(アグネーゼの視点)ベアトリーチェの魔導書
「ただいま戻りました、アグネーゼ様」
「おかえり、エレノア」
離宮の自室で本を読んでいた私は、エレノアの言葉に顔を上げる。
「試合はどうだった?」
「ルフィーナ殿の圧勝でした。まさかあれほどに強いとは思いませんでした」
エレノアが試合の様子を語ってくれる。どうやらずいぶんと実力差があったようだ。
「それは、ブレンダ姉上が弱いというわけではなく、ルフィーナが強すぎたと言うことなのね?」
「はい。ブレンダ様もすぐに騎士団に入っても遜色ない力でした。分身はそう簡単な剣技ではありません。ですが、ルフィーナ殿がすごすぎました」
「エレノアと比べてどうなの?」
「……私でも相手になりません。おそらく、ロザリアと二人掛かりでもルフィーナ殿に勝つのは至難でしょう」
「そんなに強いのね」
ヴィーシュのような田舎にそれほどの人材がいるとは。さすがに田舎とはいえ大領地、人材が豊富ということなのかしら。
「ところで、そのルフィーナの最後の技というのは、エレノアには見えたの?」
「すべてとは言えませんが、ある程度は見えました。分身よりも高速な動きで、おそらく騎士でも見えない者が多いかと思います」
「ということは、技を盗むまでは至らなかったのね」
「申し訳ありません。例え見えても、あの技を盗むのは難しいかと。ただ、戦うことになったら、防ぐことはできるかと思います」
「フフ、ターニャとルフィーナが敵になることはないわよ」
一流の騎士なら一度見た技は防ぐと言われる。そういう意味では、試合のような観客のいる場所でよくルフィーナは技を見せたものだ。
「見られても問題ないと判断したのでしょう。騎士団長をはじめとした騎士たちだけでなく、私やロザリアがいたのも気付いていたはずですので」
「それ以上の技もあるってことでしょうね」
「はい」
エレノアからの報告を受けているうちに、そろそろ出掛ける時間が近づく。私は本を閉じて、立ち上がる。
「そろそろ行くわよ、エレノア」
「はい、アグネーゼ様」
私たちを乗せた馬車が着いたのは、王宮の隣に建つ、双鷲の堂舎と呼ばれる立派な建物だ。王宮騎士団の本拠で、騎士団の紋章である双鷲のレリーフが掲げられている。
騎士に案内され、私たちは騎士団長室と書かれたプレートの貼ってある扉を開けてもらい部屋に入る。席に座っていた体格の良い初老の男性が立ち上がり、挨拶を交わす。
「ようこそ、アグネーゼ王女殿下。私が騎士団長を務めているユーベルヴェークです」
「アグネーゼよ、よろしくお願いするわ。こちらは護衛のエレノアよ」
「お座りくだされ」
ユーベルヴェークに促され、席に着く。エレノアは私の後ろに立つ。ちなみにユーベルヴェークの後ろには護衛はいない。あらかじめ人払いを頼んでおいたのだが、そもそも騎士団長に護衛は必要ないらしい。秘書官らしき女性がお茶を入れてくれ、彼女が部屋を出たところで、話が始まる。
「さて、王女殿下。ブートリアのお話でしたかな?」
「あぁ、表向きはそうよ。こんな話でもないと、あなたに会いに来られないからね。とりあえず、中継地の整備は軍の役割なので、軍を統括する騎士団の長としてしっかりとお願いするわ」
「ブートリアの件は承りました。……さて、表向きと仰いましたが、では本題はなんでしょう?」
「騎士団長と誼を通じたいと思ったのよ」
「……誼をですか。次期王争いに力を貸せ、ということですかな?」
「まさか」
私は言葉を切って、お茶をひとくち飲む。そして、ユーベルヴェークの目を見据えながら言う。
「ベアトリーチェの魔導書を探しているのよ」
「!」
ユーベルヴェークの目が驚きで丸くなり、穏やかな微笑みは消えて真顔になっていた。カップを持っていた手は固まっている。
「……どこでその話を? いや、手にしてどうされるおつもりなのですか?」
「最初は偶然だったのよ。ゼーネハイトが攻めてきた理由をこちらのルートで調べていたら、面白い話に当たったのよ」
「……」
「ゼーネハイトの狙いはベアトリーチェの魔導書、そして、その場所を知るあなたを捕らえたがっているとね」
「むぅ……、ネーフェの諜報力は驚くほどに優秀ですな」
「国王陛下が戦争真っ只中にも関わらずあなたを前線から下げたのも、万一にもあなたを捕らわれるわけにいかないからでしょう?」
ユーベルヴェークは小さく呻くと、意を決したように話はじめる。
「ご存知と思いますが、あれは使い方によってはとても危険なものなのです。ゆえに、代々騎士団長が自ら管理し、他の者には存在を明かさないことになっています。保管している場所は国王陛下も知らないのです」
「でもゼーネハイトには漏れていた。どこからでしょうね?」
「……分かりません。魔導書の存在を秘しているので、表立って調べさせることもできないのです」
「私たちが調べましょうか?」
「えっ……」
「ゼーネハイトのスパイなのか、あるいは情報を売っただけなのか、とにかく、ゼーネハイトにこの情報を流した者がいるはずだわ。放置はできないけど、あなたが動くのは難しいのでしょう?」
「それはそうですが……」
「さきほど私たちの諜報力を評価してくれたでしょう。私たちならできるわ」
ユーベルヴェークは悩んでいるようだが、すぐには結論が出そうにない。それほど大きな問題ということだ。
「ここで返事をくれなくても良いわ。ただ、国王陛下と相談されると、まずダメということになるだろうから、できればあなたの一存で決めて欲しいわ」
国王陛下が、半ばネーフェの介入になるようなことを許すはずがない。それに漏れたルートによってはユーベルヴェークが責任を取らなければならない可能性もある。その場合、調べるところまではユーベルヴェークの一存で動いたほうが内々にも処理できるし、彼にとっても利があるはずだ。
「それに、信じてもらえないかもしれないけど、こちらで魔導書のことを知ってるのは、私たち二人とお母さまだけよ。それ以上には広げないし、広げなくても情報が漏れたルートを調べる手段はたくさん持っているわ」
この話は色々なルートから集めた情報を組み合わせて、その結果分かったものだ。三人以外は、手の者も詳細を知らない。
「……分かりました。ではお願いいたします。私の方で何かご協力できることがあれば言って下さい」
「フフ、任せて。さっそく動くわね」
「ですが」と、ユーベルヴェークはいったん言葉を切り、慎重に言葉を続ける。「だからといってベアトリーチェの魔導書をお譲りできるわけでないことだけは、ご理解いただきたいのです」
「分かってるわ。誼を通じるにあたっての手土産くらいに考えてくれていいわ」
「……分かりました。情報をお待ちします」
双鷲の堂舎を辞して、馬車に乗り込むと、エレノアがちょっと息をついたように見えた。どうやらずいぶんと気を張っていたようだ。
「お疲れ様、エレノア。上手くいったわね」
「私は、アグネーゼ様が話を持ち出した瞬間に騎士団長の剣が飛んでくるのではないかと、気が気ではありませんでした」
「フフ、そこまで浅慮なタイプではないでしょう」
「油断はできません。慎重にいきましょう」
「そうね、戻ってさっそくお母さまと話をしなくてはね」
ようやく魔導書の話が登場です。




