とルフィーナに加えて、二十名ほどの魔術士も一緒だ。何が起こるか分からないため、大事をとって大所帯になったらしい。
最奥までの道のりはアグネーゼが覚えていて、迷うことなく一行は進んでいく。魔物は前回倒しながら進んだため、ほとんどいない。
「あの先の部屋よ」とアグネーゼが前方の扉を指差す。
「慎重に行くわよ」
ガブリエラがゆっくりと扉を開き中に入っていく。私たちもその後に続く。
牢は部屋の左手だ。ガブリエラが牢の前に立ち、私たちはその後ろで魔術士たちに守られつつ、ガブリエラを見守る。
「そこにいるのね? 話がしたいので起きてもらえるかしら?」
「んー、なんだまた人間か」
牢の中から煩わしそうに男が体を起こすのが見えた。前に見た時と同じ、変わった黒い服を着ている。異国の、いや、昔の装束なのだろうか。
「あなたがヴィットリーオね。私はフィルネツィア王国、宮廷魔術士団団長のガブリエラ・ハーマンよ」
「そうだ、以前そこにいる二人にも言ったとおり、我がヴィットリーオだ」
アグネーゼと私のことを覚えているのか、と思うとちょっと寒気がした。悪魔に覚えられたくない。
「こちらで調べたところによると、どうやらあなたがここに封印されて二千年ほど経っているようだけど、あなたも外のことを知りたいでしょう? 教える代わりにあなたのことを話してもらえるかしら?」
「ほう、二千年か。ということはベアトリーチェはとっくに死んだということか。死してなおこれほどの封印が保たれているとは、実に厄介な小娘だな」
そう言ってヴィットリーオはクククと笑った。そして、「良いだろう。では、我からの質問だ。お前は力を望むか?」とガブリエラに言う。
「フッ、何を言うかと思えば──」
「望まぬか。ではお前はどうだ。藍色の髪の少女よ」と言って、ヴィットリーオは私を見つめる。暗い暗い、漆黒の瞳だ。吸い込まれそう……
「ダメよ! ターニャ!」とガブリエラが私を自分の背中に隠す。
「私の大事な弟子を誘惑するのは止めていただけるかしら。質問が終わりなら私から聞いてもよろしくて?」
「ククク、弟子か。大事に育てることだな。聞きたいこととは何だ」
「あなたが本当にヴィットリーオなのだとしたら、望みは何? まだここを出て世界を破滅させたいと思っている?」
「ふむ……、世界の破滅か。我は大して興味はないな。あの時も、世界を破滅させたいと言っていたのはクラインヴァインだけで、我らはその話に乗っただけだ」
「クラインヴァイン……。五人の悪魔の一人ね」
「我儘な奴でな。何か気に食わんことでもあったのだろう。ククク」
気に食わないくらいで世界を破滅させられてはたまらない。
「他の奴らの封印場所は見つかっているのか? 見つかっているのなら、我など後にして、そっちを先に封印し直した方がいいぞ。気の荒いのが多いからな」
その言葉には答えず、ガブリエラが続ける。「私たちはあなた方と事を構える気は無いわ。伝承のように暴れられても困るし。どうすれば大人しくしていてもらえるのかしらね?」
「どうすれば、か」と言うとヴィットリーオはちょっと考えてから、話を続ける。
「他の連中は知らぬが、我の望みは面白いものを見ることだ」
「面白いもの?」
「そうだ。永遠に存在し続ける我が望むのは、楽しく暮らすことだ。退屈は好まぬ」
「……その楽しみの一つが、世界を滅ぼすことだったの?」
「あれは大して楽しくはなかった。クラインヴァインは楽しんでいたようだがな。ククク」
永遠の命を持っているなら、楽しいことなどやり尽くしているのかもしれない。悪魔にとって楽しいことってなんだろう?と私が考えていると、隣のアグネーゼがヴィットリーオに話し掛ける。
「もしかして人間に紛れて暮らしたりしたこともあるの?」
「あぁ、あるぞ。人間は実に興味深い生き物だからな。数え切れんほどだ」
「歴史を動かしたりしたこともある?」
「いや、力を使ってはつまらぬ。能力を封印して、平凡な人間として暮らすのだ。これは実に楽しいぞ」
「ふーん、そういうものなのね」
そう言って、アグネーゼはなにかを考え込んで、黙ってしまった。会話を引き取り、ガブリエラが話し始める。
「残念ながら、牢の封印を解くことはできないけど、私たち人間があなたと対立するつもりがないことだけ、今は覚えておいて欲しいわ」
「ククク、この牢の封印は小娘の力が完全に消えない限り、解けないことは分かっている。解けたとしても、少なくとも我はお前らを害するつもりなどない。まぁ、この言葉を信用するかどうかはお前らの勝手だがな」
そう言うとヴィットリーオは、この話は終わりとばかりに、横になってしまった。
「アグネーゼ姉様、また何か考えているのではありませんか?」
「ん? 何も考えてないわよ」
王都へ帰る馬車の中で、私はアグネーゼが何か良からぬことを考えてるのではないかと尋ねてみた。良からぬ、と口に出さなかったのは軽い思いやりだ。
「……嘘ですね。あの悪魔をどうかしようとか考えてはいけませんよ」
「フフフ、さすがに相手が悪いわよ。ちょっと考えていたのは、昔、悪魔を抑える魔術具の話をどこかで聞いたような気がするのよ」
「悪魔を抑える魔術具ですか?」
「うん。でも、ネーフェ絡みだったような気もするし、今となっては調べる手段もないわね」
ネーフェから来ていたエヴェリーナやアグネーゼの側近たちはすでに国に帰されている。今アグネーゼの周りにいるのはエレノアと、私が手配した新しい側近たちだ。
「そのようなものがあれば安心できますね。王宮図書館で調べてみましょうか?」
「ううん、暇があったら私が調べるからいいよ」
そう言うとまたアグネーゼは馬車の窓から外を眺め、思考の海に沈んでいく。窓から見える景色はまだまだ冬模様だ。といっても、このあたりはヴィーシュのように雪が積もるわけではなく、木枯らしが冷たい冬景色だ。ちょっと寂しさを感じさせる景色と相まって、アグネーゼの横顔が少し寂しげに見えた。
「アグネーゼ姉様、新しい側近たちは問題ありませんか?」
「ん? 全然問題ないわよ。みんな良くしてくれるわ。それに、ターニャと同じで、みんな素朴で良い子たちね」と言ってアグネーゼは微笑んだ。
新しい側近は、アグネーゼのためにヴィーシュから来てもらった剣士や魔術士たちだ。みな真面目で、良い人ばかりである。
「何か不便なことなどあったら言ってくださいね。遠慮は要りませんよ」
「フフフ、ありがとう」
あの悲しい出来事から二ヶ月半ほど経っている。すっかり以前のように自由で、明るいアグネーゼに戻ったように見えるけど、たまにこうして少し寂しげな表情を見せることがある。あの出来事を忘れることはできないだろうし、心の傷も完全に癒えるわけではないだろう。だからこそ、せめて離宮では心安らかに暮らして欲しいと思っている。
「ところで、ヴィットリーオはなぜターニャに力を望むか聞いたのかしらね?」
「え?」
「私もいたし、魔術士たちも私たちの周りを取り囲んでいたのに、その大勢の中からターニャに問いかけたのはなんでなのかなって」
「なんででしょうね……。もしかすると迂闊に返事をしそうに見えたのかもしれませんね……」
「ハハハ、そうかもね。そう言えば、ベアトリーチェのことは聞かなくても良かったの?」
会話の中でベアトリーチェのことが出てくれば、詳しく聞きたいと思っていたのだけど、聞けるような雰囲気ではなかったので口を挟まなかったのだ。
「聞こうとは思ったのですが、なにか軽くあしらわれそうな雰囲気でしたので、止めました。私が関わるとよろしくないことになりそうな気もしましたので」
「たしかに飄々としていて、本当のことを言っているのかどうかも怪しいものね」
ヴィットリーオが何千年も生きているのであれば、私のような小娘をあしらうのは簡単だろう。もうこれで二度と会わないで済むと助かるのだけど、また会いそうな予感がする。
ヴィットリーオは変な悪魔でした。
次話は2,3日中です。




