(アグネーゼの視点)ベアトリーチェの遺言
ケイティはにこやかにパーヴェルホルトの隣に腰掛けると、私にも席を勧めた。
「どうも四姉妹みな勝手に動きすぎではありませんか? ターニャの大仕事の前にこのように気持ちがバラバラでは、上手くいくものも失敗しかねません」
ケイティはまずブレンダに向き合った。
「ブレンダお姉様は学校を休んでまでパーヴェルホルトに何の御用だったのですか?」
「うん。テオドーラの剣は古の神々が作ったという話を思い出して、パーヴェルホルトに話を聞きに来たのだ」
「それは明後日の話し合いのためですか?」
「そうだ。何が起こるか分からないからな」
「何か起こるとお考えなのですね?」
「……正直、すんなり進むとは思えない」
「なるほど」
次にケイティはクラインヴァインに問いかける。
「お久しぶりです、クラインヴァイン。あなたも明後日のためにベアトリーチェの魔導書が必要なのですか?」
「元気そうね、ケイティ王女。そうね、明後日のためよ」
「あなたも話し合いは上手くいかないと考えているのですか?」
「上手くいけば良いとは思ってるわよ」クラインヴァインは肩をすくめた。「でも難しいでしょうね」
「あなたがベアトリーチェの魔導書を使っても、闇に飲まれてしまうようなことはないのですか?」
「それは大丈夫よ。あれは魔力の少ない者が使うと飲まれるのよ」
「あなたが使うことで得られる効果は、魔力が増えることだけですか?」
「フフフ、あなたは賢いのね」ちょっと笑って、クラインヴァインは言葉を続ける。「普通は使えない魔術が使えるわ。でもこれは人間には話せないわ。ここまでよ」
「分かりました」
そしてケイティは私の方を向いた。
「アグネーゼ、あなたはどうしたいですか?」
「どうとは?」
「話し合いに立ち会おうと考えていませんか?」
「……」
それは考えている。コルヴタールが側にいる私にとって別の世界に行くことは難しくない。
「行って、ターニャの暴走を止めたいのですね?」
「ブレンダ姉上も、ケイティ姉上も同じ気持ちじゃない?」
「そうですね」とケイティは頷き、ブレンダも同時に首を縦に振った。「でも、ことここに至っては、ブレンダお姉様にお任せするしかないと思っています。本当はアグネーゼもそれは分かっているのでしょう?」
たしかにそうだ。私たちがゾロゾロ付いていけばアレクシウスの警戒心を煽るだけだろう。それに何か起きた時の混乱が大きくなる。
「私たちの願いは、話し合いが上手くいってくれること以上に、ブレンダお姉様とターニャ、それにウェンディとルフィーナが無事戻ってくれることです。これを間違えてはいけないと思うのです」
「それはその通りね」私は頷いた。
ケイティは再びクラインヴァインに向き合った。
「だからクラインヴァイン、話し合いの当事者であるあなたに頼むのは筋が正しいか分かりませんが、約束してほしいのです。その四人を必ず無事私たちのもとに帰すと。それを約束してくれるなら、ベアトリーチェの魔導書を渡しましょう」
クラインヴァインはちょっと考えて口を開いた。
「あなたたちは本当に……」と言いかけていったん言葉を止め、続けた。「いえ、なんでもないわ。約束するわ」
パーヴェルホルトから受け取った魔導書をクラインヴァインが開いた。
「何も起きないな」ブレンダが首をひねる。
「使うつもりで開かなければ何も起きないわ。それに私の魔力の方が圧倒的に強いからね」
パラパラとページをめくるとクラインヴァインは呟いた。「これは、ベアトリーチェの遺言ね」
私は普通の女の子でした。ただちょっと魔力が強かっただけの。
村のみんなの助けになれば思っていただけなのに、いつしか国を、そして世界を守ることになってしまいました。
大変だったけど悪魔を封印して、その封印を守るために私も魔導書に封じられました。封印の守役になったのです。
それから二千年。多くの人が魔導書を手にし、そして自ら滅んでいきました。何もできずにそれを見ているだけなのはとても辛かったです。
そして私は一人の少女に宿りました。ターニャはいつも周囲の幸せを願っている、とても優しい子です。
私は気付きました。アレクシウス様はきっと次の守役をターニャにしようとしているのだと。魂だけの私はクラインヴァインを封印したら魔力が尽きて消えてしまうでしょう。だから次の守役が必要なのです。
私はそんな役目をターニャに強いたくありません。永遠にも感じられる長い時間をただ見守るためにだけ生きていくのはとても辛いのです。
私はアレクシウス様の計画を壊すことにしました。コルヴタールに攻撃をかけ、ターニャの体から出て別の世界に移動しました。ここは魂が実体化できると分かったので好都合でした。
悪魔でもターニャたちでも誰でも良いから私を消しに来てと願いました。そうしたら本当に来てくれました。ありがとう。
この書を今読んでいるのが悪魔であることを祈っています。パーヴェルホルトでもクラインヴァインでも良いのです。二度と人間の手に渡さないでください。この書は不幸しか生みません。
そして願わくは、なるべく早くこの魔導書を燃やしてください。あなたたちならできるはずです。それだけが私の願いです。
「おかしくなっていたわけではないのね……」私は呟いた。
「そうね。彼女の望み通り、話し合いが終わったら燃やしてあげることにするわ」クラインヴァインは本を閉じながら言った。
部屋を沈黙が覆う。静寂を破ったのはパーヴェルホルトだった。
「話は済んだな。アグネーゼ、お迎えが来たようだぞ」
パーヴェルホルトが指指した私の後ろの床に魔術陣が浮かび上がった。光に包まれた人影が二つ。コルヴタールとエレノアだろう。
とりあえず帰って、私はこれからどう動くべきかを考えよう。
ベアトリーチェはおかしくなったわけではありませんでした。