(ターニャの視点)話し合い その3
突然魔術陣に飲み込まれたと思ったら真っ暗な世界だった。かろうじてぼんやりとテオドーラの剣が光っているのでなんとなく周りは見えるが何もない。地面もなく浮かんでいるような感覚に酔いそうになるが、これが飛行魔術が掛かっているからなのか、本当に浮いているのか確かめようがない。飛行魔術を切って落ちたら目も当てられないので、このままでいるしかない。
「いったい、ここはどこなんでしょう?」思わず独り言が出る。そう言えば、アレクシウスも飲み込まれていたはずだが見当たらない。
あまりがむしゃらに動くのは良くない気もするけど、ここで漂っていても仕方がないのでアレクシウスを探すことにする。テオドーラの剣を振りながら、適当に飛んでみる。どうも空中を飛んでいるのとは違う感覚で、上手く進んでいる感じがしないが、周りに何も見えないため本当に進んでいるのかさえよく分からない。
そんな感じでしばらく漂っていると、前方に何か光が見えたような気がした。金色の小さな光が二つ見えた。私は必死にそちらの方へ進んでいく。
「あ!」
小さな光をテオドーラの剣で照らすと、そこには一匹のトカゲが浮かんでいた。私の手に乗るくらいに小さいトカゲだ。これはアレクシウスだと直感的に分かった。目が金色のせいかもしれない。
「……アレクシウス様、ですか?」私はトカゲを手に乗せて問いかけた。
「そうです。……見ましたね」トカゲがちょっと項垂れているように見えた。
「見ましたが、アレクシウス様の本当の姿はこちらだったのですね」
「……本当の姿とはちょっと意味が違います。私の種の先祖がこうした姿だったようです。長い年月を掛けてドラゴンに進化したのでしょう」
トカゲが進化するとドラゴンになるのか、と感心していたが、そんな場合ではない。
「アレクシウス様、その姿は変えられますか? そのまま戻るわけにはいきませんよね?」さすがにトカゲのままでは可哀想だ。
「いえ、変えられませんし、帰れませんよ。ここでは魔術が使えないのですから」
「えっ!?」
私はいくつか魔術を展開しようと試みたが、何の反応もなかった。体に魔力があるのは感じられるのだが、魔術に繋げられない。
「そんな……」
「ここからは出られません。あなたも早く諦めた方が良いですよ」
「ここはいったい何なんですか?」
「ここは無の世界です。何もありません」
「無? なんでそんな世界があるのですか?」
「なんで? それは私が作ったからです」
「作った? 何のためにこのような世界を?」
「ここは彼ら、神々が終わりを迎えるための世界なのです。ターニャ、あなたも知っての通り、彼らは死ねないのです。でも、長く存在していると必ず消えたがる者が現れるのです」
「消えるとは?」
「もはや存在意義を感じなくなった者にとって、永遠の命は苦痛でしかありません。死のうと思って死ねないのですからね。そこで私がこの世界を作ったのです。ここは無の世界。何もありません。そして、入ってきた者を徐々に消していくのです」
「徐々に消すのですか?」
「そう、無がだんだん存在を消してくれるのです。あなたも私もいずれは消えて、無に溶け込むでしょう」
「そんな……」
消されてしまっては堪らない。私は手に持っているテオドーラの剣をブンブンと振り回してみたが、とくになにも変化はない。しばらくジタバタしていると疲れてきた。
「はぁ……」
「無駄ですよ。私の作った無の世界は完璧ですから」
「そんな他人事のように。そもそもアレクシウス様が暴れ始めたせいではありませんか。何が気に入らなかったのですか?」
「何でしょう……。実は私にも良く分からないのです。人間で言うところの性格なんでしょう」
「性格ですか。きっちりしていないと許せないタイプなのですね」
「そういうことです」トカゲのアレクシウスはちょっと考えて言葉を続ける。「今にして思えば、私があの世界に遣わされたのも必然だったのではないかと思うのです」
「必然ですか。アレクシウス様はどなたかに遣わされたのですか?」
「おそらく。私が現れた時、あの者たちには秩序がまったく存在しませんでした。あの者たちに秩序を与えるために遣わされたのでしょう」
「誰にですか?」
「創造主にです。私が人間を作ったように、私やあの者たちにも創造主がいるはずです。そして、私とあの者たちを作った創造主は同じなのでしょう。もしかすると、私の種のもとには混沌の者が遣わされているのかもしれません」
なんだかやけにややこしい話で良く理解できないが、性格的に合わないことは分かった。とすると、アレクシウスとクラインヴァインの話し合いは最初から無理だったのか。
「では、クラインヴァインと和解することはどうあっても無理だったのですね」
「そうですね。もとを正せば、本来私とあの者たちはわかり合えないのでしょう。イグナシオをはじめとする者たちが私に従ったことのほうがイレギュラーなのかもしれません」
「……ちょっと寂しい話ですね」わかり合える相手がいないというのは寂しいことだと思う。
「そうかもしれません……。ここに来て初めてそう思えてきました」
アレクシウスの身上には同情するが、こんな話をしていては無に消されてしまう。
「本当にここから抜け出す方法はないのですか?」
「ありません」
「テオドーラの剣は闇を祓う力があるはずなのに、何の効果もないのですか?」
「その程度の力ではなんともなりません」
「むー」
そう言われても諦めるわけにはいかない。私は剣に魔力を籠める。剣から魔力が溢れて光が大きくなった。
「いっけええええ!!」
私が剣を振ると魔力が大きな光の帯となって前方に飛んでいった。だが何か当たったような感触はなかった。
「無駄です」
「空間を裂けるのではないかと思ったのですがダメですね」
少しでも感触があれば続けるのだが、闇雲に魔力を使うのも良くないだろう。
どうしたものかな……
こんなことならもっと本を読んでおけば良かったとか、でも本にもこんな状況を打破する方法は書かれてないだろうしなどと考えていると、後ろから声が聞こえたような気がした。
「……ターニャ……」
私は振り返り目を凝らす。何かぼんやりと光が見える。なんだろう? だんだん光が近づいてきて、その正体が見えてきた。
「アグネーゼ姉様とルフィーナ!? なんでこんなところに!?」
光の正体はアグネーゼとルフィーナだった。アグネーゼが手に持っている槍がぼんやりと光っている。
「見つかって良かったわ、ターニャ」
「ターニャ様! ご無事ですか?」
ルフィーナが私に飛び付いてきて、私たちは二人でグルグルとその場で回ってしまった。
「なぜ来たのです、二人とも?」
「そりゃ来るわよ。大事な妹のピンチなんだし」ドヤ顔のアグネーゼ。
「私は必ずターニャ様をお守りします」ルフィーナの目にはうっすら涙が光っている。
「二人とも……」私も思わず胸が熱くなる。
「ブレンダ姉上も行くと言って聞かなかったんだけど、なんとか押しとどめて二人で来たのよ」
来てくれたのは嬉しいがここからは出れないのだ。この二人まで巻き添えにしたくない。
「ここに来たということはクラインヴァインに送らせたのですね? 出れないとは聞かなかったのですか?」
「たしかに出れないって言ってたわ」アグネーゼがにこやかに頷く。「でも、必ずなんとかなるはずたし、してみせるわよ」
「……アグネーゼ姉様らしいですね」
私たちは顔を見合わせて笑った。アグネーゼの笑顔を見ていたらなんとかなりそうな気がしてきた。
「あなたたちは……不思議な、いえ、おかしな人間ですね」
「!? これがアレクシウスなの?」
トカゲが喋ったことにアグネーゼが驚いて目を丸くした。
「死ぬかもしれないと分かっていながら、なぜ来たのですか?」アレクシウスの金色の瞳がアグネーゼを見つめる。
「だから言ったでしょ。妹のピンチに駆け付けるのは当然だって」
「……当然ですか。人間は死ねば終わりです。それでも当然なのですか?」
「当たり前よ。ターニャを見捨てて自分だけが生き残っても、そんなの気分悪いじゃない。ねえ、ルフィーナ?」
「当然です。ターニャ様をお守りせずして生きる理由がありません」
二人の言葉を聞いてアレクシウスは少し考えて言葉を続ける。
「……それがターニャの言った“仲良く”ということなのですか?」
「仲良く? それどころじゃないわ。私たちは家族。生きていくためにお互い必要な存在なのよ」
「家族、ですか……。なるほど」
アレクシウスはいったん目を閉じて、何かを決心したかのようにまた目を開いた。
「ターニャ、剣に魔力を籠めるのです。ありったけの魔力を」
「えっ? はい」私はテオドーラの剣に魔力を籠め始める。
「そこの娘は、槍をしっかりと握り、逆側の手を私の上に置きなさい」
アグネーゼが指示通りにすると、アレクシウスの体が光り、それとともにアグネーゼの右手の槍が輝きを増し始めた。
「アレクシウス様、これは?」
「私の魔力を槍に籠めています」私の問いにアレクシウスが答える。「テオドーラの剣とアルヴァルドの槍、両方の力を最大限に出せば、この空間に少し穴を開けることができるでしょう」
「本当ですか!?」
テオドーラの剣に先ほど以上の魔力を籠め続けると、もうこれ以上籠められない状態になった。同時にアグネーゼの持つ槍も魔力が籠もったようで、パチパチと光を発している。
「良いですか、まず槍を前方に力いっぱい投げなさい。続いてターニャが剣の魔力を槍に向けて撃つのです」
「分かりました」
「分かったわ」
アグネーゼが一度目を閉じて集中すると、全力で槍を投げた。パチパチと光の帯を描きながら槍が前方に進んでいく。
「今です!」アレクシウスの声とともに私は剣を目一杯振り下ろした。
「えええええい!!」
槍を追って剣から放たれた魔力が闇を抜けていく。魔力が槍に追いつくと、大きな音を立てて爆発が起きた。
バアアアン!!
爆発したところに空間の裂け目が見える。外だ!
「やりましたよ!」
「やったわね!」
「さあ、急ぎなさい。裂け目はすぐに閉じてしまいます」
アレクシウスの言葉に私たちは裂け目へ急ぐ。外はよく見えないが、このまま出ても大丈夫なのだろうか?
「大丈夫です。先ほどの世界に繋がっているはずです。急いで」
「分かりました」
まずルフィーナが裂け目に入る。続いてアグネーゼも飛び込んだ。
「このままの姿であれかもしれませんが、とにかく帰りましょう」私はトカゲのアレクシウスに声を掛けて裂け目に入ろうとすると、私の手からパッとアレクシウスが宙に浮かび上がった。
「えっ!?」
「ターニャ、私はここに残ります。魔力を目一杯使ってしまったので、もう私には力も残っていません」
「何を言ってるんですか!」
「良いのです。最後に良いものを見せてもらいました。私が作った人間がこんなにも素晴らしいものになっていたとは知りませんでした。あなたはこれからも周囲の人々との関係を大切に生きてください」
「そんなこと──」
「さあ、早く! 裂け目が閉じてしまいます!」
裂け目がだんだん小さくなっていく。急がなければ閉じてしまいそうだ。
「クラインヴァインにもよろしく伝えてください──」
「そんなことは許しません!」私はアレクシウスに手を伸ばし、彼女の体をむんずと掴んだ。「死なせませんよ!」
急いで振り返って裂け目に飛び込むと、後ろで裂け目が閉じる音がした。そして私はアレクシウスを握ったまま草原に投げ出された。
出られました。