(ターニャの視点)ウェンディの魔術教室
ブレンダとルフィーナの試合の翌日、女学校での昼食の席にブレンダはいなかった。ウェンディが来て、欠席だと教えてくれた。
「どこも怪我などはないのですが、疲労が抜け切れていないので、大事をとって休まれています」
「そうですか。大事でなくて良かったです」
「それで魔術のお話なのですが、放課後に桔梗離宮にお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「それは助かります。よろしくお願いします」
放課後になり、離宮に戻ると、すでにウェンディが居間で待っていた。私は急いで着替え、居間へ向かう。
「お待たせしてしまってごめんなさいね」
「いいえ、私が早すぎたのです。お気になさらないで下さい」
ルチアにお茶を入れ直してもらい、改めて話を始める。
「ブレンダ姉様はウェンディにヒントをもらえば良い、と簡単におっしゃいましたが、本当に良かったのですか?」
「はい、私も大丈夫と判断しましたので。何かご心配でも?」
「いえ、もしかしてエーレンスの秘伝のようなものだったりすると、簡単に人には教えられないのではと思いましたので」
「いえ、秘伝にはなっていません。祈り無しに魔術を展開する方法は、それほど難しいものではないのです」
そう言ってウェンディは立ち上がり、風の防御魔術を祈り無しで展開して見せた。緑色の複雑な魔術陣が彼女の前に展開されている。
「ガブリエラもそうでしたが、本当に簡単に出すのですね」
「はい、誰でもというわけではありませんが」
ウェンディはそこでいったん言葉を切って、魔術陣を消し、座り直して言葉を続ける。
「通常、防御魔術を出すには、神に祈りながら頭の中で魔術陣を思い浮かべますよね」
「ええ」
「基本は同じなのです。魔術陣だけでなく、いのりの言葉も同時に頭に思い浮かべれば良いのです」
「……言葉を?」
「言葉を形として覚えてしまって、魔術陣と一緒に思い浮かべるのです。最初は難しいかもしれませんが、慣れれば素早く思い浮かべられますよ」
「ちょっとやってみますね」
私は集中して、水の防御魔術の魔術陣を頭で描く。同時に、祈りの言葉を文字にして一緒に思い浮かべてみる。だが、やり方がおかしいのか、魔術が出る感じはない。
「なかなか難しいですね……」
「こんな感じで紙に書いて、これごと覚えてしまうのが良いですよ」と言って、ウェンディは祈りの言葉を小さな紙に書いて、私に見せる。たしかにこれなら思い浮かべやすそうだ。
「これは良いですね。ではもう一度……」
私が魔術陣と祈りの言葉が書かれた紙を頭に思い浮かべると、今度は私の前に水の防御魔術が展開した。
「できました! ありがとうございます、ウェンディ。見ましたか、ルフィーナ?」
「はい、おめでとうございます、ターニャ様」
振り返ると、ルフィーナも嬉しそうにしてくれている。何度かやり直してみるが、祈りの言葉を口に出さなくても問題なく出せるようになっている。私は改めてウェンディに向かってお礼を述べる。
「ウェンディは凄いのですね。こんな簡単にできるようになるなんて」
「いえ、凄いのはターニャ様ですよ。まさか、こんなにすぐにできるとは、本当に驚きです」
「そうなのですか?」
「熟練の魔術士で、しかも才能がなくてはできないのです。おそらく、魔術士団でもほとんどできる者はいないでしょう」
「そんなに難しいものなのですか」
「はい、魔術の才能に加えて、祈りが神に届きやすくなくてはならないのです。誰でもはできません」
才能云々はともかく、これでガブリエラの最初の課題はクリアできそうだ。私はウェンディにお茶を勧め、せっかくなので魔術の話をもう少し聞いてみる。
「魔術はなかなか難しいものなのですね」
「はい、基本的には親から子へ受け継がれるものですから、ある日突然学ぼうと思ってもなかなか難しいのです」
「そういうものなのですね。そう言えば私も子供の頃お母さまから実用魔術を学びました」
「エーレンスでは、魔術士の子はたいてい子供の頃から魔術を学んでいますよ。フィルネツィアでは養成学校で学ぶものと思っている人も多いですね」
「ウェンディはエーレンス出身なのですか?」
「はい。フィルネツィアに来て七年ほどになります。私の両親もミアリー様の側近なのです」
「では、ご両親から魔術を学んだのですね」
「はい」
第一王妃ミアリーの側近ということは、ウェンディの両親は高位の魔術士なのだろう。
「剣に生きるブレンダ姉様の護衛に、優れた魔術士のウェンディ、良い組み合わせですね」
「いえ、私はまだまだです」
ウェンディはちょっとはにかんだ笑顔を見せると、今度は真面目な顔になって、私に向き直る。
「今回はブレンダ様の勝負をお受けいただき、そして、ルフィーナ殿も真剣にお相手いただき、ありがとうございました」
「いえ、私も魔術を教えてもらいましたし、こちらこそありがとうございました」
「昨夜ブレンダ様は言われました。剣だけに生きるのではなく、もっと色々と学ばなくてはならない、と。ルフィーナ殿の剣から何かを学ばれたのだと思います」
「そうですか。ブレンダ姉様にも得るものがあったのなら、良かったです」
きっと剣を交えたものしか分からないことがあるのだろう。ルフィーナに聞けば、ブレンダが何を学んだのか教えてくれるかもしれないけど、聞いても分からないだろうし、聞いてはいけない気がして、聞くのはやめておこうと思った。
ウェンディは優秀な魔術士です。
次話は明日です。




