(ターニャの視点)フィルネツィア王国を取り巻く状況
ニュースから一夜明けた朝。朝食を給仕してくれるルチアの顔色があまり良くない。おそらく睡眠もそこそこにひと晩中情報を集めていたのだろう。ルチアに労りの言葉を掛けつつ、私は集まった情報について聞いてみる。
「ゼーネハイトか攻めてきたという以上に何か分かりましたか?」
「あまり詳しくは分かっていません。ここにいるのはヴィーシュから王都に来たばかりの者がほとんどですので、情報もなかなか集まらないのです」
私と一緒に王都に来た側近たちは、母の父つまりヴィーシュ侯が付けてくれた者ばかり。もともとヴィーシュ侯に仕えていたので、王都の貴族や官との繋がりは薄い。情報収集にも限界はあるだろう。ルチアはちょっとため息をつきながら続ける。
「時間を掛けて王都で繋がりを作っていくつもりでしたが、これ程早くに必要になるとは思っていませんでした。それでもいくつか分かったことはございます」
ゼーネハイトが攻め込んできたのは、フィルネツィア国内の西側に位置するイェーリング領。フィルネツィアの中でも小さめな自治領だ。イェーリング侯が兵を率いて迎撃に出たものの、緒戦はゼーネハイトに敗れたようだ。急報を受けた王都はすぐさまフィルネツィア各地から兵を急行させているらしい。
「昨夜遅くには、王宮騎士団と魔導士団がイェーリングに向かったとの情報もございます」
「戦争は激しくなるのかしら?」
正直私は戦況を聞いてもよく分からないし、王族とは言っても子供の私に出来ることはないだろう。実際のところ、私の身の回りにまでこの戦争が影響するのかが重要だ。
「この段階ではなんとも分かりません。まだ王宮から正式に発表されたわけではありませんが、王都ではすでにゼーネハイトが攻めてきたことは知られていて、街もなにやら落ち着かない雰囲気だそうです」
商人たちのネットワークからの情報は速い。折よく、ヴィーシュから都に上がってきていた商人がいたので、そちらからの情報も集めているとルチアは言う。
「なんにせよ、今は情報を集めつつ状況を見守るしかございません。それと、本日予定していた、第一王妃への挨拶は後日にしてほしいと後宮から知らせがありました」
後宮も落ち着かない状況なのだろう。第一王妃への挨拶を改めるということは、明日以降の予定も考え直さなくてはならない。第一王妃より先に第二王妃、第三王妃に挨拶伺いするわけにはいかない。
「そうでしょうね。ひとまず本日は部屋を片付けて過ごすことにします。女学校はどうなるのでしょう?」
「学校にも問い合わせを出しています。ただ、状況によってはどう変わるか分かりません。ターニャお嬢様は学校の準備を整えつつ知らせをお待ち下さい」
「本当にどうなってしまうのでしょうね、ルフィーナ?」
私は部屋に積まれた荷を解きつつ、ルフィーナと一緒に片付けを進める。手を動かしながらも考えてしまうのはこれからのことだ。
「歴史的にフィルネツィアとゼーネハイトはあまり仲がよくないですからね。百年ほど前にも大きな戦争があったと学んだ記憶があります」
「そういえば、そんなことも聞いたような気がします」
「ターニャ様はもう少し勉強しないと叱られますよ?」
「……うぐっ、これからですよ」
私だってそれなりに勉強はさせられていたのだけど、ちょっと興味がなかったので覚えていないだけだ。
「イェーリング侯は敗れたとの話でしたが、大丈夫なのかしら?」
「心配されることはないと思います。王宮騎士団と魔導士団も向かったと言っていましたし、フィルネツィアは隣国のエーレンスやネーフェとも同盟しています。軍事バランス的には優位にあると思います」
たしか、父の第一王妃は北に国境を接するエーレンスの姫で、第二王妃が南の隣国ネーフェの姫だったはずだ。婚姻によりフィルネツィアはエーレンス、ネーフェと同盟関係にある。
「では、ゼーネハイトは無理を承知で攻めてきたということですか」
「あるいは何か勝算があるのかもしれません。負けると分かっていて戦いは挑まないでしょう」
なぜ戦争を、と考えても情報が集まらない限りは想像の範囲を出ない。もっとも情報が集まっても、そこから何か推測できるほどの知識が私にあるわけでもないのだけど。
「ターニャ様にはあまりピンと来ていないようですね」
「ピンと来ないと言いますか、実感を持てないのです。王都にも来たばかりですし、戦争が始まったと言われても、よく分からないことだらけで」
「直接的な影響はないと思われますが、戦況によっては無縁ではいられないかもしれませんよ」
「私にできることがあるとも思えませんけど」
ほんの数日前まで、ヴィーシュを出たことがなかった私にとって、世界はヴィーシュだけだった。そんな世間知らずが王都に出てきただけでも知らないことばかりなのに、さらに国全体の問題まで考えられるはずがない。
ルチアの言うとおり、私は私の準備、つまりは部屋の片付けと入学の準備を進めるしかないのだろうと思う。
「ターニャお嬢様、よろしいですか?」とルチアが扉をノックしつつ部屋に入ってくる。
「なにかしら?」
「お客様がお越しです。アグネーゼ王女です」
アグネーゼ王女? そんな約束はないはずですけど……。
第2話です。
次話は明日予定です。