(ターニャの視点)悪魔を名乗る男
「ガレスの群れだ! 向かってくるぞ!」
ブレンダの声に私たちはすぐさま戦闘態勢を取る。ケイティが胸の前に宝剣を捧げ持ち、加護魔術を祈る。宝剣から放たれた光に包まれたブレンダが、牙を剥くガレスの群れに突っ込んでいく。アグネーゼが後方から弓を射ってブレンダを援護する。私も群れに向かって足止めの魔術を放つ。
「二匹行ったぞ!」
群れから二匹のガレスがこちらに駆けてくる。私がとっさに防御魔術を展開して二匹の突進を止めたところに、アグネーゼが弓を放ち、なんとか二匹とも倒すことができた。
「やりました!」
「ナイスよ!」
思わず喜声を上げた私に、アグネーゼも同意する。前方ではブレンダが最後の一匹となったガレスにとどめを刺していた。「ふぅ」と息を吐きながらブレンダが戻ってくる。肩口にちょっと傷が見える。ガレスの牙にやられたのだろう。
「傷を癒しますね」と言ってケイティが治癒の祈りを捧げると、ブレンダの肩の辺りにあった傷が光に包まれ、瞬く間に消えていく。
「ありがとう、ケイティ。ガレスまでいるとなると、このダンジョンは結構危険だな。この先は慎重に進もう」
戻るという選択肢はないのですね……、と思わず言い掛けたが、三人ともやる気に溢れていて、水を差すなんてできそうにない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう……。
「ターニャ! 冒険に行くわよ!」
「……冒険?」
アグネーゼが満面の笑顔で私の部屋に飛び込んできた。私が読んでいた本から顔を上げて、咄嗟のことに目を瞬いている間も、アグネーゼは楽しそうに冒険とやらの説明を続ける。
「王都の西にブートリアという町があるんだけど、その郊外に最近、ダンジョンが発見されたのよ。今は行政管理局が現場を管理して、誰も立ち入らないようにしてるんだけど、面白そうじゃない?」
「……面白そう、ですか?」
「なによ、ノリが悪いわねぇ。発見されたばかりということは、まだ誰も攻略していないに違いないわ。きっとお宝が眠ってるに違いないでしょ!」
……お宝ですか。ブートリアと言えば、王都の西に位置する、要衝と言える場所のはずだ。そんな場所に未発見のダンジョンがあったというのはおかしい気がする。
「そうよね。私もおかしいとは思ったんだけど、ブートリアの地方行政官によると、何か突然現れたらしいのよ。不思議よね」
「……不思議にも程がありますよ」
ダンジョンが急に現れるなんて話はヴィーシュでも聞いたことがない。何かありそうで怖いし、どのくらい危険なのかも分からないところに自ら飛び込んでいく趣味はない。
「では、ともかくルフィーナに相談して――」
「ダメよ!」
アグネーゼは、椅子から立ち上がろうとする私の肩を押さえてまた座らせると、
「護衛は連れずに行くんだから。ルフィーナにも、エレノアにも内緒よ」と、いたずらっぽく笑った。
「護衛を連れずにですか!? そんな無茶な……」
「大丈夫よ、ブレンダ姉上とケイティ姉上も一緒に行ってもらうから。四姉妹水入らずでダンジョン攻略よ!」
……ということがつい先日あったわけだが、なんとその通りに私たち四姉妹だけで、ブートリア近郊のダンジョンに来てしまった。ルフィーナにはもちろん、ルチアにも無断で来ているわけで、離宮に戻ったら死ぬほど叱られることは確実だ。とくに、ルフィーナに心配を掛けていると思うと気が重くなる。ケイティが私の顔を覗き込みながら、
「おや? 心配事ですか?」と尋ねてくる。
「……心配事だらけです。戻ったらさぞ叱られるでしょうし」
「フフフ、たしかにそうですね」とケイティは笑う。
だが、アグネーゼはそのようなことはまったく心配していないようだ。
「なあに、そんなこと心配してるの? 大丈夫よ」
「アグネーゼ姉様はルチアの怖さを知らないからそんなことが言えるのです。私は叱られたくないのです」
「あら、ルチアは優しいじゃない?」
アグネーゼとエレノアが桔梗離宮で暮らし始めてニヶ月。アグネーゼの境遇にいたく同情したルチアは、これまでなににつけてもアグネーゼには優しく接しているが、そろそろ同情期間も終わりではないかと思う。きっと、帰ったら二人一緒に大きな雷を落とされるだろう。
「そんなことよりも、ずいぶんと深いダンジョンね。どこまで続くのかしら?」
「もう五層だものな。あまり深く潜ると帰りも大変だ」
「そうですよ、明日は学校があるのですよ」
「もう、ターニャったら、学校のことは忘れなさい。お宝を見つけるまで帰らないわよ」と言うアグネーゼの目は本気だ。……本気ですか?
ダンジョンの入り口は、街道からちょっと外れた小さな森の中にあった。アグネーゼが入り口までの案内に連れてきた地方行政官の言葉によれば、一週間前にこの辺を見回りをしていた管理官が見付けたのだそうだ。三ヶ月ほど前に見回った時にはここにダンジョンの入り口など無かったことは確実らしい。
「先へ進もう」とブレンダが周りを警戒しながら先へ進んでいく。
魔物を倒しつつ、私たちはさらに奥へ、下層へと進んでいく。魔物は、四足タイプのガレスやファリト、飛行タイプのモゴルゴなどがいて、戦闘も結構忙しい。剣を振り続けるブレンダの疲労も心配だが、魔術を使い続けるケイティと私も疲弊気味だ。私たちは魔力を回復させるポーションも飲みながら先に進む。
七層まで来たところで周囲の雰囲気が変わった。これまでは自然の洞窟だったけれど、この層は明らかに人の手で作られたような、レンガ積みの通路になっている。
「最下層かもしれない。注意して進もう」とブレンダが注意を促す。この層には魔物もいないようで、通路を慎重に進んでいくと、先に扉が見えた。私は嫌な予感がして、思わず呟く。
「……またドラゴンじゃないですよね?」
「さすがにドラゴンだと、我々四人だけではどうにもならないな」
そう言ってブレンダは扉を少しだけ開いて、中を覗き込む。「部屋だ。魔物はいないようだ」と言って中に入っていく。私たちも続く。
「何もないな。……ん? あれは何だ?」と言って、ブレンダが部屋の左手の方に歩いていき、「牢?」とつぶやく。
私たちもブレンダの見る方に目を移すと、部屋の奥まったところに鉄格子がはめ込まれており、たしかに牢だ。中に何か黒い塊のようなものが見える。
「おい、そこに誰かいるのか?」とブレンダが声を掛けると、中から「んー?」という声とともに、人らしき影が見えた。目を凝らすと、変わった黒い装束を着た若い男だ。顔はよく見えない。男が体を起こし、こちらへ問いかける。
「なんだ、人間か? なぜこんなところに人間がいるのだ?」
「お前こそ何だ? 我々はこのダンジョンを調査に来たのだ」
「調査? ここは牢だ。見ての通り、他には何もないぞ」
「牢なのは見れば分かるが──」
「それに入り口は封印されて、誰も入れぬようにされていたはずだ。どうやって入ったのだ?」
「最近になって入り口が発見されたのだ」
「なるほど、入り口の封印が解けたか」
そう言うと男はクククと笑った。「入り口の封印は解けても、この牢の封印がそのままと言うことは、完全にはあの小娘の力は消滅していないのか」とつぶやく。
訳が分からないという表情でブレンダが男に問いかける。
「おい、何の話をしているのだ? お前は何者だ?」
「あー、我を知らぬか。我が名はヴィットリーオ。かつて世界を混沌と破滅の渦に叩き落とした五人の悪魔の一人だ」
「悪魔だと? そんなものがいるはずがない。証拠でもあるのか?」
「ククク。証拠を求めるか。お前は自分が人間である証拠が出せるのか?」
「……。悪魔などという存在は信じられぬ」
「神に祈れば魔術となる世界で、悪魔は信じられぬか。頭が固いな」
もしかするとちょっとおかしい人なのかな?と私も思ったが、たしかに神がいるなら悪魔がいても不思議はない。それに、このような何もない牢屋で生き続けているのは人間ではない証拠かもしれないとも思った。男が言葉を続ける。
「我らはもう少しでこの世界を完全に破壊い尽すところだったのだ。それを小娘に邪魔され、それぞれ封印されたのだ」
「……小娘とは誰だ? それにいつの話なのだ、それは?」
悪魔を名乗る男は、フッと笑い、ブレンダの問いに答える。
「小娘の名はベアトリーチェと言ったな。ここに閉じ込められてどれくらいの時間が経っているかは知らぬ。暦もないのでな。たった一人の小娘に我々が五柱がかりで勝てなかったのだから、みっともない話だ。ベアトリーチェは死んだのか?」
ヴィットリーオはそう言って私たちの顔を見回した。私はベアトリーチェという名が出てきたことにドキッとしたが、努めて平静を装った。
ベアトリーチェの魔導書を得たエヴェリーナは、テオドーラの剣に貫かれて消滅した。その際に天に召されていくベアトリーチェらしき少女を私は見た。ということは、
魔導書が消滅したことで、ベアトリーチェが施した封印が消えかけてるということでしょうか? この男の話が万一本当なら大変なことになるのでは……。
「フッ、知らんか。入り口の封印は解けても、牢の封印がそのままということなら、まぁ、ベアトリーチェは消えてはいないのだろうな。これでは我は出れぬ。また寝るゆえ、邪魔をするな」と言って、男は横になってしまった。
私たち四人はほとんど口もきかぬまま、ダンジョンの入り口まで戻ってきた。重いものが心にのし掛かっている気分だ。私はブレンダに声を掛ける。
「ブレンダ姉様、もし本当ならこれは大変なことなのでは……」
「……うん。とりあえず、急いで国王陛下に話をする必要があるな」
第二章の始まりです。




